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第5話 覚えのない記憶

それから暫く、木々のざわめきに耳を傾けながら歩き続けた三人は、やがて森の終わりに差しかかった。木漏れ日が徐々に強くなり、足元の草花が光を受けて輝き始める。


そして、森の出口を抜けたその先――

そこには、澄んだ水が音もなく流れる美しい川があった。


太陽の光を映してゆらめく水面。静かに流れるその川は、まるで遠い記憶の中にある夢の風景のように、優しく彼らを迎えていた。


「ここで少し休みましょうか」


「そうだな」


ユイの言葉にクレイドは足を止めて、大きく伸びをした。そしてセルヴィスを隣に座らせて全身のメンテナンスを行う。


「あ、いつの間にか指がない」


クレイドの呟きに、ユイは耳を疑った。


……よくこんな簡単に足やら指やらが取れるセルヴィスと、二人で旅に出ろなんて言ったな?

だが、口まで出かかったそれを飲み込み、黙々と昼食の支度をする。ここでもめて機嫌を損ねたらそれこそ終わりだ。


「クレイド、食事にしましょう。……ところでセルヴィスには何をあげたらいいんでしょうか」


「……何でもいい。とにかく何かを口に入れて、『食事』という動作を思い出させてやればいいんだ。……この石でもいいぞ」


「……パンを用意しますね」


分からないんだから本当になんでもいいのに。クレイドは小さな石をセルヴィスの口元に持って行った。だが、すぐにユイに取り上げられ、石がパンに変わる。


「セルヴィス、よく噛んでくださいね」


顔の上半分を仮面に覆われたセルヴィスが言われた通りにパンを咀嚼している。その様子が小動物のようで、ユイの心が寂しさにざわついた。


「あんなにイケメンだったのに……」


「生前のセルヴィスに会った事があるのか?」


「いえ、でも勇者の姿絵で目にしました。綺麗な黒髪でキリッとした焦茶色の目でした。それが僕の初恋だったんです」


「……そこまで元に戻るかは分からないが、努力しよう」


クレイドは初恋云々の件は聞かなかったことにして、再度セルヴィスに保護魔法を施す。


「じゃあ僕たちも食事にしましょう」


「そうだな」


ユイはカバンから出したパンと干し肉、そして果物を石の上に並べた。


「川の水もこれだけ綺麗なら飲めますよね」


クレイドは黙って川の水をすくい、口に含んでみる。


「問題なく飲めるぞ。冷たくてうまい」


「じゃあ水筒にも入れて貰えますか」


ユイは手元の果物をナイフで切り分けながらクレイドに言う。セルヴィスはそんな様子を見ながらまだパンを咀嚼していた。



「つまらない食事なのに外で食べると美味いな」


「そうですね。つまらないと言うのが引っ掛かりますけど」


鳥の鳴き声は耳に優しく、川のせせらぎは嫌なことを忘れさせる。

このまま全て忘れてここで穏やかに暮らしていきたいと思うほどに。


そう考えて、クレイドの頭に疑問が湧いた。自分は子供の頃に葬送士である義父に拾われ、この道に進んだ。それ以降、ずっと同じ場所で同じことをしていたはず。

日々に不満もないし忘れたいような記憶もないはず……。


だが胸に澱むこのつらい気持ちは何なのだろうか。


「……クレイド?」


「……なんだ」


「何だか思い詰めた顔をしていますがそんなに旅はつらいですか?まあ、まだ一日目だし、ここでつらいと言われても片腹痛いですけど。なにしろこの行程は数ヶ月に及ぶものですし」


「……風呂以外は問題ない」


クレイドは数ヶ月の辺りで発生した動揺を隠した。出発してしまった時点で自分の負けなのだから。


「それなら良かったです。まあ以前も旅をしたことがあるんですもんね」


「……旅というか、用事で出歩くことはあってもせいぜい三日程度だ」


「……?お風呂が好きそうなのでジャポニア辺りは行ったのかと思ってました。ジャポニアには「オンセン」という大きなお風呂がありまして……」


「知ってる。朝が早いと貸切に出来るんだ。よく夜明け前に入浴を楽しんでいた」


「……?ジャポニアはここから四ヶ月はかかるんですが行ったんですか?」


「……え?そうなのか?いやそんな記憶は……」


どうしてだ?

オンセンの記憶はあるのにその道のりはまるで覚えていない。記憶の中の自分は大人だった。それをまるで覚えてないなんて事があるのか?


……これは一体いつの記憶なんだろう。


「……まあその……。色々ありますから気を落とさないでください」


「何が?」


「何でも忘れてしまうのはお年寄り共通の悩みですから。酷くなると昨日自分が食べた物も思い出せないそうですし……」


嫌味でなく、本気で心配そうなのが余計に腹が立つ。クレイドは「私はまだ三十代だ」と言い捨てて、先を急ぐぞとユイを促した。



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