猫は昨日から、水も口にしなくなった。いよいよ最後の時が迫っているのだろう。
「ユイ、飼い主の墓は知ってるか」
「……はい。宿屋の主人に教えてもらいました」
「では行こう」
猫を抱いたユイがとぼとぼと歩く。その後を、クレイドとセルヴィスが続いた。
この村に着いてからずっと晴れだった空も、今日は雨雲を含んで薄暗い。……葬送にはうってつけだな、とクレイドはぼんやり考えていた。
「……先客です」
「ん?」
見れば居並ぶ墓の一つに人がいる。墓前に座り込み、酒を煽っていてる老女だ。
「すみません、ここはジェイさんのお墓ですよね?あなたはご家族ですか?」
ユイが話しかけると、老女は首を振る。
「あいつは天涯孤独だった。私はただの隣人だよ。……おや?ライルじゃないか?」
「ライル?」
老女はユイの腕の中にいる猫に向かって嬉しそうな顔を見せた。
「探してたんだよ。どこに行ってたんだい?……ちょっと、なんでこんなに痩せてるんだい?あんた達が酷い目に遭わせたのかい?」
老女の目がギラリと光る。ユイは慌てて事情を話し、誤解を解いた。
「そうか。あの爺さん、とんでもない呪いをかけていったもんだね」
「いや、猫自身が望んだ事だ」
クレイドの言葉を、老女は苦笑いで遮った。
「あいつは変わりもんでね、ずっと一人だった。それがある日、猫を拾ってきてさ、それはそれは可愛がってたよ」
老女はおいも……ではない、ライルの頭を撫でながら思い出を語る。
「いい歳なんだから猫なんて飼って面倒見切れるのかい?って聞いたら、俺が死ぬ時は連れてくからって冗談めかして言っててさ。本人もまさか猫より先に死ぬなんて思わなかったんだろうけどね。落石事故で……あっという間だった」
……なるほど。猫はその言葉を聞いていたから自分に呪いをかけたのか。
「それなのに本当に連れて行こうとするなんて……。ジェイ!お前はとんでもない奴だよ!本当に可哀想だ……」
その「可哀想」は、猫に対してなのか、飼い主に向けたものか……。
老女は今にも呼吸の絶えそうな猫を、そっと抱いて墓に向かい、悪態をつきながら涙をこぼした。
「クレイド、ジェイさんと話をすることは出来ないかな?ジェイさんからライルにご飯食べろって言ってもらえたらもしかしたら……」
「……呼びかけたとて死者から必ず返事がある訳じゃない。それに聞こえたとしても、その言葉を猫に伝える術を私は知らない」
「……そっか……」
……そして、いくら主人の言葉があってもこの体ではもう自力で食べ物を摂ることは出来ない。そう言うつもりだったのに、何故か憚られてクレイドはそのまま押し黙った。
「……婆さん、地面に猫を置け。そろそろだ」
「……本当に何とかならないのかい?」
「……せめて安らかに逝けるように祈りを込めて見送ってやる」
「……」
地面に置かれた猫は薄く目を開けて墓標を見た。そしてなけなしの力を振り絞り、ヨロヨロと立ち上がる。
「ライル?どうしたの?」
ユイがライルを助けようと手を伸ばした途端、ライルは墓標に向かって「にゃん!!」と大きな声で鳴いた。
「クレイド!この子はまだ元気です!もう少し生きられるかも!詠唱やめてください!」
「いや、これは最後の力を……」
クレイドがそう言いかけると、突然空から大粒の雨が降り出す。すると、墓標から半透明だが、ゴツゴツした手がスッと出て、猫の顔を上に持ち上げた。
──まるで雨粒を飲ませようとしているかのように。
「クレイド!ライルが水を飲んでくれてます!」
確かにゴクゴクと音が聞こえそうなほど、猫は上を向いたまま必死で喉を動かしている。
……その体制で水を飲むのはつらくないのか?……いや、それよりも今墓から手が出てたけど皆は見えなかったのか?
誰もそのことについて触れないので、クレイドは、見えたのは自分だけなのだと納得する事にした。
それにしてもあれほど濃かった死の呪いが、うっすらと消え始めているのは一体……。
「ライル賢い子だねえ!これをお食べ」
驚くほど一瞬だった雨が止むと、びしょ濡れのまま老女は猫に肉を差し出した。恐らく酒のつまみであろう物に猫は必死で食らいついている。
「あっ!おばあさん、胃が動いてないのに突然肉なんて……」
「大丈夫。年寄り用に柔らかく炊いた鶏肉だからね」
「うわあ、丁度良かった~」
……なんだその馬鹿みたいな会話は。
それよりどうして呪いが解けたのかを気にするべきだろう。
けれど実際に猫は元気になり、ご飯を食べているし、水も飲んでいる。解せない……。
「きっとジェイさんがライルに生きろって言ってくれたんですよ」
ユイは、クレイドの心を読んだかのようにそう言った。
「死者は話さない」
「もーそれでも通じ合った者同士の魂の会話ってあるかもしれないでしょ」
「そんなものは存在しない。死者と話せるなんて……そもそもそんなことが出来るなら、どうしてあの時、あの人は……」
「……クレイド?あの人って?」
クレイドはハッとして口を閉じた。
……いま、私は何を口走った?
「……何でもない」
クレイドは強く頭を振る。自分は何を言ってるんだろう。あの時とかあの人とか……まるで意味が分からない。
「……うあ」
「ああ、どうした?セルヴィス」
「……」
何か言いたそうに口をもぐもぐとさせているセルヴィス。だが、彼と意思疎通を図るにはまだまだ時間がかかるだろう。
「クレイド!見てください。ライルの満足そうな顔!」
水と少しのご飯でお腹いっぱいになったのか、ライルはおぼつかないながらも毛繕いを始めていた。老婆に引き取ってもらえる事になったので、これからどんどん太って元気になっていくだろう。
「一件落着ですね。僕、ハッピーエンド好きなんです」
「そうか」
「……うあ」
「ですよね?セルヴィスもハッピーエンド好きなんですって!」
……いい加減なことを。葬送士でも読みきれないアンデッドの言葉を理解なんて出来る訳ないだろう。
「出発の前に雨で濡れた服を着替えないと、風邪ひきますね。もう引き払っちゃったけど宿屋で着替えさせてもらえるよう頼んできますので、セルヴィスのメンテナンスお願いします!」
「分かった」
ユイはいつものように慌ただしく駆け出す。生命力の塊のようだとクレイドは思った。
「あいつがいたらおこぼれでお前の回復も早くなるかもな?」
「……うあ」
相変わらず何を言ってるのか分からないが、なんとなく気分の良いクレイドは、いつもより念入りにセルヴィスに保護魔法をかけた。