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第7話

「……遥を先に病院へ運べ! 遥に何かあったら……彼女さえ無事なら、それでいい! 他のすべてなんて……どうでもいいんだ!!」


それは、清原介人の怒鳴り声。

焦燥と恐怖に満ちた、歪んだ愛の叫び。


その声が、夏目汐里の沈みゆく意識の中で――最後に届いた音だった。

彼の言葉が何よりも強く響いて、何よりも深く、彼女を突き放した。


世界が、ゆっくりと黒に染まっていく。

光は失われ、音も消えて、

ただ、深く、深く……静かな闇の底へ――


汐里は、音もなく落ちていった。


***


……夢を見ていた気がした。

とても長く、苦しい夢だった。


うなされるように目を覚ましたとき――

最初に見えたのは、目を赤くした清原寧々の顔だった。

「汐里……! やっと目を覚ましたのね……!私ちょうど帰国したばかりだったの。

そしたら汐里が事故に遭ったって聞いて……もう、心臓止まるかと思ったんだから!」


そう言って、寧々は彼女の手をぎゅっと握った。

その姿を見た瞬間、汐里の胸の奥に溜めていた苦しさが、一気にあふれ出した。


彼女は目に涙を浮かべ、そのまま寧々の胸に飛び込んだ。

「……ごめんね。心配かけて……」

「いいのよ…無事なら、それで……」


二人はしばらく、言葉もなく抱き合っていた。


やがて、寧々はコップに水を汲んでそっと口元に運び、「無理しないで」と優しく微笑んだ。


医者に「気を紛らわせるような会話を」と言われていたのを思い出し、寧々は少しだけ声のトーンを上げ、明るく話題を変えた。


「……でさ、この数年、日本での生活はどうだった? お兄ちゃんにいじめられてない?

あとさ、前に“彼氏できた”って言ってたよね? いつ紹介してくれるの?

私、ちゃんとチェックするから。ダメ男だったら即・却下ね。覚悟しといて!」


その言葉に、汐里の表情がわずかに固まった。


「……社長は、仕事ではとても公正です。いじめられたことは、ありません。

彼氏は……もう、別れました」


予想外の答えに、寧々は一瞬言葉を詰まらせた。

けれどすぐに、元気よく励ますように声を上げた。


「そっか……でも、いいのいいの! 次、行こ、次!私、イケメンの知り合いならいっぱいいるよ? 全員紹介してあげるから!」


そのとき、病室のドアが音を立てて開いた。

清原介人が、険しい表情のまま入ってくる。


「紹介?ダメだ、ダメ。お前の知り合いなんて、ろくなのいない」


即座に否定されて、寧々はムッとした顔を見せる。


「何それ!? ひどい! 確かに花より団子な子は多いけど、ちゃんと真面目に付き合ってるし、全員が遊び人ってわけじゃないし!

だいたいお兄ちゃんこそ、重すぎるのよ。初恋の人にずっと執着して、他が見えないなんて――そんな人、今どきあんまりいないから!

どうせ遥さんしか目に入ってないんでしょ?

てか私の親友に彼氏を紹介しようってだけなのに、なんでお兄ちゃんがそこまで口出すわけ?」


寧々の言葉に、介人の顔に明らかな怒気が走る。

「俺がダメだと言ったら、ダメだ。

恋愛っていうのは無理やりどうこうするもんじゃない。……縁がなければ、無理に繋がっても仕方ない」


――縁が、なければ。

無理に結びつけても、意味がない。


その言葉が、胸に深く沈んでいく。


汐里は静かに、薄く微笑んだ。

彼女は、ようやく理解したの。

この四年間、必死に求めていた“縁”は、最初からどこにもなかったことに。


「……寧々ちゃんは、ただ冗談言ってるだけですよ」

そう言って、彼女はそっと寧々の手を握り返し、介人をまっすぐに見つめる。


「社長。わざわざいらしたのには、何かご用件が?」

彼女の平然とした態度に、介人はわずかに肩の力を抜いた。


そして、口を開きかけて――やめた。

「……いや。寧々が心配して病院まで来たから、迎えに来ただけだ。ちょうどだったから、お前の様子も、ついでに見ておこうかと思って」

「はいはい、もうわかったってば!夜にはちゃんと帰るから、先に帰ってて!」


寧々が彼を急かすように言い、強引に追い出した。

再び二人きりになると、寧々はぽつりとつぶやいた。


「……お兄ちゃん、ほんとに言葉足らずなんだよね。ああ見えて、けっこう優しいところあるのに……。

昨日ね……お医者さんが言ってたの。

“この子の血液型が特殊で、手持ちじゃ足りません”って言われたとき――お兄ちゃん、夜通しで街中の病院と献血センターに連絡して……たった一晩で必要な分、全部集めたんだって。……それで、ようやく助かったって」



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