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第二話

                          第二話  貴き殿堂よ

 その時が来た。プロイセンから彼が来たのだった。

「殿下、あの方がです」

「来られたか」

「只今列車がミュンヘンの駅に着きました」

 こう述べられるのだった。

「それで」

「そうか。わかった」

 太子はその報告に対して頷く。彼は今青い部屋の中にいた。青と黄金の部屋の中にいてだ。そこでピアノを聴いていたのだ。それはロココ期のフランスの音楽だった。

 座っているソファーもロココのものだった。そこに座ってであった。落ち着いた優雅な服を着てだ。そのうえで話を聞いているのだった。

「それではだ」

「今からですね」

「会いたい」

 会おうではなかった。こう言ったのである。

「すぐにな」

「ううむ、殿下は」

「私は?」

「そこまでビスマルク卿を好かれているのですか」

「好きか。そうだな」

 その言葉にだ。太子はふと反応を見せて話すのだった。

「どういう訳か自分でもわからないがな」

「それでもですか」

「会いたいのだ」

 またこう言う彼だった。

「あの方とな」

「では。晩餐の場で」

「そう頼む。会うのならばだ」

「そういった場所でこそですか」

「楽しく話したい」

 それでだというのだ。太子は穏やかな顔で話すのだった。

 そしてそのうえでだ。こんなことも話すのだった。

「それでだが」

「晩餐の食卓はどうされますか」

「あの方の好きなものでいい」

「ビスマルク卿のですね」

「そうだ。ビスマルク卿のだ」

 彼のだというのである。

「それに合わせておいてくれ」

「そういえばビスマルク卿も」

 その彼の話にもなるのだった。どうかというとだ。

「殿下と同じくかなりの長身の方で」

「そうらしいな」

「そしてです」

「かなり召し上がられるそうだな」

「はい、そうです」

 その通りだというのであった。

「何でも茹で卵を十数個召し上がられ」

「そして生牡蠣を百七十個以上だったな」

「御存知でしたか」

「話は聞いている」 

 それで知っているというのであった。太子にしても愚かではなかった。それでそのうえでだ。話をしてきた侍従に話すのだった。

 そしてだ。さらに話すのだった。

「ハンバーグもお好きだったな」

「はい、そこに目玉焼きを乗せられて」

「その好みにだ」

「合わせられてですね」

「そうしてくれ。それではな」

 こうしてだった。太子もまたビスマルクとの会見のことを進めていくのだった。そのうえでだった。太子は落ち着くとワーグナーをまた聴くのだった。

 そしてだった。彼はそのワーグナーについても呟く。

「ワーグナーにもだ」

「御会いしたいですか」

「会いたい」

 是非にという口調だった。ソファーに座り話をピアノで聴いている。そうしながらのやり取りだった。

「一刻も早く」

「左様ですか」

「ビスマルク卿もそうだがワーグナーは」

「それ以上に」

「この世で最も会いたい」

 何かを見ている目で話していた。

「この世界に生きている人間の中でな」

「そしてですね」

「救いたい」

 そしてだった。太子はこうも言ったのだった。

「彼をな」

「そのワーグナーをですか」

「さまよえるオランダ人だが」

 そのワーグナーのオペラだ。海を彷徨う亡霊に等しい男にひたすら献身的な愛を捧げる一人の女が遂にその男を救う、愛に救済の話である。

「そのゼンタ、そして」

「そして?」

「タンホイザーのエリザベート」

 この名前も出すのだった。

「あのシシィの名前を持つ乙女の様にだ」

「ワーグナーを救いたいのですか」

「若しくはローエングリンか」

 太子の目の色が恍惚としたものになった。その名前を言う時にだ。

「私はあの白銀の騎士になりたい」

「ワーグナーにとっての」

「そうだ、あの偉大な音楽家を救いたいのだ」

「では。殿下は」

「王になったその時は」

 最早それは確実なことだった。問題はそれが何時になるかということだ。太子は既にその時のことを考えていたのである。そうなのだった。

「私は彼を救おう」

「ですが殿下」

「そのワーグナーのことか」

「よからぬ話がまた」

 この話になるのだった。

「人妻との噂が」

「そうなのか」

「はい、それも己の庇護者の妻とです」

 語るその顔が曇っていく。そのうえでの言葉だった。

「これは流石に」

「そして借金だな」

「はい」

 従者の顔がさらに曇った。

「その通りです」

「モーツァルトも借金に追われていた」

 これが太子の返答だった。

「そしてモーツァルトの人柄はどうだった」

「それは」

「だが音楽は素晴しい」

 モーツァルトの人間性についてはあまりにもよく知られていた。一言で言えば下品である。およそ真っ当な人間とは言えない人物だったのだ。

「そしてベートーベンもな」

「あの御仁も相当でしたが」

「そういうことだ。まずは芸術だ」

 太子はそれを見ていたのだ。それだけと言ってもよかった。

「それが大事なのだ」

「左様ですか」

「そうだ、それがだ」

 また言う太子だった。

「大事なのだ。だがそれをわかる者はだ」

「わかる者は」

「少ない」

 太子は俯いた。その整った顔に憂いを帯びさせてだ。そうして呟いたのだ。

「だからこそモーツァルトもベートーベンも貧困に苦しんだのだ」

「殿下、モーツァルトは」

「ビリヤードのせいか」

「それに莫大な金を浪費していましたので」

「それ位何だというのだ」

 モーツァルトは実はかなりの収入を得ていたのだ。しかしその極端な浪費癖により借金を重ねていたのだ。その辺りに彼の人間性の問題が出ていたのである。

 太子もこのことは知っていた。ところがなのだった。

「モーツァルトも救われるべきだったのだ」

「あれだけの浪費家もですか」

「浪費が何だというのだ」

 太子はここでは首を左右に振った。俯いたままでだ。

「その程度のことで芸術が阻まれては駄目なのだ」

「左様ですか」

「そうだ。私は彼を救う」

 顔を上げた。ここでだ。

「何があろうともな」

「そうされますか」

「そうだ。そしてだ」

「そして?」

「私はそれができる」

 自分ならばというのだ。そうだというのだ。

「芸術を解することもな」

「殿下だけがでしょうか」

「それをわかってくれる人間も少ないだろう」

 太子はこんなことも言った。

「やはりな」

「殿下、それは」

「シシィはわかってくれている」

 ハプスブルク家、オーストリアに嫁いだ従姉ならばというのだ。彼より七歳上のその美貌の彼女と彼はだ。今もお互いを慕い合っているのだ。

 そしてだった。もう一人の名前を出すのだった。

「それに」

「それに?」

「おそらくこれから会うあの方もだ」

「ビスマルク卿ですね」

「話を聞くとあの方はかなりの方だ」

「その様ですね」

「だからだ。是非会いたい」

 こう話すのだった。

「では。行こう」

「晩餐に」

 こうして太子はそのビスマルクと会うことにしたのだった。勲章が幾つも下げられている白い軍服を着た厳しい口髭の男だった。背は太子と同じだけ高く鷲鼻が目立つ。目の光は強く口元も厳しい。その男がビスマルクだった。

 彼はまず太子と握手をした。太子から言ってきた。

「ようこそ、バイエルンに」

「はい」

 ビスマルクはその厳しい声で彼に応えた。

「はじめまして、殿下。ビスマルクです」

 ここで彼は恭しく一礼した。バイエルンの太子に敬意を表してである。

 そうしてだった。ビスマルクは彼に言うのだった。

「では殿下」

「はい、何でしょうか」

「お話を聞きました」

 こう言ってからだった。

「何でも私に贈り物があるとか」

「些細なものですがいいでしょうか」

 太子は微笑んで彼に返した。

「音楽ですが」

「といいますと」

「こちらへ」 

 その笑みのまま彼を一室に案内した。青い花が所々に飾られた金色の部屋に黒い服のオーケストラの者達が座っていた。そしてビスマルクが部屋に入るとだった。

 すぐにだった。音楽が奏でられたのだった。その曲は。

「これは」

「お聴きになられたことがありますか」

「ワーグナーですな」

 すぐに答えが返ってきた。ビスマルクから。

「それもこの曲は」

「はい、ローエングリンです」

 今度は太子から答えた。

「第一幕の前奏曲です」

「そうですな。殿下はワーグナーがお好きでしたか」

「素晴しいと思っています」

 これが太子のここでの返答だった。

「この世で最も素晴らしい音楽でしょう」

「素晴しいですか」

「私はそう思っています」

 何処か熱を帯びた目でビスマルクに述べていく。

「ですからここで」

「私にもこの曲をですか」

「御気に召されたでしょうか」

「私はドイツ人です」

 ビスマルクはこう太子に言うのだった。

「ですから」

「そうですか。ドイツ人だからこそ」

「有り難うございます」

 こう言うのだった。

「曲だけでなく」

「演奏もですね」

「はい、見事です」

 ビスマルクは己の耳にも自信があった。だからこそだった。

 それでなのだった。今は耳を澄まして聞いていた。それで太子に礼を言うのだった。

「殿下、有り難うございます」

「御気に召されたのですね」

「その通りです。音楽は最高の贅沢の一つですね」

「人にだけ許された贅沢ですね」

「はい、その通りですね」

 ビスマルクも太子のその言葉に頷く。

「それは」

「そしてその中でも」

 その人の中だけでもというのだった。太子の言葉は続く。

「芸術を解することができるのは」

「さらに限られてますな」

「はい、そうです」

 太子は言う。ワーグナーを聴きながら。

「その中でもワーグナーは」

「理解できる者は少ないですね」

「残念なことに。ですが私は」

「ワーグナーを愛されてますね」

「はい、その通りです」

 音楽を聴きながらだった。恍惚として話す。二人は立ったままだがそれでもだった。ワーグナー、そして芸術への話を続けるのだった。

 そうしてだった。太子はさらに話す。

「これだけの芸術家に会えたことは生涯の幸せです」

「殿下、それでは貴方は」

「この命が続く限り」

 軽い言葉ではなかった。間違いなくだ。

「私はワーグナーを愛します」

「そうですか。では私は」

「ビスマルク卿は?」

「その貴方を見させてもらいます」

 こう太子に言うのだった。

「私はこの命をドイツに捧げますが」

「そうですね。貴方はその為に生きられてますね」

「その為に貴方と対立することもあるでしょう」

 ビスマルクはこのことも話すのだった。プロイセンとバイエルンは違う国だ。それで完全に同じになることなぞ有り得ないことだった。

 それはビスマルクだけでなく太子もわかっていた。そしてそのうえでなのだった。二人はドイツについても話をするのだった。

「私の言葉は御存知ですね」

「哲と血ですね」

「そうです」

 それだというのである。

「それによりドイツを統一します」

「その為には何でもされますね」

「その通りです。それが私のやり方です」

「わかっています。ただ私は」

「戦いは望まれてませんね」

「私は血を好みません」

 太子は言った。それはだというのだ。

「ですから。血は」

「鉄もですね」

「鉄は。平和と芸術の為ならば」

 その為だというのだった。

「その為ならばです」

「ですが殿下」

「わかっています」

 またビスマルクに対して返す。

「それは。ですが」

「わかっておられてもですね」

「私はワーグナーを、芸術を愛します」

 これが太子だった。やはりそうだった。

「それを見て生きていきたいです」

「この世にありながらですか」

「この世には美しいものばかりではない」

 これも言うのだった。

「それもわかっていますが」

「それでもですね」

「間違っているでしょうか」

 ビスマルクに対して問う。

「戦いが必要とわかっていながらそれを避けたいと思いそしてこの世にいながらこの世にないものを見て愛そうとする私は。間違っているでしょうか」

「お答えして宜しいですね」

「是非」

 またビスマルクに対して述べる。

「御願いします」

「間違っています」 

 ビスマルクもそれは否定しなかった。

「何よりも。貴方は王となられる方なのですから」

「この世にあるものを見ずしてですね」

「左様です。私はそうした人を何よりも軽蔑します」

 誰に対するよりも辛辣な評価だった。しかしであった。

「ですが」

「ですが?」

「私は確信します。貴方はその御考えにより誰からも愛されるでしょう」

「誰からもですか」

「今生きている者だけでなくこれからこの世に生きる者達にもです」

 現在だけでなくだ。未来でもだというのだ。

「そして私もです」

「貴方もですか」

「はい、軽蔑することはありません」

 そうだというのである。

「むしろ。貴方の様な方がこの世にいることを喜ばしいと思います」

「そう言って頂けるのですね」

「意外に思われますか」

 こんなことも言ってきたビスマルクだった。

「現実主義である私がこう言うのが」

「それは」

「素直に申し上げて頂いて結構です」

 遠慮は不要というのであった。

「それにつきましては」6

「そうですね。この場合の遠慮は失礼になります」

 太子も察した。それがわからない彼ではなかった。

 それでだ。思い直してこう言うのであった。

「実はそう思っています」

「そうですか。やはり」

「ですが」

「ですが?」

「それでもほっとしています」

 そうだというのであった。それが太子の言葉だった。

「まことに」

「私が殿下に対してこう思われていることがですね」

「その通りです。私はよく誤解される人間ですので」

「殿下、それについてもです」

 ビスマスクは太子に顔をやって話してきた。ここでもだった。

「その人を理解できるのはです」

「理解できるのは」

「その人と同じかそれ以上の器を持つ者だけです」

「それだけですか」

「そして」

 ビスマルクの言葉は続く。

「同じ時代にいてはかえってわからないこともあります」

「同じ時代ではですか」

「そうです。同じ時代にいれば。かえってわからないものです」

「それは何故でしょうか」

「人間は相手の顔は一面からしか見えません」

 こんなことも言うビスマルクだった。

「もう一面は。方向を変えれば見えますが」

「それには気付かない」

「そうです。そしてその目で見ているからそれをどうしても信じてしまいます」

「しかし違う時代ならば」

「それが変わります」

 こう太子に話していく。その言葉は切実なものだった。

 バイエルンの太子が相手である。しかしプロイセンの宰相である彼はそれでもなのだ。その太子に対して親身に話をするのだった。

「様々な書を読み話を聞くことによってです」

「成程、それでなのですか」

「この時代で理解されなくても」

「されなくても」

「後の時代では違うこともあります。特に殿下は」

 彼はというと。

「今よりむしろ後の世になってです」

「理解してもらえますか」

「はい、私はそう思います」

「そうであればいいのですが」

「少なくとも今の時代でも」

 ビスマルクは太子をさらに見た。言葉はより親身なものになっている。

「殿下を理解する者はいますので」

「貴方もですね」

「そうでありたいと思っています」

 珍しいことにだ。ビスマルクが謙遜を見せた。これはプロイセンの者達も見たことのないものだった。非常に珍しいものであるのだ。

 だが彼は確かにそれを見せてだ。言うのであった。

「是非共」

「私を理解してくれますか」

「そうした者はそれなりにいる筈です。それはお忘れなきよう」

「そうであればいいのですが」

「そして。また述べさせてもらいますが」

 前置きしてからの言葉だった。

「殿下を嫌う者はおりませぬ。そうなるにはです」

「私に何かがあるのですか」

「あまりにも魅力的なのです。この世にあるのが奇跡であるまでに」

「奇跡、私が」

「はい。ですから誰も為されなかったことをされるでしょう」

 彼は言った。

「後世の誰もが貴方のことを知れば深いものを感じられます」

「私を理解してくれてですか」

「そうです。それはお忘れなきよう」

「その御言葉有り難く思います」

 太子はビスマルクの言葉をここまえ聞いて静かに述べた。

「是非共」

「はい、それではです」

「音楽の後は何にされますか」

「そうですね。食事を」

 それをだとだ。太子に答えたのだった。

「それを御願いします」

「食事ですか」

「出来ればハンバーグを」

 ビスマルクは微笑んでそれを願ってきた。

「それも上に」

「目玉焼きを乗せてですね」

「御存知でしたか」

「それがお好きと聞きましたので」

 それでだというのだった。

「ではそれをですね」

「有り難うございます。それでは」

「私も最近食に目覚めまして」

「おお、それは何よりです」

「食は人の心を和ませ楽しませます」

 これはその通りだった。食というものは極論すれば人の全てである。だからこそ太子もまたこう話すのであった。

 そうしてだ。彼等はその食を楽しむのだった。その後でだ。

 ビスマルクは用意された部屋に入った。豪奢なホテルの一室にだ。そこに入るとすぐにだ。姿勢のいい執事が彼のところに来た。

 そうして上着を脱がせる。そのうえで主に問うた。

「御主人様、御機嫌ですね」

「わかるか」

「はい、お顔に出ています」

 そうだというのだった。見れば実際に彼の顔は少し綻んでいた。

「バイエルンの太子殿下はいい方ですか」86

「素晴しい方だ」

「そう仰いますか」

「おかしいか」

「いえ、珍しいと思いまして」

 こう答える執事だった。そのホテルの部屋は金色と青で彩られている。豪奢でありながら何処か落ち着いている。そうした部屋であった。

「御主人様がそう仰るとは」

「確かにな」

 ビスマルク自身もそれを認めた。上着を脱がされた彼はソファーに座った。その前に使用人がコーヒーを出してきた。それを飲みながら話すのだった。

「私は人に対して辛辣だからな」

「あの殿下はそこまでの方ですか」

「決して卑しい方ではない」

 まずはその品性から話すのだった。

「むしろ非常に高貴な方だ」

「バイエルンの次の王に相応しく」

「それ以上だな。あの方は」

「王以上の気品の持ち主ですか」

「この世のな」

 こう言ったビスマルクだった。

「どの王よりも素晴しい気品を持たれている」

「そこまでなのですか」

「まるで。聖杯の城の王の様だ」

「といいますと」

 執事はそれを聞いてだった。この名前を出した。

「パルジファルですか」

「そうだ、あのな」

「聖杯を見つけ出したあの騎士」

「そしてその城の王となる者だ」

 まさにそれだというのだ。太子は。

「そうした方だ」

「まことに素晴しい方なのですね」

 執事は主の言葉を己の中で反芻しながら述べた。主が人に対してそうしたことを言うことは滅多にないことだからということもある。

「バイエルンの太子は」

「資質も。既に出されているものも」

 ビスマルクはさらに話していく。コーヒーを飲みながら。

「素晴しい。ドイツは素晴しい君主を手に入れることになる」

「我等のドイツが」

「ドイツはただ国力だけで成り立つものではないのだ」

 彼の言うドイツはプロイセンを中心としたドイツである。それは今から生まれようとしていた。だがそれは国力だけで成り立つものではないというのだ。

 では何によって成り立つものなのか。彼はそれについても話した。

「芸術によってもだ」

「それによってもですね」

「成り立つものなのだ」

「音楽もまた、ですか」

「そうだ」

 執事の言葉にその通りだと頷いてもみせる。

「それがわかるな」

「はい、僅かですが」

 彼も伊達にビスマルクに仕えているわけではない。それでわからなければ長きに渡って彼の傍にいることなぞできはしないのだ。 

 それでだ。彼は答えることができたのである。

「ベートーベンやシューベルト」

「ウェーバーもだ」

「あの音楽家が夭折したのは惜しいですね」

「そうだな。しかしだ」

「もう一人の音楽家がいますが」

「ワーグナー」

 ビスマルクもまた彼を知っていた。

「その音楽はフランスのそれを超える」

「フランスを」

「オーストリアもだ」

 目下の最大の敵であった。大ドイツ主義を掲げるその国こそが小ドイツ主義、即ちオーストリアを排したドイツを掲げるプロイセンの敵なのだ。

 それでだ。彼はここでオーストリアの名前を出したのだ。

「あの国の音楽もだ」

「ワーグナーはそれだけのものがある」

「その通りだ。確かにあの男は危険な思想の持ち主だ」

 その急進的な思想はビスマルクから見てもそうだった。

「だが。その音楽はだ」

「ドイツの象徴となる」

「あの方はそれがわかっておられる」

 またバイエルンの太子の話になった。

「それだけの方だ」

「左様ですか」

「そうだ。あの方は様々な素晴しいものを持っておられる」

「資質も。既に出されているものも」

「そうだ。そして」

「そして?」

「魅力的な方だ」

 このことも話すのだった。魅力のこともだ。

「類稀なる魅力の持ち主であられる」

「カリスマですか」

「そうだ。そのカリスマもまた素晴しい方だ」

 こう話していく。

「非常にな」

「ではその方は」

「必ず素晴しいことを残される」

 また太子を高く評価するのだった。

「後世に残るまでな」

「では御主人様は太子を」

「好きになった」

 素直な、だ。感情だった。

「これからも会えるかどうかはわからないがだ」

「それでもですね」

「見守りたい。そして私のできることをさせてもらいたい」

「ドイツの為に」

「あの方の為にもな」

「バイエルンの太子の為に」

「プロイセンにいようともだ」

 それでもだというのである。

「私はあの方をだ」

「見守り、そしてお力を」

「そうしたい。ただ」

「ただ?」

「気の毒な方でもあられる」

 ビスマルクはここで顔を曇らせた。そうしてこんなことも言ったのである。

「非常にな」

「それは何故ですか?」

「孤独な方だ」

 太子をしてだ。こう言うのであった。

「非常にな」

「孤独な、ですか」

「君主は本質的に孤独なものだ」

 それは至高の座にあるからだ。至高の座に座る者は一人しかいない。太陽が一つしかないのと同じである。これは言うまでもなかった。

 しかしだった。ビスマルクの今の言葉は君主だからこそ孤独であるという他にもだった。こうした意味もその中にあったのである。

「あの方をわかることができる者は少ない」

「少ないですか」

「今の世には非常に少ない」

「今は」

「あの方は後世になってからわかる方だ」

「歴史ですか」

「賢者は歴史に学ぶ」

 彼のだ。座右の銘であった。

「愚者は経験に学ぶ」

「では太子は」

「歴史において理解される方だ」

「今ではなくですか」

「同じ時代に生きていてもわからないことがある」

 わかる場合もあるがそうでない場合もある。太子はわからない場合であるというのだ。

「些細なことが問題とされることがあるからだ」

「些細ですか」

「あの方は。些細なことが多過ぎる」

 太子のことであった。

「実にな」

「そしてそれによってですか」

「誤解され、そしてそのことによってだ」

「そのことによって」

「傷つかれるだろう。それはあの方をさらに孤独にしてしまう」

「さらなる孤独に」

「繊細な方だ」

 太子のことも見抜いていた。ビスマルクの目は確かなものであった。

「非常にだ」

「それがあの方の問題だと」

「そうなってしまう。それが心配だ」

「心配だと仰いましたが」

「そうだ、心配だ」

 また言うビスマルクだった。

「実にな」

「バイエルンの方であっても」

「確かにだ」

 ビスマルクは一言置いてだった。さらに話す。

「私はプロイセンの者だ」

「はい」

 執事は主のその言葉に頷く。

「それは確かに」

「否定することはできない」

 決してだというのである。

「それにだ。私はプロテスタントだ」

「それに対してあの方は」

「カトリックだ」

 この対立はルターの時代から変わらない。三十年戦争の時の様に戦争にはなりはしない。しかしそれでも対立は続いているのである。

「本質的に対立してしまうことになる」

「それでもですか」

「そうだ、プロイセンによるドイツ統一への障害は」

 そのことは常に念頭に置いている。ビスマルクの国家戦略に置いて対立と戦争は常にあるものだ。それを乗り越えてこそなのである。

「オーストリア、そして」

「フランスですね」

「どちらも必ず倒す」

 これを言うのだった。

「しかし私の好きな酒は」

「シャンパンです」

「フランスのものだな」

「はい、その通りです」

「しかしそれでもだ」

「シャンパンを愛されますか」

「私はそこまで偏狭ではないつもりだ。よいものはよいのだ」

 そしてだ。こうも話すビスマルクだった。

「例え敵のものであろうともな」

「そして対立されている方でもですか」

「あの方はドイツに入られるべき方だ」

 これも話す。

「必ずだ」

「閣下の目指されるドイツの中に」

「対立していようがそれでもだ」

「ドイツの中に」

「そうだ、入るべき方だ」

 そうだというのである。そしてであった。

 ビスマルクは太子を思い出していた。その際立った美貌と気品をだ。すると自然に残念に思って言うのだった。まさに自然とだった

「私はできるだけ」

「あの方をですか」

「力になりたい。ドイツにとってかけがえのない方になられる」 

 こう話してだった。

「これからのドイツにもな」

「そうなられますか」

「そうだ、なられる」

 まt言うのだった。

「だが今はだ」

「わかる者は少ない」

「わかる者で助けていくしかない」

 ビスマルクの誓いだった。彼は決意したのだった。

 これが太子とビスマルクの出会いであった。彼等の出会いはこれが最初であり最後であった。だがその出会いは彼等にとって運命のものだった。

 ビスマルクとの出会いの後で太子はだ。周囲にこう問われていた。

「それで殿下」

「そろそろですが」

「お相手を」

「お后様はどうされますか」

「それか」

 そう言われるとだった。太子の顔が曇った。

 そしてそのうえでだ。こう言うのであった。

「后。私の生涯の伴侶だが」

「はい、どういった方が宜しいですか」

「それで」

「どういった方が」

「殿下のお好きな女性はどういった方ですか」

「一体」

「そうだな」 

 周りの言葉を聞いたうえで話した。その女性とは。

「彫像だ」

「彫像?」

「彫像といいますと」

「それは一体」

「どういう意味でしょうか」

「何も言わずそこにいるだけでいいのだ」

 これが太子の好きな女性だというのである。

「それだけでだ」

「いえ、それではどうにもです」

「お言葉ですが私にはわかりません」

「私もです」

「どうしても」

 皆太子のその言葉に首を傾げさせる。そうしてまた言うのだった。

「ですからそれはです」

「どういった意味ですか」

「一体」

「何がどういうことか」

「美しい」

 太子は呟くようにして話した。

「そうだな。エリザベートやエルザの如くに」

「エリザベート?エルザ?」

 一人がその言葉に首を捻った。

「それはどういった方ですか」

「あっ、それは」

 同僚が彼に話してきた。すぐにだ。

「ワーグナーのオペラに出て来る女性だ」

「その女性なのか」

「そうだ、オペラのだ」

 それだというのである。

「それだ」

「さて」

 そう言われてだ。何人かが首を捻ってしまった。

「オペラの女性と言われましても」

「それがどういった方なのか」

「清らかな方でしょうか」

 また一人が言った。

「私もワーグナーは知っていますが」

「知っているのだな」

「はい、そのどちらも清らかな姫でございますな」

 それはわかるというのである。

「確かに」

「そうだ、何処までも清らかだ」

「しかしそれでもです」

「どちらも現実にはいません」

「そうですが」 

 ここでだった。彼等はこう太子に話した。

「それでもなのですか」

「理想の女性と言われますか」

「現実か」

 太子は現実という言葉に反応を見せた。その反応は面白くなさそうだった。そしてそのうえでこんなことも言う彼であった。

「現実が何だというのだ」

「何かと言われましても」

「我々は現実にいます」

「この世にです」

「それでこんなことを仰るのは」

「どうなのでしょうか」

「醜いものだ」

 これが彼の今の言葉だった。その現実についてのことだった。

「そこにいる女性もまた、だ」

「いえ、しかしです」

「そうです。現実にいるからこそ愛せるのではないですか?」

「子供をもうけることも」

「子供を作ることだけが目的なのか」

 今度はこのことを問うのだった。それについてもなのだった。

「それがか。問題なのか」

「いえ、王になられる方がです」

「そんなことを仰ってはです」

「どうかと思いますが」

 周りの者達は太子の言葉にいささか驚いた。何故なら王の務めとして子をもうけることこそが最も重要なものだからだ。これは言うまでもない。

 しかし太子はそれを否定するようなことを言った。そしてだった。

 彼はさらに言うのであった。

「愛とは純粋なものではないのか」

「しかし。王であればです」

「愛よりもまずは国です」

「このバイエルンの為にです」

「結婚をされてです」

「愛があればこそだ」

 太子はあくまでそれを話す。その現実を見てそれで否定しようとする。そうしてそのうえでさらに話をしていくのであった。

 その中でだ。彼はこうも話した。

「女性だけを愛さなければならないのか」

「いえ、それはです」

「人として当然です」

「違いますか」

 この言葉にだ。周りの者達はさらにいぶかしむものを感じざるを得なかった。

 そしてだ。彼等は怪訝な顔でさらに話した。

「とにかくです。まずはです」

「結婚をされることです」

「相応しいお相手とです」

「どうしてもか」

 太子の顔が暗いものになっていく。それは止まることがなかった。

 彼はその中でだ。またこのことを口にした。

「彫刻の如き相手であればいいのだがな」

「殿下は何を考えておられるのだ」

「わかるか?」

「いや、わからない」

「どうしても」

 そして誰もが不安なものを感じていた。だが太子はあくまで女性を近付けようとしない。しかし時は少しずつだが確かに進んでいた。

 王は次第にその体調を崩していた。それを見てだった。国中でまず王を気遣う言葉や行動が少しずつ見られるようになっていた。

 そしてだった。同時に太子も見た。彼に対してはだ。

「あの方ならな」

「ああ、問題はないな」

「あの方なら」

「まず顔がいいしな」

 最初にその整った顔立ちが認められるのだった。

「背も高いしすらりとしているぞ」

「あれだけ奇麗な君主はそうはおられないぞ」

「釣り合うのはあれだな。あの方だな」

「エリザベート様しかおられないな」

「あの方だな」

 こう話すのだった。

「あの方しかおられない」

「同じヴィテルスバッハ家だしな」

「ああ、あの方しかおられない」

「それだけの方だ」

「そしてだ」

 さらに話すのであった。そしてなのだった。

 次にだ。こんなことも話された。

「容姿はいいが他はどうだろうな」

「芸術に関する造詣は深いようだがな」

「肝心なのは政治だが」

「それはどうなのだろうな」

「まずプロイセンがいる」

 その国だった。今ドイツの中心になろうとしているその国だった。

「それにエリザベート様のおられるオーストリア」

「その二つの国にフランスもいるしな」

「太子はフランスがお好きなようだが」

「どうだろうな」

「この三国の間でどうやって生きていくかだが」

「このバイエルンがな」

 今のバイエルンの周りの状況は複雑だった。それは誰もがわかっていた。

 そしてだ。バイエルンの者達はその中で太子を見てだ。考えるのだった。

「あの方はどうされるか」

「プロイセンかオーストリアか」

「どちらを選ばれる」

「一体どちらを」

「まだ何もわからないな」

 未知数だというのだった。太子の政治力はだ。

「頭はいい方らしいがな」

「それでもどうかだな」

「政治にどう活かせられるか」

「それだな」

「そうだな。どうされるかだな、このバイエルンを」

 誰もが太子を期待と不安が入り混じった目で見ていた。彼が王になればどうなるのか、そしてバイエルンがどうなるのかをだ。

 それは誰にもわからない。だが、なのだった。

 王の体調はさらに崩れてだ。いよいよその時が迫ってきていた。

 それでだ。重臣達が太子のところに来て言うようになってきていた。

「王に何かあればその時はです」

「どうか宜しく御願いします」

「是非」

「王か」

 その言葉を聞いてだ。王は考える顔になった。ここでもだった。

 そしてだ。今言う言葉は。

「私が王になるのだな」

「はい、左様です」

「若しもの時はです」

「殿下が」

「そうだな」

 太子もだった。彼等のその言葉に頷くのだった。

「私がまず、だな」

「そうです。そしてその時はです」

「王として。おわかりですね」

「わかっている」

 即答した。それは生まれた頃から教え込まれていたことなのですぐに答えることができた。

 そしてだ。彼はこうも言うのであった。

「王になると共にこの家の」

「はい、ヴィッテスルスバッハ家のです」

「主にもなられます」

「この古い家の」

 ホーエンツォレルン家はおろかハプスブルク家よりも古くかつては神聖ローマ皇帝を出しハプスブルク家とも競り合ってきた家だ。その誇りを感じずにはいられなかった。

 だが、だった。その誇りの中でだ。太子はこうも思ったのだった。

「しかしだ」

「しかし?」

「しかしと仰いますと」

「何かおありですか」

「人は言うだろう」

 何か遠いものを見る目でだ。太子は語るのだった。その青い目はこの世を見ているものではなかった。何か別のものをだった。

 それを見ながらだ。太子は語るのだった。

「祖父殿のようになるのではと」

「先王ですか」

「あの方と」

「そうだ。私をこう言う者がいるな」

 今度は彼等に顔を向けた。そのうえでの言葉であった。

「祖父王と。私は似ていると」

「それは確かですが」

「ですが先王はです」

「素晴しい方だ。しかしだ」

 だが、なのだった。女優ローラ=モンテスに溺れ退位せざるを得なくなったのだ。その先王と彼を重ねる者がいるのである。

「女性か」

「はい、ですからそれにさえ気をつけられれば」

「問題はありません」

「ましてや殿下はです」

 彼が近頃言われている最も憂慮すべきこともここで語られた。

「今のところ女性が傍にいません」

「それがかえって心配な程です」

「女優はお好きですか?」

「いや」

 その質問にはすぐに否定で返した。

「好きではない」

「そうですね。むしろ少し興味を持たれた方がいいです」

「少しだけでもです」

「むしろそこまで思います」

 そうだと話してなのだった。

 そしてそのうえでだ。彼等は太子に対してさらに話していくのだった。

「ですから先王の様にはなられません」

「むしろ先王の素晴しいものをそのまま引き継いでおられます」

「それでどうして憂慮されることがありますか」

「ないのではないでしょうか」

「そうであればいいのだがな」

 そう言われてもだった。彼の憂慮は消えない。

 そしてだ。こんなことも言うのであった。

「オットーも」

「弟君が?」

「どうされましたか」

「あれもヴィッテルスバッハの血を引いている」

 誰もが知っている、このことをあえて話すのだった。

「そのせいか。近頃」

「それはですが」

「その」

「あの方は」

 ここでだった。周りの者も口ごもってしまうのだった。話してはいけないことを話すかの様にだ。そうなってしまっていたのである。

「少し戸惑っておられるだけです」

「じきによくなられます」

「ですから殿下は御気になさらずに」

「憂慮されることはありません」

「長く存在しているとそこに澱みができるものだ」

 言われてもであった。その憂慮は消えなかった。

 太子は今度は上を少し見上げてだ。それで語るのだった。

「我がヴィッテルスバッハもそうなっているのだろうか。そして」

「そして?」

「そしてといいますと」

「私も。その中にいるのか」

 こう言うのであった。彼は王位が近付くその中でその身を憂いに浸らせていた。そして時間があればだ。あの音楽を聴くのであった。

 この日はオーケストラだった。室内管弦楽団の演奏を聴いていた。聴くのはやはりあの作曲家のものだった。豪奢なロココのソファーに座りながら聴いていた。

 そしてだ。傍に控える従者に対して言うのであった。

「この曲だが」

「ローエングリンですね」

「そうだ、第二幕のだ」

 その曲を聴いてだった。

「聖堂への行進曲だ」

「それなのですか」

「エルザ」

 この名前を出すのだった。

「エルザ=フォン=ブラバントを祝福する曲だ」

「これがですか」

「これがその曲ですか」

「そうだ、聖堂に向かう曲だ。婚礼の前にな」

 それだというのである。

「それなのだ」

「確か結婚といえば」

「このオペラでは第三幕に行われる」

 それは知っていた。だが第二幕にもだ。聖堂に向かいそこで周囲が祝福の合唱を贈る。そうした場面の曲なのである。

「だが第二幕でもだ」

「そうでしたね。それは」

「婚礼だが、だ」

 そしてだった。太子はここでこう言うのだった。

「その他にもある」

「と、いいますと」

「神の祝福だ」

 それだというのだ。

「それは婚礼に限らない」

「そうなのですか」

「それが私にも間も無く及ぶのだな」

 次にだ。太子はこう言ったのであった。

「この私にもな」

「はい、王となられれば」

「ローエングリン」

 今度はこの名を呟いた。

「私はそれになるのだ。騎士に」

「騎士にといいますと」

「王になったその時にはだ」

 従者に応えずにだ。さらに呟く彼だった。

「その時には」

「その時には?」

「私もそうなりたい」

「ローエングリンにでしょうか」

「あの白鳥の騎士に」

「そうだ、なりたいものだ」

 己の望みを今かたりもした。

「是非共な」

「ですがあの騎士は」

「そうです」

 周りはその言葉にいぶかしみながら告げるしかできなかった。

「現実にはいません」

「あくまで物語の中です」

「それでどうして」

「それになれますか」

「現実か」

 それについてはだった。面白くなさそうに言う彼だった。

「この世の半分はそうであってもだ」

「半分ですか」

「それだけだと」

「昼と夜。半分だな」

 今度は二つの世界についてだった。これは太子にとっては実に意味のあるものであった。言葉の調子から誰もが感じられることだった。

「昼が現実だとしたら」

「夜は何ですか」

「それは」

「夜は夢だ」

 それだというのであった。

「夢がこの世の半分ではないのか」

「半分ですか」

「その夜が」

「そうだというのですね」

「そうだ、私はそれを見ていたいのだ」

 太子は今は夜を見ていた。そのうえでまた回りに話すのだった。

「昼よりも夜だ。夜を愛したい」

「夜といえば」

「そういえばローエングリンでは」

「そうだな」

 周りもここで気付いたのだった。そのオペラにおいて夜とはなのだった。

「テルラムントとオルトルートが企んでいたな」

「ワーグナーのオペラでは夜に何かが起こるな」

「確かに」

「夜だ」

 またそれだと話すのだった。

「夜、それに森。最後に」

「最後に」

「最後は一体」

「城だ」

 この三つを話すのだった。

「その三つを見たいのだ、私は」

「森と城も」

「それも確かワーグナーに」

「よくありますが」

「その全てをもたらしてくれたワーグナー」

 まさに全てを話す口ぶりだった。

「彼を救わなければ」

「王になられればすぐになのですか」

「そうされるおつもりですか」

「殿下は」

「そうしたい。いいか」

 彼等に顔を向けて問うた。

「私がそうして」

「それ位はいいと思います」

「あの革命騒ぎから割かし時間が経ってますし」

「それなら」

 彼等は特に深く考えずにだ。太子に対して答えたのだった。

「構わないかと」

「殿下の思われるままに」

「わかった。それではだ」

 周りの言葉を受けてだった。太子は決めた。

 その時は来ようとしていた。太子の運命の時が。王になりワーグナーと。その時が来ようとしていたのだ。



第二話   完



                        2010・11・19

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