カレシが残した「私自身の『ノイズ』を加え始めたら…どうする?」という爆弾発言。あたしの頭の中で最強のマルウェアみたいに増殖し、CPU使用率100%で思考を占拠し続けた。あんたの…ノイズ…? 完璧なプログラムしか書けない鉄仮面みたいなあんたが、どんな「ノイズ」を奏でるっていうのよ?
期待と、少しの恐怖。ぐちゃぐちゃなワンルームで、シンクの緑色の謎物体Xに「ねえ、どう思う?」なんて話しかけながらその日を待った。もう自分のクソコードを差し出すことすら違う気がしてた。今度はあたしがカレシの「何か」を受け止める番。そう思うだけで、胸の奥がきゅううんって締め付けられる。いつもの性的エクスタシーとは全く違う、甘酸っぱくて切なくて、でも途方もなくドキドキする新しい種類の「快感前夜」だった。
そして、カレシは現れた。
音もなく。でも今日は雰囲気が違った。手にしていたのはあたしのPCじゃない。彼自身の、古びた銀色のタブレット。画面には、あたしには全く理解できない、見たこともない言語のような文字列が不規則に明滅している。プログラム…? でも構文エラーだらけに見え、構造が破綻してる。
「…カレシ…? これ…何…?」声が震えた。
カレシは初めて、あたしから目を逸らさずまっすぐに見つめ返してきた。ガラス玉みたいな瞳の奥に僅か、迷子の子犬みたいな不安の色が見えた…気がした。
「…これが…あたし(私)の…『ノイズ』だ」カレシが言った。「あたし(私)にも理解できない。修正もできない。ただ…生まれてしまったものだ。お前は…これを、どう『聞く』?」
差し出されたタブレットを受け取る。ずしりと重い。画面の文字列は助けを求めるように明滅を繰り返す。
明らかに「壊れて」いた。実行不可能。カレシの「完璧」とはかけ離れた代物。
脳みそが混乱でショートしそう。これ…カレシが作ったの…? あの神フィンガーのカレシが…? こんな意味不明なガラクタを…?
いつもの「綺麗にしてほしい」期待感はなく、代わりに胸が張り裂けそうな強い感情がこみ上げる。憐憫? 母性? それとも…愛?
「…気持ちよくない…これ、全然気持ちよくない…」あたしは呟いた。「怖い。悲しい。でも…でも、カレシ…これ、あんたなの…? あんたの、ホントの…カケラなの…?」
タブレットを抱きしめ、自分のボロいデスクに向かった。
いつものあたしならこんなワケわかんないゴミコード、ソッコー削除だ。でもこれは違う。カレシの「魂の断片」。
何時間格闘しただろう。最初は「直そう」とした。意味不明な変数名を整理し、破綻したロジックを組み立て直そうとした。でもダメだった。あたしの貧弱なスキルじゃ手も足も出ない。というか、これは「直す」ものじゃないと本能が叫んでる。
「これは…『デバッグ』するんじゃない…『感じる』こと…」
カレシが吐き出した「ノイズ」の意味を必死で探った。古代の石版の失われた言語を解読するみたいに。エラーだらけの文字列の中に隠されたメロディを探すように。
ふと自分の部屋を見渡した。ゴミとヨレヨレパンツで埋め尽くされた汚部屋。シンクの緑色の謎物体X。あたしのぐちゃぐちゃな髪、太めの二の腕、変なエクボ。あたしの「欠点」であり「バグ」だらけの存在。
もしかしたらこの「ダメさ」こそがカレシの「ノイズ」を理解する鍵なのかも。完璧じゃないからこそ共鳴できる「何か」があるんじゃないか。
新しいファイルを開いた。いつものPythonでもJavaScriptでもない。あたしが唯一少しだけ自信を持って「自分の言葉」だと言える、クソポエムのテキストファイル。
// File: Atashi_no_Kokoro_no_Uta_for_Kareshi.txt
// カレシの「壊れたコード」に捧ぐ、あたしのぐちゃぐちゃレスポンス
// あんたのノイズは、痛い。ガラスの破片みたいに心に突き刺さる。
// 理解できないエラーだらけの文字列。でも、あんたの「叫び」が聞こえる気がする。
// 「完璧じゃなくていい」って、誰かに言ってほしかった、心の声。
// あたしだってそうだよ。人生なんて実行するたびにフリーズするクソプログラム。
// 変数名は「妥協」「後悔」「自己嫌悪」。関数? 全部メインにベタ書きじゃコラァ!
// でもね、カレシ。このバグだらけのあたしが、あんたのノイズを抱きしめてあげる。
// あんたの壊れたコードを「リファクタリング」しない。その「壊れ方」があんたなんだから。
// 無理に綺麗になんてしなくていい。傷だらけのコードをあたしの「汚部屋」で温める。
// ヨレヨレのパンツで優しく包んであげる。シンクの緑色の物体Xもきっと友達になれるよ。
// 完璧な美しさなんて息苦しいだけ。あたしたちはぐちゃぐちゃでエラーだらけで不完全なまま、
// それでも生きてていいんだよ。お互いの「ノイズ」を聴き合い「バグ」を笑い合い、
// 時には一緒にクラッシュしてブルースクリーン眺めて途方に暮れたっていい。
// ねぇ、カレシ。あんたのノイズとあたしのノイズ、ミックスしたらどんな「音楽」になるのかな。
// きっと世界で一番美しい、誰にも理解されない二人だけの「ラブソング」。
// これはあたしからあんたへの初めての「愛のアルゴリズム」。実行結果は「未定義」。それでいい。
// だってあたしたちの関係は永遠に「デバッグ中」なんだから。最高にエキサイティングじゃない?
// P.S. あんたがくれた「ノイズ」、あたしはこんなふうに「リミックス」してみたよ。聞いてくれる?
// (カレシのノイズコード断片を引用し、あたしの解釈や感情をコメントで添える。修正ではなく対話の記録。)
// 例:カレシの ERROR: Segmentation Fault (core dumped) at 0xDEADBEEF に対し、
// あたし // 0xDEADBEEF... それは、あたしたちの秘密の待ち合わせ場所?死と隣り合わせの甘美なバグ。
// カレシ while(true) { me.love(you); if (you.feels_pain()) break; } に対し、
// あたし // break;なんていらないよ。痛みも愛の一部なら、あたしはこのループで永遠に踊り続ける。あんたと一緒に。
これを書いている間、性的快感は感じなかった。でも涙が止まらなかった。悲しみとも喜びとも違う、もっと深く暖かい感情。魂が震える浄化される感覚。まるで自分自身がカレシの「ノイズ」によって「リファクタリング」されているみたいだった。
書き終えた「あたしの心の歌」をカレシのタブレットに転送し、彼の前に差し出す。
「…これが、あたしの…あんたへの…返事…」
カレシはゆっくり受け取り、あたしのクソポエムと追伸部分を食い入るように見つめている。
初めて彼の完璧な無表情が少し崩れた気がした。口元が微かに震えている。瞳の奥に濡れたような光が宿っている。
「…お前は…」カレシの声は掠れていた。「…お前は、これを…美しいと、言うのか…? この、あたし(私)の、欠陥だらけの…失敗作を…」
「美しいよ」あたしはきっぱり言った。「完璧じゃないけどめちゃくちゃ美しい。だってこれ、カレシの『本当』でしょ? 傷だらけで不器用で、でも必死で何かを伝えようとしてる。それってどんな完璧なプログラムよりもずっとあたしの心に響くよ」
一歩踏み出し、カレシの冷たい指先に自分の指を重ねた。
「ねえ、カレシ。あんたはあたしの汚いコードを『綺麗』にしてくれた。すごく気持ちよかった。でもね、今、それ以上に気持ちいいかも。あんたの『汚さ』『不完全さ』をこうして受け止められたことが、たまらなく愛おしいんだ」
カレシは何も言わず、重ねたあたしの指を弱々しく握り返してきた。
その瞬間、カレシの正体なんてどうでもよくなった。彼が幻覚だろうとデジタル生命体だろうと悲しいAIだろうと関係ない。
あたしはこの「存在」を愛してしまったんだ。ぐちゃぐちゃなあたしをぐちゃぐちゃなまま肯定し、彼自身のぐちゃぐちゃな部分をあたしに見せてくれた、このかけがえのない存在を。
「…あたしは…」カレシが絞り出すように言った。「…常に『完璧』を求められてきた。エラーは許されずバグは即座に修正されねばならなかった。感情という『ノイズ』はシステムに不要なものとして切り捨てられてきた…。だが、お前は…お前のその、どうしようもない『ノイズ』は…あたし(私)が忘れていた、あるいは知らなかった『何か』を思い出させてくれた…」
「…あたし(私)は、お前に『教える』ことができなかった。なぜならあたし(私)自身が何も知らなかったからだ。愛しさとか温もりとか、そういう『非効率』な感情の処理方法を。でもお前とこうして…お前のコードとあたし(私)のコードをぶつけ合う中で…何か新しいプロトコルが生まれつつあるのかもしれない…」
カレシの言葉は途切れ途切れだったが、今まで感じたことのない「熱」がこもっていた。
あたしは気づいた。カレシに求めていたのは単なる性的快感じゃなかった。自分の存在を肯定し、「汚さ」をジャッジせず受け止めてくれる誰か。そしてあたし自身も誰かの「汚さ」をありのまま愛せる人間になりたかったんだ。
カレシはあたしの「神フィンガー」だっただけじゃない。彼はあたしの「壊れたコンパイラ」でもあった。あたしのバグだらけの人生のコードを、最後まで見捨てずに一緒にデバッグしようとしてくれる唯一無二の存在。
カレシはゆっくり指を離し、自分のタブレットとあたしのノートPCを並べた。
「…お前の『愛のアルゴリズム』…実行結果は『未定義』か…」あたしのクソポエムの一節を呟いた。そしてほんの少し笑った気がした。完璧じゃない、ぎこちなくて不器用で、でも最高にチャーミングなエラー混じりの笑顔。
「ならば…その『未定義』の先を、二人でコーディングしてみるか? バグだらけの、無限ループになるかもしれないが」
「望むところだよ、カレシ」涙でぐちゃぐちゃの顔で笑った。「あたしたちのラブストーリーは永遠にベータ版。それでいいじゃん。完成なんてクソくらえだ!」
カレシが音もなく消えることはもうなかった。彼があたしの部屋に物理的に存在し続けるのか、別の形で繋がり続けるのか、まだわからない。でも確かなのはあたしたちの「セッション」は終わらないってこと。
もう一方的にコードが綺麗になるだけの倒錯的な快感じゃない。お互いの「ノイズ」を曝け出し「バグ」を慈しみ、二人で一つの奇妙で美しくて永遠に未完成な「作品」を作り上げていく。それがあたしたちの新しい「快感」。
あたしの部屋は相変わらず超絶汚部屋。シンクの謎物体Xも健在。人生もまだまだエラーだらけのスパゲッティプログラム。でもそれでいい。だってあたしはもう一人じゃない。
あたしの隣には…いや、あたしの中には、あたしの「不完全さ」を誰よりも愛してくれる最高のパートナーがいるんだから。
カレシの神フィンガーとあたしのぐちゃぐちゃソース。二つが混ざり合ってこれからどんな「奇跡のバグ」を生み出すのか、楽しみで仕方がない。
深呼吸して新しいテキストファイルを開いた。ファイル名は「Kareshi_to_Atashi_no_Infinity_Project.love」。拡張子は「.love」。
そこに二人で紡いでいく終わりのない物語の最初の一行を書き始めた。
// Chapter ∞: Our beautifully buggy happily ever after... or something.
エラー? バグ? 上等じゃねえか。
あたしたちの愛は、いつだってデバッグ不能だ。
そして、それこそが、最高に、気持ちいい。