4.1 裏切りへの逆襲
王太子アルベルトと伯爵令嬢ソフィアの陰謀を知った公爵令嬢オードリーは、その事実を公にするため、まずは自分の両親へすべてを打ち明ける決意をした。
深夜、オードリーは自室の机に広げられた数枚の文書を見下ろしている。これらは、幼なじみで近衛騎士のユージンが命がけで王宮の書庫から探し出し、書き写してきた重要な証拠の写しだ。その内容は、アルベルトとソフィアが公爵家の財産を狙って策謀を巡らせ、公爵令嬢オードリーを“利用し尽くしたあとで破棄し、失墜させる”という想像を絶する陰謀が存在することを示唆していた。
「王太子殿下が……最初から私を道具か何かのように扱っていたなんて……」
書類を読み返すたびに、オードリーは体の奥底から怒りがこみ上げてくる。彼女はかつて、未来の王太子妃として礼儀作法や政治知識、宮廷での所作に至るまで必死に学び、王家の一員になる準備をしてきた。それがこんな形で踏みにじられるなんて——。
しかし、今は嘆いている暇はない。真実を暴き、彼らの悪行を白日の下にさらさなくては。公爵家に再び誇りを取り戻すためにも、そして何より、自分の人生を取り戻すためにも。
翌日、オードリーは父である公爵と母を書斎に呼び、ユージンが手に入れた証拠の写しをすべて見せた。静まり返る部屋の中、父は険しい表情で紙の束を読み進め、母は思わず息を呑んでオードリーの肩を抱く。
「これは……まさか、本当にこんな恐ろしい計画が進められていたのか?」
父の声は低く震え、怒りと焦燥が入り混じっている。王家の権威のもとで行われたこの陰謀の数々が事実だとすれば、公爵家としては絶対に看過できない。一方で、相手は王太子殿下と、その側近のように振る舞うソフィア伯爵令嬢。下手に糾弾すれば、逆に“反逆者”のレッテルを貼られる危険もある。
「オードリー……これをどこで手に入れたのだ? まさか、おまえが王宮に忍び込んだわけではあるまいな……」
公爵が問いかけると、オードリーはユージンの名を出す。
「彼が、近衛騎士としての職務の合間に、書庫で見つけてくれたの。リスクが大きいことはわかっていたけれど、ほかに手段がなかったわ」
父は苦渋の面持ちでうつむく。娘を危険な行為に巻き込んだユージンを責める気持ちもあるだろうが、同時に彼がもたらした証拠がなければ、ここまで真相に迫ることはできなかったのも事実だ。
母は一通り文書の内容を目に通すと、ひどくショックを受けた様子で顔を覆い、オードリーに向き直る。
「おまえを王太子殿下に嫁がせようとしたのは、家の義務でもあったし、なによりおまえ自身がそう望んでいたから……それが、こんな結果になるなんて……本当にごめんなさいね」
オードリーは首を振る。自分のせいではないし、両親のせいでもない。悪意を秘めて近づいた王太子とソフィアこそが、すべての元凶なのだから。
「私は……私たちが悪くないということを証明したいの。この証拠を、正しい形で公に出して、彼らの背信を暴かなくてはならないと思うわ」
意を決して言い放つオードリーに、公爵は苦い顔のままうなずく。
「そうだな。だが、証拠をどう活かすかが難しい。国王陛下に直接届けるにしても、いまはアルベルト殿下が王宮内で大きな権力を握っている。こちらが動く前に握り潰される恐れもある。公爵家としては、慎重に策を練る必要があるぞ」
その言葉に、オードリーも思考を巡らせる。もし国王と王妃が健在であれば、息子であるアルベルトがどれほどの悪事を企んでいようと、国王の権威で正そうとするはずだ。だが、先代国王亡き後、いまの国王は病に伏せっていることが多く、王太子が実質的に政務を代行しているという話を聞く。そう簡単に話を持ち込めないのが現実だった。
すると、そこにユージンが公爵家へやってきて、思い切った提案を口にした。
「今度、王妃様がお体の調子が少し良くなるタイミングで、大広間にて貴族たちが一堂に会する場を設ける、という話を耳にしました。そこに公爵家が招かれる可能性もあるかもしれません。もし正式な場に招かれれば、そこで証拠を提示するのはどうでしょう」
これには公爵も驚いたようで、ユージンを振り返る。
「招かれる保証はないだろうし、そもそもアルベルト殿下が公爵家を呼ぶのを嫌がるのではないか?」
ユージンは静かに首を横に振る。
「今回の集まりは、表向きは“王妃様の回復を祝うための晩餐会”という名目であり、王太子殿下主導ではないようです。王妃様の意向で、かつてから宮廷に仕えてきた高貴な家柄も招待されるはず。公爵家は歴史的にも王家を支えてきた存在ですから、除外するわけにはいかないでしょう」
父と母は顔を見合わせ、オードリーもまた希望の光を見出す。王妃様がまだ一定の決定権を握っているのであれば、王太子が勝手に公爵家を排除するのは難しいかもしれない。
「もし、そこに私たちが出席できれば、その公の場でアルベルト殿下とソフィアの陰謀を暴くことができる。それがもっとも効果的だわ」
オードリーの声には力がこもる。大勢の貴族が集う正式な場で、しかも王妃が臨席しているのであれば、王太子とソフィアが言い逃れするのは難しいだろう。もちろん、危険を伴うが、これ以上ぐずぐずと待っていれば、彼らのほうから先に手を打たれてしまうかもしれない。
こうして、公爵家は“反撃”の準備を進めることに決めた。ユージンが書庫で入手した写しだけでなく、さらなる裏付けを取るために、父は王宮の一部諜報員や親しい貴族を通じて情報収集を急ぐ。母は表面的には穏やかに振る舞いつつも、オードリーが公爵令嬢として正々堂々と再び宮廷に上がれるよう、衣装や作法の確認を念入りに行った。
そしてオードリー本人は、指輪の力を再び感じながら、王太子とソフィアを打ち負かすための心の準備を整える。かつては王太子妃候補として深く学び、完璧な立ち居振る舞いを誇っていた自分——あの頃の輝きを取り戻し、さらに強くなった姿を、今度は逆襲として見せてやるのだ。
4.2 王家に与える制裁
そして迎えた、王妃主催の晩餐会当日。オードリーたち公爵家に正式な招待状が届いたとき、アルベルトがどのような反応を見せるかはわからない。だが、少なくとも堂々と王宮に足を踏み入れる機会が巡ってきたのは事実だ。
「お嬢様、準備はよろしいでしょうか」
侍女が控えめな声でオードリーを呼ぶ。ドレスに身を包んだオードリーは、鏡の前で深呼吸を繰り返した。濃紺を基調とするシンプルな装いだが、胸元や裾には細やかな刺繍が施され、金糸が夜空に散る星のようにきらめいている。かつて王太子妃候補として着飾っていたころを彷彿とさせるが、そこには新たな意志が宿っていた。
「ええ。行きましょう」
オードリーの声は落ち着いている。しかし、指輪をはめた左手は微かに震え、鼓動が高鳴っているのを感じる。彼女にとって、この晩餐会は過去の屈辱を晴らす場であり、同時に未来を切り開くための勝負所でもある。
晩餐会の舞台となる王宮の大広間は、巨大なシャンデリアが複数吊るされ、豪奢な装飾が施された天井画が来客を迎える。正面には王妃を中心に、王太子アルベルト、そして主要貴族や高官が並ぶ席が設えられていた。
公爵家が到着すると、さざめきの波が広間を包む。誰もが“婚約破棄された公爵令嬢”オードリーの姿に視線を向け、ひそひそと囁き合う。だがオードリーは屈することなく、背筋を伸ばして歩を進める。かつてとは違い、周囲の冷ややかな目は承知の上だ。むしろ堂々としていなければ、逆襲など夢のまた夢だろう。
ユージンは他の近衛騎士たちとともに警護の任に就いているため、直接オードリーのそばにはいない。しかし彼は目線だけで「あとは任せてくれ」と言わんばかりに彼女を見守っていた。オードリーは指輪をそっと握り込み、意を決する。
王妃は体調が万全ではないらしく、椅子に腰掛けたままだが、穏やかな笑みを浮かべて来客を招き入れている。アルベルトは王妃のすぐ傍らに立ち、ソフィアも王族に準ずるかのごとく、ほかの貴族婦人を従えていた。まるで“次期王妃”のような堂々とした態度である。
オードリーとその両親が目の前まで来ると、アルベルトは一瞬だけ表情を曇らせた。しかしソフィアがその腕を優雅にとり、何事もなかったかのように顔をほころばせる。
「……ご参列ありがとうございます、公爵閣下。そして……オードリー令嬢も、よくいらっしゃいましたね」
無表情で言葉を投げるアルベルトに、オードリーはわずかに唇を引き結ぶ。
(ようやく私を“令嬢”と呼ぶのね。以前は“婚約者”とまで言っていたくせに)
そんな皮肉を飲み込み、オードリーは丁寧に一礼する。
「王妃様のお招きと伺い、喜んで参りました。僭越ながら、今夜の席でぜひとも申し上げたいことがございます」
アルベルトが怪訝な顔をするが、王妃が温かな声音でオードリーを見やる。
「公爵令嬢、あなたがいらしてくれて嬉しいわ。落ち着いたらお話を聞かせてちょうだい。私はまだ万全な体調ではないのだけれど、こうして皆さんの顔を見るのは久しぶりで……とても心が和みます」
オードリーは王妃の柔和な姿に胸を撫でおろす。もしこの場がアルベルトの独断で仕切られていれば、挨拶すらさせてもらえなかったかもしれない。少なくとも王妃が目をかけてくれるなら、話をする機会は得られそうだ。
そうして晩餐会が始まり、楽師による演奏とともに貴族たちが歓談を交わす。オードリーは人目を避けるようにテーブルの端に立ち、静かに時を待つ。
(今が好機だと思ったら、私は公の場で証拠を示し、アルベルト殿下とソフィアに問い質す。もちろん、彼らは抵抗するだろうが、この場には多くの貴族がいる。さすがに彼らも強引な手段は使いづらいはず)
指輪を通じて感じる胸の奥の鼓動は、まるで彼女の勇気を後押しするように高まっていた。
やがて楽曲が一段落し、王妃が朗らかな声で呼びかける。
「せっかく皆様が集まってくださったのですから、お一人ずつ近況などをお聞かせいただきたいわ。特に公爵家には、久しくお会いしていなかったから……」
アルベルトの眉が微かに動き、ソフィアは目を細めている。明らかに「公爵家が何を言い出すのか」警戒しているのだ。
オードリーはテーブルを離れ、王妃のもとへ進み出る。
「王妃様、身に余る光栄にございます。実は……」
そこまで言うと、隣に立つアルベルトが無遠慮に割り込む。
「王妃様、オードリー令嬢はこのところ体調も思わしくないと聞きました。あまり無理をさせないほうがいいかと」
明らかな妨害だ。オードリーは怒りを抑えながらも、毅然とした調子で答える。
「お気遣い感謝いたします。しかし、私は本日この場で、どうしてもお伝えしたいことがございます。王太子殿下やソフィア伯爵令嬢に関わる、国の将来にとって重要な事柄についてです」
会場が静まり返る。ソフィアはアルベルトの腕を引き、何か耳打ちしているが、聞こえないふりをしてオードリーは王妃に目を戻す。
王妃は少し驚いた表情を見せながらもうなずき、「続けてちょうだい」と促す。
オードリーは深呼吸し、覚悟を固めて口を開く。
「私はかつて王太子殿下との婚約を約束されておりましたが、突然の破棄を宣言されました。その理由を、当時は何も聞かされず、私は悪女扱いされてきました。ですが、今ここにその真相を示す証拠があります」
ざわ……っと、貴族たちがどよめく。視線が一斉にオードリーと王太子を行き来し、ソフィアに注がれる。アルベルトは苛立ちを隠せないのか、唇を曲げて言い放つ。
「オードリー、勝手な言いがかりはやめろ。おまえが財産目当てで私に近づいたことは、すでに多くの者が知っている。今さら何を言おうというのか」
しかし、オードリーは動じず、母から渡された書類を差し出す。そこには、王太子の印章が押された文書の写しや、ソフィア伯爵家とのやりとりを示す覚書の写しがまとめられている。
「私は財産目当てで殿下に近づいたわけではありません。むしろ殿下とソフィア伯爵令嬢こそ、公爵家の財産と影響力を狙い、私を婚約者という立場で利用し尽くした末に破棄し、失脚させようと目論んでいたのです。この書類をご覧ください。そこには……」
オードリーは書類に書かれた具体的な文言を読み上げる。アルベルトとソフィアが公爵家を排除し、その資産や領地を事実上乗っ取る計画を示す一文、さらに公爵令嬢(オードリー)を“失墜させた後は事故死を装う”という恐るべき記述も含まれている。
「国民にはとても知られたくないような、卑劣な策謀ですわ。もしこれが真実でないなら、どうか殿下ご自身で説明してください」
アルベルトの表情が青ざめ、周囲からも「まさか……」と呟く声が漏れ聞こえてくる。ソフィアは必死に取り繕うように、オードリーを睨みつける。
「公爵令嬢……何を根拠にそんなことを! その書類は捏造されたものに決まっていますわ!」
しかし、オードリーは毅然と答える。
「捏造かどうかは、王妃様やここにいる貴族たちが判断されるでしょう。私がこの写しを得た経緯や、正本がどこに保管されていたかも明らかにできます。少なくとも、アルベルト殿下が私を婚約者とする一方で、公爵家を陥れる計画を進めていた事実は揺るぎないのです」
場内は騒然となり、誰もが二人のやり取りに注目している。その一角で、ソフィアは憤怒に駆られたように口走った。
「あなたたち公爵家は王太子殿下に逆らうつもりなの!? 反逆行為として処罰されてもおかしくないわ!」
その言葉こそが、彼女の内心の焦りを露呈していた。オードリーは冷たい眼差しでソフィアを見返す。
「あなたが王太子殿下の隣に立ち、ここまで権力を振りかざしてきたのは、この陰謀を完成させるためでしょう。婚約破棄の原因を私に押しつけ、悪女として追い詰めることで、公爵家と私個人を社会的に抹殺しようとした。……けれど、もう終わりですわ」
王妃は書類を受け取り、驚きと怒りに満ちた視線をアルベルトに向ける。
「アルベルト……これは一体どういうこと? まさか、本当にそんな恐ろしい計画を……? あなたが国王になる準備として公務を代行していたのは知っていたけれど、こんな形で……私は……信じられない……」
王妃の声は震え、顔色が失せている。その傍らで、アルベルトは動揺を隠せずに言い訳を探しているように見えるが、人前でどう取り繕っても、これだけの証拠を前に説得力はない。
さらにここで、公爵が前に出て声を上げた。
「陛下がご病気のため、王太子殿下が多くの公務を担うのは理解しております。しかし、我が公爵家や娘を謀略の犠牲にし、財産や権力を手中に収めようとするなど言語道断。先々代の時代から王家に仕えてきた我が家としては、真実を求めずにはおれません」
この発言に合わせるように、何人かの貴族が「これはただ事ではない」「真相を究明せねば」と声を上げ始める。大広間全体に緊迫感が走り、アルベルトとソフィアは明らかに劣勢に立たされた。
ついにアルベルトは痺れを切らしたように、強引に場を収めようとした。
「騒ぎすぎだ。これは誤解だ。公爵令嬢が捏造した文書を掲げ、私を貶めようとしているだけだ……!」
だが、その声はうわずって説得力に欠ける。ソフィアも繰り返し「捏造よ!」と叫ぶものの、周囲の貴族たちからは疑いの眼差しが向けられるばかり。
王妃は立ち上がろうとしたが、体調が万全でないのか、苦しげに椅子の腕を握る。そして、押し黙っている親衛隊の騎士たちを見回し、低く震える声で言い放つ。
「今すぐ、この文書の真偽を調べてください。国に仕える身として、もし王太子殿下が民や貴族を裏切る行為を働いていたのなら、見過ごすわけにはいかないわ……」
この一言が決定打となる。王妃が“調査を命じた”以上、アルベルトとソフィアの反論も通用しにくい。すでに場の空気は二人を批難するものへ変わりつつあった。公爵家の信頼と歴史、そしてオードリー個人の潔白を示す証拠がこれだけ揃っていれば、王太子といえども簡単に反論できない。
「そんな……馬鹿な……」
アルベルトは顔面蒼白となり、ソフィアは失神寸前のように肩を震わせる。二人が保有してきた権威が、音を立てて崩れ落ちていく瞬間だった。
こうして、オードリーの“公開の場での告発”は大きな成功を収めた。今後は公式な調査が行われ、アルベルトの王位継承権に関わる問題として国中に波紋が広がるだろう。
王妃が晩餐会の中止を宣言すると、貴族たちは口々に動揺や怒りを露わにしながら撤収していく。オードリーは何人もの貴婦人から「あなたこそ本当は清廉で、彼らに陥れられていたのね」「申し訳ない、信じてあげられなくて」と声をかけられた。
(今さら何を……)と皮肉を感じながらも、オードリーはただ淡々と礼を返す。彼女の中にはすでに、勝利の手応えと、ほろ苦い解放感が渦巻いていた。
4.3 誓い合う新たな未来
王太子アルベルトと伯爵令嬢ソフィアに関する正式な捜査が進められ、二人の計画していた“公爵家乗っ取り”や“オードリーの事故死工作”といった悪行が次々と明るみに出てきた。国王は病床のため直接の判断が下せないものの、王妃を中心とする重臣会議がこの問題を厳しく追及し、アルベルトは王位継承権を剥奪されることがほぼ確定となる。
さらにソフィアは、伯爵家の名誉を著しく損ね、違法な買収や文書偽造に関わった責任を問われて実家から勘当される形で拘束される見通しとなった。
こうして陰謀の中心にいた二人は、あっという間に失脚。オードリーを嘲笑し、婚約破棄を一方的に押し付けた代償はあまりにも大きかった。
その結果、オードリーにかけられた悪評も完全に払拭される。もともと社交界で噂されていた「公爵令嬢オードリーは国を騙そうとした悪女だ」という誹謗中傷は、大筋がソフィア側の捏造によるものだと判明し、周囲からは「誤解していて申し訳なかった」という言葉が相次いだ。
しかし、オードリーはこの事態を皮肉に思いつつも、冷静さを失わないよう自らを律している。
「今になって私を称えるなんて、なんだか空しいわね……」
そう呟けば、幼なじみのユージンが微笑んで答える。
「空しいことはないよ。君がこうして真実を明らかにできたのは、君の誇りと勇気があったからだ。もし何も言わず逃げ続けていたら、彼らの思うつぼだったかもしれない」
オードリーは頷き、指輪をそっと撫でる。まるで自分の行いを称えてくれているかのように、宝石が淡い光を宿す気がした。きっと、これは彼女が“正しい道”を選んだことへのささやかな祝福なのだろう。
やがて、国王の名代として王妃が公式にアルベルトの継承権剥奪を発表した。そのままアルベルトは謹慎を命じられ、ソフィアは投獄には至らないまでも、伯爵家の継承権を失い、ほぼ廃嫡状態でありながら監視下に置かれる身となる。
公爵家には謹んで謝罪が行われるとともに、オードリーへの中傷や悪評は完全に撤回。国中の貴族や民衆にも事実が知らされ、オードリーこそが“真に誇り高く気高い存在”であると評判が広まっていった。しかし、オードリーにとっては「今さらどう思われようと、もう気にしない」といった感慨が強い。
唯一の救いは、王家そのものが腐りきっているわけではないこと。あくまでもアルベルトとソフィアが暴走し、それを周囲が止めきれなかっただけなのだ。王妃が謝罪する姿からは、深い哀しみと申し訳なさがにじみ出ていた。
そんなある日、オードリーのもとへ近衛騎士団長から公爵家を通して連絡が入る。ユージンが今回の一連の騒動で功績を上げたことにより、上層部からその働きを高く評価され、さらなる昇進が検討されているというのだ。
オードリーはその報せを聞き、思わず笑みをこぼす。
「ユージンが、出世……当然と言えば当然よね。危険を冒してあれだけの証拠を集めてくれたのだもの」
ユージン本人は「あくまで騎士として当然の務めを果たしただけ」とあくまで謙虚な姿勢を崩さないが、その目には安堵と少しの誇らしさが浮かんでいる。
「もし、王家の今後を正す改革に携われるのなら、僕は全力でやりたいと思ってる。腐敗や陰謀がのさばらないようにしたいし、君みたいに理不尽な目に遭う人が出ないように……」
オードリーは彼の言葉に深くうなずく。王太子アルベルトの失墜で王位継承の順位が変われば、いずれ別の王族が次期国王となる可能性が高い。王宮を立て直す人材が求められているのは間違いないだろう。
そのとき、ユージンは静かにオードリーの手を取り、まっすぐな眼差しで見つめる。
「それに……君のことを守りたいという気持ちは変わらない。幼い頃からずっと、君が笑っていられるように支えたいと願っていた。今までは王太子殿下が婚約者だったから、心の奥にしまい込んでいたけれど……もうそういう障害はない。僕ははっきりと、君を守りたいと言える」
オードリーの心臓が一気に高鳴る。アルベルトとの婚約が破棄され、さらに自分を陥れた彼らが失脚した今、彼女の未来はまっさらだ。そこに、ずっとそばにいて支えてくれたユージンという存在がある。彼女は自然と涙が滲むのを感じながら、笑みを浮かべて頷く。
「私も……あなたがいてくれたから、ここまで立ち直れたと思う。あなたの優しさと勇気がなければ、私はきっと踏み出せなかったわ。だから……本当に、ありがとう」
ユージンはそっとオードリーを抱きしめる。かつては幼なじみとして無邪気に笑い合っていた二人が、数々の苦難を経て、いまようやく「愛」という形で繋がろうとしていた。
ある日の夕暮れ、オードリーは公爵邸の広い庭園で、ユージンから正式な告白を受ける。木々の間を柔らかな風が抜け、空が茜色に染まる中、ユージンは剣を帯びたまま片膝をつき、誠実な瞳で彼女に誓いの言葉を捧げた。
「オードリー、君を愛しています。これから先も君を守り、共に生きていきたい。どうか、僕にその権利を与えてくれませんか」
オードリーは涙を拭い、頬を染めながら力強く言う。
「私も、あなたを愛してる。ずっとそばにいて、私を支えてくれた人はあなただもの……。私にとって、あなたほど信頼できる人はいないわ」
こうして二人は、近しい友人や家族の祝福を受けて婚約を結ぶことになった。陰謀の嵐から抜け出したオードリーが見つけた“真実の愛”が、これからの人生を照らす光となる。
4.4 未来へ向かう一歩
アルベルトとソフィアが公式に裁きの場に立たされ、共謀が認められたことで、彼らの追放が決定した。ソフィアは王宮内での地位を失ったうえに、伯爵家からも勘当され、周囲からは距離を置かれている。アルベルトについては“王太子”としての責任を問われ、継承権を剥奪される形で国外への追放が言い渡された。
こうして、オードリーに降りかかった理不尽な仕打ちと屈辱は、結果として彼女が徹底的に反撃することで払拭された。公爵家は名誉を回復し、オードリーは晴れて“公爵令嬢”として再び堂々と振る舞うことができるようになる。
だが、オードリーはもはや過去の傷をいつまでも嘆くことをしなかった。彼女にとっては、いまこそ新しい未来を見据えるとき。
「私たち公爵家は、今後も国のために尽力する義務があるわ。だから、王家がどう変化しても、私たちは誇りを持って行動しようと思うの」
ユージンと婚約した夜、オードリーはそう語る。公爵家を“王太子妃の実家”として支えていくはずだった人生設計は崩れたが、だからといって公爵家が国への役割を放棄するわけにはいかない。
同様に、ユージンも近衛騎士としてさらなる改革を推し進めようと意気込んでいる。王宮の腐敗を一掃し、公正な政治を実現するため、同僚の騎士たちと力を合わせていく決意を固めている。オードリーはそんな彼の横顔を見て、胸が高鳴るのを覚えた。
(私もできることがあるなら、一緒に頑張りたい。もう“王太子妃”という幻想に縛られることはない。これからは私の意思で、国に貢献していけばいい)
公爵令嬢として、そしてユージンの婚約者としての日々が始まる。かつてのように人々の羨望を一身に集める存在ではなくなったかもしれないが、それでもオードリーはかえって自由を得た気持ちだった。愛されるために努力し、王家の期待に応えようとしてきた過去よりも、今は自己の意思で道を選ぶことができる。
あの不思議な指輪は、相変わらず彼女の左手の薬指に輝いている。古くから公爵家の女性たちに受け継がれてきたというこの指輪——オードリーに真の幸福をもたらす象徴として、いつまでも青い光を宿してくれるだろう。
「あなたが真実の愛を貫く限り、永遠に守り導く光を放ち続ける」——母からそう告げられた言葉が、いまオードリーの胸に深く染み渡る。嘘ではなく、本当に指輪が彼女の運命を変えてくれたのだと思わずにはいられない。
アルベルトとソフィアが去ったあと、王宮は一見平穏を取り戻したように見える。だが、そこには新たな王位継承の問題や、失踪した一部の貴族派閥など、小さくない課題が残っている。しかしオードリーは、それらを恐れながらも前を向いて歩むことを選んだ。
ユージンとの新しい生活、そして公爵家としての責務。かつては王太子妃になるしか道がないと思い込んでいたが、今はそうではない未来が広がっている。公爵令嬢としての誇りを胸に、彼女は自分の力で人生を切り開いていけると信じられる。
「私たち公爵家も、これまで以上に領地の人々を大切にし、国へ尽くしていくわ。ユージンと私とで、新しい形で国を支えていけるように……」
父や母も、それを温かく見守り、協力を惜しまないつもりだ。
「おまえが本当に幸せになるなら、それ以上に望むことはないよ」
と父が目を細めれば、母は目頭を押さえて「本当によかったわ……」と微笑む。
失意と絶望の淵に立たされたオードリーが、こうして再び家族と共に笑える日が来るとは、数ヶ月前には想像もできなかった。
——そして、ある日の午後。オードリーはユージンとともに公爵家の馬車で領地へ向かう。昔から親しい領主代理や商人たちとの面談が目的だが、ユージンも同行することで、領民や商人からの信頼を得やすいという話だ。
馬車の中で、オードリーは指輪を弄びながら窓の外を眺める。緑の草原が広がり、穏やかな風が吹き渡る風景は、どこまでも平和に見える。ここで暮らす人々を守っていくのも、公爵家の大切な責務だ。
隣に座るユージンは、かつてとは違う騎士の正装を身に着けている。騎士団長から推薦を受け、実質的に近衛隊の中心人物となりつつあるのだ。その凛々しい姿は、オードリーの胸をときめかせる。
「あなたがこうして私の隣にいてくれると、すごく心強いわ。昔も今も変わらず、私を守ってくれている気がする」
ユージンは照れたように笑う。
「僕はただ、君の笑顔が見たいから動いているだけだよ。これから先、いろんな困難が待ち受けているだろうけど、一緒に乗り越えよう。二度と君を悲しませたりしない」
オードリーはその言葉に深くうなずく。先の見えない未来ではあるが、確かに心を通わせた相手が隣にいれば、どんな苦難でも乗り越えられるだろう。
指輪の青い宝石が、陽光を受けてきらりと光を放つ。
“婚約破棄ざまあ”——理不尽な仕打ちを受けながらも真実を暴き、愛を勝ち取った令嬢として、オードリーはもう過去に縛られず、自由に未来を描けるようになった。
陰謀を打ち砕き、自らの誇りを取り戻した彼女は、たとえ何があってももう折れたりはしない。かつての苦しみは大きかったが、その傷跡こそが、今の強い彼女を育んだ証だ。
こうしてオードリーは、自分の力で得た“揺るぎない愛”とともに、新たな道へと歩み始める。かつての夢が壊された代わりに、今はもっと大きな幸せと自由がある。かつてよりも強くなった心、そして大切な人たちに囲まれて、彼女の未来は明るい光に満ちているのだから。