3.1 指輪に宿る力
夜会での婚約破棄、王太子アルベルトと伯爵令嬢ソフィアによる陰謀の気配——。
公爵令嬢オードリーの心は、まるで出口のない迷路に閉じ込められたような苦しみに苛まれていた。公爵家の名誉は地に落ち、彼女自身も“悪女”扱いされ、古くからの友人たちにも見放されつつある。
そんな孤立無援の状態の中、唯一の救いとなったのは、母から受け継いだ古い指輪と、そして幼なじみの近衛騎士ユージンの存在だった。
オードリーの母が手渡してくれた指輪には、「持ち主が危機に陥ったとき、不思議な力を授ける」という伝承があるという。もちろん、それをそのまま信じるわけではなかったが、追い詰められた状況で縋れるものがあるなら、藁にもすがりたい気持ちになるのは自然だった。
実際、指輪を受け取って以来、オードリーは自分の中に淡いけれど確かな“心の支え”を感じるようになっていた。何もしていないのに、指先に仄かに光が集まるような、不思議な感覚。母の言う「守りの力」が、本当に存在するのかもしれないと思わせる瞬間が、時折訪れるのである。
その晩、オードリーはソフィアからの嫌がらせ(街中で悪評を流される、侍女を買収されて日常を妨害されるなど)に疲れきり、自室の窓辺で憂鬱に俯いていた。季節は春へと向かい始めているが、心は重く、外はまだ冷たい風が吹き付けている。
「どうして私が、こんな目に……」
低く吐き出した言葉は、室内の静寂に吸い込まれていく。王太子妃として歩むはずだった未来が、一夜にして崩れ去っただけでも辛いのに、その後もなお辱めを受け続けるというのは耐えがたい苦しみだった。
すると、不意に左手にはめていた指輪の宝石が淡い輝きを放ち始めるのを感じた。暗闇の中でもわずかな光がわかるほど、その青い石はひそやかに光の筋を伸ばしているようだ。
「これは……?」
オードリーは驚きに目を見開いた。確かに薄暗い室内で、微かな光が宝石の奥から揺らめいている。まるで指輪自体が意思を持って脈打っているかのようだった。
興味と戸惑いの入り混じったまま、そっと宝石の部分に触れてみる。すると、頭の中にふっと何か声のようなものが響いてきた——。
「汝、正しき道を歩めし者に力を与えん……」
それは男性とも女性ともつかない、不思議な響きだった。はっきり耳に届くというよりは、意識の奥底に直接囁かれたような感覚である。最初は気のせいかと思ったが、まぶたを閉じるとその言葉がもう一度はっきりと再生された。
(正しき道……? 私に力を与える……?)
オードリーは戸惑いながらも、指輪が確かに何らかの“力”を放っているのだと悟る。母が言っていた伝承は、まんざら作り話でもなかったのだろうか。
かといって、これが具体的にどのような力なのか、オードリーには見当がつかない。ただ感じるのは、胸の奥にある恐怖や不安が、一瞬だけ和らいでいくような不思議な安堵感だった。まるで指輪が結界を張り巡らせ、彼女を穏やかな場所へと導いているかのようだ。
「私が正しいと信じる道を歩むなら……本当に、この力が味方してくれるのかしら」
そう呟いた瞬間、宝石の光はさらに輝きを増した。それが答えだと言わんばかりに、オードリーの視界を白い光が覆う。
一瞬意識が遠のいたようになり、気づくとオードリーは窓辺にしゃがみ込んでいた。頭を振って顔を上げると、すでに指輪の光は引いている。
「いまのは……夢じゃないわ。確かに感じたのよ」
自分で自分に言い聞かせるように呟きつつ、オードリーは胸の奥に小さな決意が生まれるのを感じた。
苦境に立たされている今だからこそ、自分の潔白を証明しなければならない。そして、王太子アルベルトとソフィアが何を企んでいるのか、その真実を掴まなくては。
あまりに理不尽な状況を前にして、怯えてばかりはいられない——そう強く心に刻んだとき、ほんのかすかに、宝石がもう一度だけ光で応えるのを見た気がした。
3.2 ソフィアとアルベルトの悪事
指輪によって得られた不思議な直感——それは、オードリーをある行動へと駆り立てる。
翌日、オードリーは屋敷を出て、こっそりと王宮近くの一角へ足を運んだ。目的は、かねてからうわさに聞いていた「ソフィアとアルベルトが密談に使っているかもしれない場所」を探りに行くこと。王宮内部は厳しく警備されているが、外郭や裏門付近は案外目が行き届いていないという。近衛騎士であるユージンの情報も手がかりとなっていた。
もっとも、公爵令嬢が一人でうろつくのは危険なので、オードリーは変装をして出かける。シンプルなブラウンの外套を羽織り、顔を浅くフードで隠し、侍女を連れず一人で馬車に乗る。この姿であれば、まさか公爵令嬢本人だとは思われないだろう。
昼下がりの王宮周辺は、人通りがそこそこあるものの、観光客や交易商人が行き交うメインの通りから少し外れれば、急にひっそりとする。オードリーは細い路地を慎重に歩きながら、噂に聞いた裏門を目指す。
なぜこんな無茶をするのか、自分でも分かっている。ソフィアとアルベルトが表向きには「新たな王太子妃候補と、その優秀な補佐役」として振る舞っている影で、どんな会話を交わしているのか確かめたいのだ。周りの貴族たちが気づいていない陰謀があるなら、それを暴かずにはいられない。
すると、石畳の突き当たりに小さな扉のようなものが見えた。王宮の裏門とされる場所の一つで、通常の通用門よりも規模が小さい。昼間は鍵がかけられているはずだが、アーチ型のトンネルをくぐった先に人影が見える。
(あれは……誰?)
オードリーは壁の陰に隠れて様子を伺う。数名の近衛兵らしき姿があるが、そのうちの一人が明らかに隊列から外れて裏門の内側へ立ち入っていく。普通なら門の外を巡回するか、内側に常駐するかで動きは固定されるはずなのに、不審な動きだと感じた。
しばらく待っていると、内側から別の騎士が出てきて、何やらひそひそと話している。遠くて聞き取れないが、どうやら賄賂か何かを受け取っているかのような素振りで、そちらを振り返って確認した後、短い言葉を交わしているように見える。
(まさか、ソフィアが裏から買収している近衛兵……?)
背筋に冷たいものが走る。王宮の警備を司る近衛騎士が買収されているとすれば、ソフィアたちの影響力は思った以上に大きいのかもしれない。
オードリーは足音を消してさらに奥へ近づきたいと考えるが、さすがに不用意に踏み込めば自分が見つかる可能性が高い。それに、手には武器も持っておらず、もし捕まったらどうしようもない。
(ここは少し離れて様子を見るしかないわね。指輪の力を感じられれば、何かわかるかもしれないけれど……)
そう思い、手元にある指輪をそっと握ってみる。だが、このときは宝石は何の反応も示さなかった。
(まだ、ここではないのかしら。焦らずにいよう。絶対に何かの痕跡をつかんでみせる)
オードリーは意を決して、その場を離れることにした。探索は一日で終わらない。いったん帰宅して、あらためてユージンに情報を集めてもらい、もう少し手がかりを増やすほうが賢明だろう。
翌日、オードリーはユージンと落ち合い、昨日目撃した状況を伝える。ユージンは深刻な表情でうなずきながら、思い当たる節があると言った。
「最近、一部の近衛兵の動きが怪しいという話を、騎士団内でも耳にするんだ。やたら金回りがいい者がいたり、隊の指示に従わず勝手に夜勤を代わりあったりしている者がいる。裏門に絡む話かもしれない」
ユージン自身は真面目な性格で、賄賂を受け取ったりはしないためか、そうした不正を密かに疑う仲間から相談を受けていたらしい。しかし、下手に告発しようにも上官がどう出るかわからず、事態を静観していたという。
「もしかすると、ソフィアが裏で手を回しているのだろうな。王太子殿下に気に入られさえすれば、騎士としても出世が早まる。おまけに伯爵令嬢という立場を利用して金銭面でも融通が効くだろう。誘惑に負ける者も出てくるかもしれない」
ユージンは苦々しく唇を噛む。オードリーは改めて、ソフィアとアルベルトの“共犯関係”がいかに強力かを思い知る。彼らには王太子の権威と、伯爵家の資金力がある。公爵家と違い、今は王宮の主流派に支持されているため、多少の違法行為も闇に葬り去ることが可能なのかもしれない。
「だけど、だからって放置はできないわ。近衛騎士や兵が買収されているとなれば、国の安全そのものが揺らぐのに……国王陛下もご存じないのかしら」
オードリーの問いに、ユージンは小さく首を振る。
「陛下はご高齢で、王太子殿下に公務を任せる場面が増えている。王妃様も体調が優れない時が多いし、実質的に王宮を取り仕切っているのはアルベルト殿下と側近たちだ。だからこそ、彼らが動かせる範囲が大きいんだよ」
オードリーは悔しさに拳を握りしめる。いくら権威ある公爵家といえども、現時点で王家の頂点に近い存在に逆らうのは容易ではない。ましてや、婚約破棄された今となっては、公爵家も面目を保つのがやっとなのだ。
そうした中で、オードリーは指輪から得た“直感”に従い、もう一度王宮近くへ赴こうと決意する。ユージンは危険を感じ、「自分も同行する」と申し出るが、堂々と近衛騎士がオードリーを引き連れていけば目立ちすぎるため、それは得策ではない。結果、オードリーだけが再び変装して密かに動くことになるのだった。
そして数日後の夜、薄暮の中、オードリーは再び裏門近くへと足を運んだ。昼間とは違い、周辺はほとんど人通りがない。遠くで見張りに立っている近衛兵がいるが、先日よりさらに緩い警備に見える。
(もしかして、裏で不正をしている者たちが当番の日なのかしら。今なら、ソフィアやアルベルトが何か動いているかもしれない)
期待半分、不安半分のまま身を潜めていると、やがて奥のほうから馬車の車輪の音が聞こえてきた。闇夜の中をゆっくりと進む馬車は、通常の正門を使わず、この裏門を通るためにやって来たらしい。近衛兵が慌ただしく動いている様子が、物陰からでもわかる。
オードリーは心臓が激しく鼓動するのを感じながら、馬車が門を通過する瞬間をじっと見つめる。月明かりに照らされ、馬車の窓辺に金色の髪の女性の横顔が一瞬映った。
(あれは……ソフィア?)
確証はないが、あの華やかな巻き髪と微かな香水の匂いは、間違いなくソフィア伯爵令嬢を思わせる。なぜ彼女は夜遅く、裏門から王宮を出入りしているのか。明らかに普通ではない。
やがて馬車は門を抜け、夜の街へと姿を消していった。オードリーはあとを追うことも考えたが、徒歩では追いつけないうえ、万が一気づかれれば危険が大きい。ここは情報を得ることを優先すべきだと判断して、一旦引き下がることにした。
(やはり、何か裏工作をしているに違いない。いずれ、その証拠をつかんでみせるわ)
3.3 失墜を望まない者たち
こうして、オードリーはソフィアとアルベルトが暗躍している事実を、少しずつ確信へと変えていった。指輪によって研ぎ澄まされた直感は、時折はっきりとした形でオードリーに“危険が迫っている”ことを告げるようにも感じる。
一方、王宮内ではソフィアが“新王妃候補”としてますます台頭し、貴族たちの支持を取り付けているという噂が絶えない。アルベルトも彼女の肩を持つ発言を繰り返し、「ソフィア伯爵令嬢の助言は国政においても非常に参考になる」などと公言しているそうだ。
もちろん、本当に優れた助言をしているならまだしも、実際は専横的な振る舞いで権益をかすめ取っている可能性が高い。先日、オードリーが会ったユージンの話によると、ソフィアは王宮の高官たちに金銭をばらまき、アルベルトの政策を押し通しやすいよう裏から根回しをしているとのこと。
また、オードリーに対する悪評も相変わらず根強い。何もしなくても勝手に噂が広まる状況で、下手に動けば「やはり悪事を働いた」と騒がれかねない。公爵家としても、一時は“守り”に徹せざるを得なかった。
だが、このままでは公爵家の名誉が地に落ちたままになるだけでなく、ソフィアとアルベルトがさらに勢力を伸ばし、いずれ国全体が混乱の渦に巻き込まれるかもしれない。オードリーは何とか真実を暴く手段を探ろうと、父である公爵や母とも相談を重ねるが、父も母も軽率な行動は取れないという考えだった。
「相手は王太子殿下とその腹心のような伯爵令嬢だ。下手に告発しても、こちらが口実を与えるだけになる恐れがある。いまは時期尚早かもしれない……」
父の言葉に、オードリーは唇を噛む。確かに、強引に糾弾すれば“叛意あり”と見なされ、かえって王家の怒りを買う可能性すらある。現王は老齢だということもあり、アルベルトが次期国王になるシナリオは、今のところ大きく崩れない。
そうしたもどかしい状況の中で、オードリーに手を貸してくれる仲間は、幼なじみのユージン以外にもほんのわずかに存在した。かつての彼女の友人でありながら、裏切らずに連絡をくれる者たち——クラリッサ、マリー、そして兄弟子にあたる男性のレオナルドなどだ。
彼らも表立ってはオードリーの味方だと宣言できないが、それでも時折密書を送ってくれたり、王宮の内部情報を探って伝えてくれたりしている。
「公爵令嬢オードリーに対する悪評の多くは、ソフィア陣営から広まった根拠不明のものだと私たちは知っています。でも、堂々と口にできないのが辛い……」
ある晩、クラリッサの手紙が屋敷に届き、オードリーはそれを読みながらやりきれない思いでいっぱいになる。友人として信じてくれる人がわずかでもいることは嬉しいが、それ以上に「こんな醜い噂を止められないのか」という無力感が募るばかりだ。
だが、指輪は再びオードリーに“閃き”を与える。
ある夜、彼女が部屋で床に就こうとしたとき、指輪の宝石が淡い光を放った。前に聞いた「汝、正しき道を歩めし者に力を与えん……」という声は聞こえないものの、オードリーの中に突如、はっきりとしたイメージが浮かんだのだ。
それは……王宮の書庫のような場所にある一冊の古めかしい文書のイメージだった。権力者の系譜や、過去の大罪人のリストが記された王家の記録書に近いものに見える。なぜ突然そんな映像が頭に浮かぶのか、オードリーにはわからない。けれど指輪が導いているのだとすれば、そこにヒントがあるのかもしれない。
「もし、それがソフィアやアルベルトに関する過去の秘密や、伯爵家の背後を示す証拠だとしたら……?」
そう思い立ったオードリーは、ユージンに相談してみることにした。ユージンは近衛騎士という立場上、王宮の一部施設に立ち入ることができるかもしれない。
オードリーはこっそりとユージンを公爵家へ呼び出し、指輪が示した“映像”のことを伝えた。最初こそユージンは不思議そうな顔をしたが、オードリーの真剣な表情に触れてすぐに納得し、行動に移してくれることを約束する。
「僕も、最近王宮の書庫で怪しい動きがあると聞いたんだ。何者かが深夜に無断で書物を閲覧し、持ち出し禁止の文書をこっそりと複製しているらしい。もしかすると、それがソフィアやアルベルト関係のものかもしれない」
ユージンが言うには、王宮の書庫には王家の機密文書や歴史記録、法律の原案が大量に保管されており、通常は許可証なしでは立ち入れない。さらに、一部の書庫はもっと厳重で、王太子やごく限られた高官しか閲覧できないという。
「ソフィアやアルベルトが、公爵家の財産や影響力を奪うために都合のいい文書を探しているのかもしれない。そして、逆にこちらが彼らの弱みを握れる文書もあるかもしれない」
ユージンの推測に、オードリーは深くうなずく。もしそこにソフィアとアルベルトが共謀している証拠が隠されているなら、それを押さえることで王宮内外に示すことができるだろう。悪評にさらされている自分の名誉を回復する手立てになるかもしれない。
そこでユージンは、騎士団長の配下として夜間巡回の任に就く日を利用し、書庫内の様子を探ることを提案する。ただし、厳戒態勢の書庫奥深くに入るのは簡単ではない。もし捕まれば、王太子殿下に叛意を抱く“国賊”扱いされる可能性もある。
「危険だけど、放っておけばソフィアとアルベルトの企みはどんどん進むだけだ。僕に任せてくれないか? オードリーがわざわざ危険を冒して王宮に忍び込む必要はない」
ユージンはそう言って、オードリーに安心させるよう優しく微笑んだ。だがオードリーは躊躇する。自分一人ならまだしも、ユージンを危険な目に合わせてまで情報を得ようとするのは気が引けるのだ。
「あなたがもし捕まったら……騎士としての立場を失うばかりか、下手をすると投獄だってあり得るでしょう。そんなこと……」
訴えるオードリーの瞳には涙が浮かんでいる。だがユージンは彼女の手をぎゅっと握りしめて言う。
「大丈夫だよ。僕は近衛騎士だ。ある程度は王宮内を巡回する権利がある。それに、オードリーをこのまま苦しませたままにするほうが、よっぽど耐えられない。僕はずっと味方だと言ったろう? 僕自身がそう望んでいるんだ」
しんと静まり返った公爵家の一室で、二人は互いの瞳を見つめ合う。何かを確かめるように数秒が過ぎ、オードリーはしっかりと頷いた。
「……わかった。私は、あなたを信じるわ。だけど、できる範囲で危険を回避してね。もし無理だと思ったら、すぐに身を引くこと」
「もちろんだ。僕だって、無謀に突っ走るつもりはないよ」
こうして、オードリーはユージンに王宮の書庫の探索を託すことになった。指輪による導きが正しければ、そこに隠された鍵を手にすることで、ソフィアとアルベルトの悪事を暴けるかもしれない。そう確信したからだ。
そして、行動はすぐに実行に移された。ユージンは自分が夜勤の巡回を担当する日を待ち、深夜にこっそりと書庫に入り込む準備を進める。
当日、オードリーは屋敷の自室で不安と期待に胸を揺らしながら、ただ結果を待つしかなかった。深夜帯とはいえ、王宮の書庫には門番や管理官がいるし、そもそも閲覧制限されたエリアは鍵がかかっているだろう。
「ユージンなら、うまくやってくれる……」
そう自分に言い聞かせながら、オードリーは眠れぬ夜を過ごす。
すると、不思議なことに指輪がまた仄かに光を放った。まるでユージンの成功を祈るように——あるいは、オードリーを落ち着かせるために——優しい光が彼女の指先を温める。
それは、希望の光だった。彼女がもう一度立ち上がるための力を与えてくれるかのように。
夜が明け、朝方に公爵家へ戻ってきたユージンは、意外にも静かな表情を浮かべていた。疲れの色は隠せないが、その目には確かな達成感が宿っている。
「……多少強引な手も使ったけれど、僕が求めていた文書の一部を確認できたよ。ソフィアとアルベルトが何を狙っているのか、はっきりしたかもしれない」
そう言って差し出したのは、数枚の手書きの写し。急いで書き写したようで、文字は走り書きだが、そこには“公爵家への制裁”、“莫大な負債の捏造”、“公爵令嬢の失墜後の処遇”といった、不穏な単語が並んでいた。
「これ……本当にそんなことが書かれていたの?」
オードリーは震える声で聞き返す。ユージンは重々しく頷いた。
「王太子殿下の印章が押された記録書に『公爵家を陥れ、財産を没収する計画』に関する文言があった。ソフィアの伯爵家も、裏でそれに協力して資金援助を行うという覚書のようなものだ。正式な国の方針として決定されたものではないようだけど、あれは極秘裏に保管されている書類で、本来なら王太子や限られた高官しか閲覧できないはずだ」
オードリーは愕然とする。一夜にして婚約破棄されたのは、単なる気まぐれなどではなく、周到に仕組まれた“計画”の一環だったというのだ。
「やっぱり……アルベルト殿下は私のことを、道具か何かとしか思っていなかったのね。最初から財産や公爵家の影響力を利用するだけ利用して、都合が悪くなったら切り捨てるつもりだったなんて……」
声が震え、悔しさと悲しみで胸がいっぱいになる。だが、それと同時に怒りが湧き上がった。そこまでして公爵家を貶めようとする理由は何なのか。王太子が国を治める立場になる前に、力を思うまま振るいたいのか、それとも裏にさらに大きな思惑があるのか——。
ユージンは写しをオードリーの手にそっと預けると、静かに肩に手を置いて言う。
「気を強く持ってくれ。これがもし公になれば、アルベルト殿下とソフィアの立場は大きく揺らぐだろう。君の受けた屈辱がすべて晴れるとは言えないまでも、少なくとも無実が証明される。だけど、そのためには十分な裏付けが必要だ。僕はこの写しだけでなく、正本を探すつもりだ。あるいは、別の関連文書を押さえなければ……」
オードリーは涙を浮かべながらも、力強く頷く。このままでは終われない。王太子とソフィアに“ざまあ”と言わせる逆転の機会は必ずある。そう信じられるだけの希望が、この数枚の写しには詰まっていた。
オードリーは指輪を握りしめる。
「私はもう逃げないわ。私が一度は慕った王太子殿下が、私や公爵家を踏みにじるなら、私はそれ相応の報いを受けさせるために立ち向かう。ユージンや皆がいてくれるのなら、きっと……」
指輪の宝石が、微かに青い光を放つ。まるでオードリーの決意を祝福するかのように。
こうして、公爵令嬢オードリーは真実を掴むための戦いに足を踏み出した。悪意に満ちた陰謀を暴き、失墜の運命から這い上がる。指輪の不思議な力と仲間たちの支えを得て、もう彼女は孤立していない。
この先、王太子アルベルトとソフィアがどれほどの策を巡らせようと、オードリーには指輪が示す“真実の光”がある。それは自らが正しい道を歩み続ける限り、決して消えることはないのだ——。