◇
体育館の裏から飛び出した佐治竜也は、さらにひと気のない校舎の裏側に行き、足元の排水溝の蓋を蹴って
「クソが!!!」
と叫んだ。
それから、真っ赤な頭を両手で掻き回し、絶望に打ちひしがれているかのように校舎の壁を叩いた。
彼の顔からはスチームアイロン並みに湯気が出ていた。
『たっくんの方が好きです……』
「あいつ……可愛すぎるだろ……」
耳の奥に刻まれた彼女の声はいつでも再生することができる代わりに、竜也の体力を極限まで削っていく。竜也はプルプル震えながら顔中に張り付いた熱と気持ちの悪い頬の痙攣を抑えようと必死になっていた。
その時だった。彼の制服の尻ポケットに差し込んでいたスマホが振動した。取り出して着信の相手を確かめ、竜也は思わず舌打ちをした。
「何だよ」
『はは、いきなり喧嘩腰だな』
タツ、とその男は気安く彼の名前を縮めて呼ぶ。
「何の用だって聞いてんだよ」
『別に。暇だったからタツはどうしてるかなと思って』
「てめえは俺のお袋かよ」
相手のスマホから微かな金属音がした。相手の耳についている七つのフープピアスの擦れ合う音だ。
つけ過ぎだ。いつか耳ごと引っこ抜いてやりたい。
竜也がそんなことを思っていると、
『久しぶりに遊んでくれよ、タツ』
笑いながら、彼が言った。
言葉通りの意味ではないなと気づいた竜也の目が暗い色に変わった。
◇
お昼ご飯、食べ損ねた。
たっくんに心臓をやられて、フラフラになって教室に戻ったらもう昼休みが終わりかけていて、空腹のまま五時間目、六時間目と過ごしているうちにもう放課後だ。
「くぅーん。お腹すいたあ」
「夢っち、ファミレス寄らない?」
「行きたい……けど……」
たっくん、また私と一緒に帰ろうとして門のところで待っているんじゃないかな?
たっくんの赤い髪を思い出していたら、スマホが鳴った。相手は今朝LINESの連絡先を交換したばかりのたっくんだ。
真っ黒の背景と真っ赤な円のアイコンだけっていうシンプルすぎる斬新なデザインだけでキュンとする。
「嬉しそう。誰から?」
「な、何でもない!」
たっくんからメール来たの、初めて。何だろう?
ワクワクしながらトークを開くと、絵文字もスタンプもない文面でこう書かれていた。
『野暮用ができた。今日は一人で帰れ』
「野暮用……?」
首を傾げた時だった。
「夢っち! 夢っちいいい!」
ちーちゃんとカナちゃんが私の肩をバシバシ叩き始めた。
「な、何? いたたた」
「きさ、木更先輩が」
「木更先輩?」
「やあ」
振り返ったのと同時に、木更先輩の爽やかな笑顔が目に飛び込んだ。
前後にある教室の扉の後ろ側から、木更先輩が白い馬に乗って颯爽と入ってこられ(注:イメージです)私の机の横までやってきて華麗に馬から降りられた(注:イメージです)。
「きさ……」
「ごめんね、突然。もう少し君と話がしたいと思ったから……迷惑だったかな」
「い、い、いいえっ……」
顔面強しの木更先輩に、一年女子のハートは大半持っていかれています。
彼氏持ちのちーちゃんとカナちゃんですら目が潤んでますよ。
みんなの視線が気になったのか、先輩ははにかみながら言う。
「ここじゃゆっくり話せないから、また生徒会室に来てくれないかな?」
「えっ⁉︎」
また先輩とお話ができる⁉︎
と思った瞬間、ぐうう、と空気を読まずに私のお腹が鳴った。
木更先輩がクスッと笑う。
今の音、聞かれたのかな。ああ、恥ずかしい!
「お腹すいているなら生徒会室より何か摘めるところの方がいいか。ドーナツなんてどう? もちろん僕のおごりで」
これは……夢でしょうか。
もしかして私、木更先輩から放課後デートに誘われてません?
いやいや、でも私にはたっくんという彼氏がいる。いくらお相手が木更先輩だろうと簡単にデートに誘われるわけにはいかない……。
なーんて思っているうちに。
「行きまーす!」
ちーちゃんとカナちゃんが私の背中をドンと押した。私の通学バッグも押し付けられる。
「チャンスだよ、夢っち! 今度こそちゃんと告白してこい!」
「あー明日の報告が楽しみ〜!」
悪意のない二人の眼差しが私を追い詰める。
木更先輩はニコッと微笑んだ。
「それじゃ、彼女借りるね」
自分が言われたわけでもないのに、クラスの女子が「彼女だってえ」と嬉しそうにデレる。
こんな状況で「やっぱり行けません」なんて断ったら、木更先輩のメンツが潰れてしまう。
ごめんね、たっくん。
心の中で謝りながら、私は先輩と並んで教室を出た。