昼間、私は街をぶらぶらしていた。
夜になるとすぐホテルに戻って寝る。
そんな生活を一週間続けたけれど――お母さんから「帰っておいで」の連絡は、一度もなかった。もう、お金も尽きかけていた。
LINEでお母さんにメッセージを送ったが、気づいたらブロックされていた。
お昼ごろ、私はホテルのロビーでぼんやりしていた。
ふと、遠くの屋内ガーデンの入り口に、絵になるような男女の姿が見えた。
男の人は背中を向けていて、広い肩幅とスラリとした体躯だけが見える。
女の人は曲線美のあるシルエットに、上品なロングドレス。顔を上げて、笑顔をその人に向けていた。だけど、私からは彼女の横顔しか見えない。
もっとよく見ようと、私は首を傾けた。
でもここ数日、ずっと頭が痛くて――
目の前の景色も、霧がかかったみたいにぼやけて見える。かえってその光景が、
まるで映画のワンシーンのような幻想的な雰囲気を帯びていた。私は思わずスマホを取り出し、その美しい構図を撮った。
――けれど。フラッシュを切るのを忘れていた。しかもシャッター音も最大になっていて――すぐに、ふたりは私の存在に気づいた。
男の人の横顔が、ギリッと強張る。私のほうを睨む視線が、あまりにも冷たくて――
思わず椅子の上で縮こまってしまう。そして、男と女がこちらに歩み寄ってきた。
やがて私の目の前に、時川徹と鹿野遥が立ちふさがった。
「鳴、お前……どうしてここにいる?」
時川徹の声は、相変わらず冷たかった。
私は遥お姉ちゃんを見て、口を噤む。怖くて、言葉が出てこなかった。
「スマホを出せ」
時川徹が手を差し出す。
私はビクビクしながら、スマホを差し出す。
不思議なことに――彼は、私のスマホのロックをすぐに解除した。
私は自分の6桁のパスコードの意味すら分からないのに。家族全員の誕生日でもなかったはずなのに。
彼はすぐに写真を見つけ出し、目を細めてその画面を睨んだ。
「なぜ盗撮した? 鳴、お前……遥に何をしようとしてるんだ? まだ彼女を傷つけ足りないのか?」
私は慌てて首を振った。泣きそうなほど怯えながら訴える。
「ち、違う……そんなつもりじゃ……」
姉のほうがずっと優秀なのは、私も分かってる。
私は平凡で、彼女に敵うわけなんてない。だから――奪おうなんて思ったこと、一度もなかった。
でも、お母さんはこう言った。
――私が姉の新作ドラマの発表会に、オーダーメイドドレスで現れたせいで、
姉が主演の座を逃した、と。記者たちは、私と姉がそっくりな容姿でありながら、
まるで違う雰囲気だと評した。姉は清廉で気品があり、
私は小悪魔っぽくて、無垢で無邪気――「演技の幅が広そう」とまで書かれて。
その日以来、姉の主演は白紙になった。
私は何も演じなかったのに、姉は一線俳優の道を失った。――だから、姉は私を恨んでる。
私が注目されるのが、気に食わないのだと。
どんなに弁明しても、誰も信じてくれなかった。
あの日、私は姉の成功を見届けたくて――
少ないお小遣いをはたいて、ドレスをレンタルした。恥をかかせたくなかった。
姉の隣で見劣りしないようにと、精一杯の努力をしただけだった。でも、結果的に姉を霞ませてしまった。私は――そんなつもりじゃなかった。本当に、違ったのに。
なのに、誰も信じてくれない。
あの時の、家族全員からの失望の視線。
毎日のように向けられる非難。息ができないほど苦しかった。二度と、あんな思いはしたくない。
「お願い……信じて……私は……」
私は時川徹の袖を掴み、涙ながらにすがった。彼は眉をひそめた。
「……まだ演技してるつもりか? 鳴、お前……記憶喪失なんて嘘だったんだろ?」
「わ、わかんない……わかんないけど……信じてよ……!」
私の記憶は、おかしくなってる。
思い出せることもあれば、忘れてしまってることもある。
でも、自分が何を忘れたのかさえ……思い出せない。
時川徹はスマホを軽く振り、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「じゃあ聞くが――お前が俺と遥の写真を撮ったのは、マスコミに売って、彼女の芸能人生を潰すためだろ?」
その目は、まるで――溝にうごめくネズミでも見るような蔑みの色を帯びていた。私の心に、ズキンと針が刺さるような痛みが走る。
まるで、自分が本当に最低なことをしたかのように思えてきて。
私はしゃくり上げながら、目を伏せてつぶやいた。
「……ごめんなさい。ただ……お二人があまりにもお似合いだったから……とても素敵な
その言葉に、時川徹の指がピクリと止まった。
「……今、何て言った?」
彼の冷たい瞳が、一瞬、震えたように見えた。