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意識の奥底で、誰かが激昂する声が聞こえた。

「どうしてまだ熱が下がらない!?

おまえたちは一体、何のためにいるんだ!」誰かがおずおずと答えた。

「……時川様、鹿野さんの薬剤耐性が強すぎるんです。

おそらく以前、大量の薬を常用していたと思われます。

なので、一般的な解熱剤では効果が出ないかと……」

「大量の薬だって? 彼女は病気じゃなかったはずだろう!」

それは、時川徹の声だった。ただ、いつもと違っていた。かすかに震えていた。

あの冷静沈着な声色とは、まるで別人のようだった。

沈黙のあと、医師がためらいがちに言った。

「鹿野さんの血液には、抗生物質の他にも、

精神を抑制する系統の薬物が大量に残留しています」

「精神抑制……?」

時川徹の声が掠れた。

「鳴には精神疾患なんてなかった。 なのに、どうしてそんな薬を?」

「……彼女が帰国してから、ずっと無気力で、何に対しても興味を示さなかったのは、それらの薬の影響かもしれません」

医師は言葉を選びながら続けた。

「精神安定剤には、鎮静作用があります。それにより、反応が鈍くなり、思考も遅くなることが多いのです。ですが――時川先生」

「……なんだ」

「薬物以外にも、鹿野さんは深刻な外傷を負っているようです」

「外傷?」

医師が私の首元にそっと手を伸ばす。

「こちらをご覧ください……。この傷は、ただの事故ではありません。できれば、全身を確認したいのですが――」

時川徹の鋭い視線が、空気を凍らせた。

それに気づいた医師は、あわてて口を濁した。

「……い、いえ、時川先生。やはり、ご自身で確認なさってください」

「出ていけ」

そう一言だけ発すると、部屋の扉が閉まり、中は静寂に包まれた。どれほどの時間が経ったか、わからない。

やがて、時川徹は深く息を吸い込むと、私の服のボタンをひとつひとつ外しはじめた。

次第に露わになっていく傷痕に、彼の手は震え出す。

ついには、ひとつのボタンすら外せなくなっていた。

冷たい空気が肌を刺し、私は思わず身を縮こめる。

小さな呻き声が漏れる。

――あの、果てのない暗く湿った日々に、また引き戻されるような感覚。そのとき、ぽとりと胸元に涙が落ちた。

熱くて、燃えるようなひとしずく。

私がずっと、欲しかった温もりだった。

けれど、それはすぐに肌の上で消えて、残り少ない体温すら奪っていった。

そして時川徹は、携帯を取り出して電話をかけた。その声は、抑えきれない怒りに震えていた。

「鹿野鳴がこの三年間、 国外で何をされたのか、すべて調べろ。今すぐだ!」


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