「白鳥翔。あ、翔って書いて、カケルね。よろしく」
はてな顔で見つめる私に、翔はスラスラと自己紹介してきた。
青みがかった黒い髪は、前髪が目に入りそうなほど長い。
襟足がスッキリ短いところを見ると、わざと長くしているんだとわかる。
「なんで泣きそーな顔してんの?」
隣の席から、顔をのぞき込んでくる白鳥翔。
「全然…泣きませんけど?」
強めに睨んだのは、軽く威嚇しておこうかと思ったから。
私が弱いのは、亜蘭だけ。
男子には超塩対応だと、学校でも言われる。
「…面白い顔…!」
睨んだ顔を笑われたのは初めてだ。
千夏と亜蘭のことを思って塞いでいた気持ちが少し…晴れていくのを感じる。
同時に、たったこれだけのことで楽になれると知って、さっき決めた計画がどれほど有効かと思う。
………………
「ねぇっ!聞いてる?ゆりっ?!」
ハッとして顔を見れば、さっきより化粧が濃くなってるうっちゃんが目の前にいた。
「…ごめん。引っ越しの手伝いで疲れて、ボーっとしちゃった」
「それなら…私が代わりに手伝ってこようかなぁ…」
冗談とも取れないうっちゃんの表情に、心臓が嫌な音を鳴らす。
「…兄は、積極的な人はあんまりタイプじゃないよ?」
「…そうなの?」
「あと…人見知りするから、仲良くなるのは難しいと思う」
平気で嘘をつくなんて…自分が少しは小賢しい大人になったと思い知る。
そして千夏のことで懲りた思いが蘇る。
「…少しずつなら、仲良くなれるよね?」
「うーん…」
うっちゃんは見た目通り、欲しいものは奪いにいくタイプ。
逆に亜蘭は…
高校を卒業してすぐ、実家を出たからか…亜蘭の千夏以降の彼女を知らない。
だからすぐに答えられなかった。
「…もういいっ!ウザがられない程度に近寄ってみるわ!」
勝手に決めて、先にカフェを出たうっちゃん。…そっと行く方向を見守っていたけど、ちゃんと駅の方へ行くので安心した。
「…遊びに行ったんじゃなかったのか?」
アパートに帰ると、荷物の整理をしていた亜蘭が、意外そうな顔を向ける。
「今の子、うかわ…さん?ずいぶんゆりとタイプ違うな?」
「そう…かな」
さり気なく、亜蘭の服を一緒に畳む。…さっきと同じ、ほんのり甘い香水が香った。
「…あのさっ!亜蘭って…彼女いるの?」
うっちゃんが明らかに狙ってるから、思いついて聞いてみた。
本当はそんなこと知りたくないけど…考えたら聞けなくなるから、すんなり言葉にしてみる。
「あー…いないよ。ゆりは…?」
「え…?」
…聞き返されると思わなかった。
「私は…いないよ、そんな人」
だって、亜蘭に片思いしてるんだから。なんだかんだ8年も…。
「そっか。そりゃ寂しいな?!」
笑いながら言う顔は、ちょっとからかいが含まれてるのを感じる…
「別に?!…勉強とバイトでめっちゃ忙しいんで!…好きでもない人と会う時間なんてないの!」
「勉強とバイトといえば…高校の時、ゆりがいきなりバイトを始めるって聞いた時は驚いたな…」
「あの時は…」
あの時のことを話すつもりなんてないのに、つい、言ってしまった。
「あの時、なんだよ?」
いつの間にか畳む服もなくなり、だいたい片付いた部屋の中。
手持ちぶたさになったところで、亜蘭の強い視線にさらされ…焦る。
「…あの時も、結局何も教えてくれなかったよな」
………………
「バイトしてお金貯めて、大学入学をきっかけに、家を出たいんだ」
「…は?マジ?」
高1、夏の夏期講習。
授業を終えて帰る時は、いつの間にか隣に白鳥翔が並ぶようになった。
「勉強とバイトの両立?…え、家庭複雑?離婚系?」
「そういうんじゃない」
「…うちの塾来てるってことは、それなりの富裕層だろ。学校だってめっちゃ進学校じゃん。だいたいバイト禁止されてない?」
黙る私に、白鳥は前に回り込んで言った。
「…学校にバレないバイト情報、持ってますぜ?」
もちろん怪しくない、という言葉を信じて、私は白鳥の話を聞いてみることにした。
「ゆり…!何時だと思ってんの?」
玄関を開けると、そこに立ち尽くす亜蘭の姿。
「ご…ごめんなさい」
いつもの優しい目に、怒りと心配の色を浮かべてる…
「どこ行ってたの?…誰と一緒?」
「…塾の友達と、ちょっとお茶しながら、わかんないところ教えてもらってて…」
「わかんない者同士で教え合ったってしょうがないだろ。…俺に聞けよ」
「…」
まっすぐ私を見つめる亜蘭の顔が見れない。
…塾に行く前に、家に帰ってきて聞こえた妖しい物音を思い出してしまう。
千夏と触れ合っていたであろう亜蘭の部屋になんて…もう入れないよ。
「…わかったのか?ゆり?!」
再度言われて…私はつい涙をこぼしてしまった。
…堰き止めた感情が決壊すれば、後は雪崩のごとく…
生まれて初めての、悲しみとも悔しさとも苛立ちとも言える感情が溢れて、涙となって表現されてしまう。
「…ゆり…っ!」
しかも目の前に亜蘭。
…こんな涙、一番見られたくない人なのに。
「こ、今度は…あ、亜蘭に教えて…も、もらう」
必死に平気を装って、それだけ言って亜蘭の脇をすり抜ける。
「…ご飯は?…食べてないんだろ?」
「きょ、今日はいい。あし…明日食べる」
2階に駆け上がり、部屋のドアを閉め…そのままズルズルと座り込んで、泣いた。