「…家、でっかいね…」
「うち、大家族だからさ」
白鳥から聞いたバイトとは、彼の中3の妹の勉強を教えることだった。
今日はその初日で、最寄り駅まで白鳥に迎えに来てもらって、初めて家に来たところ。
白鳥の両親も、うちと同じく忙しい共働きらしく、平日はほとんど留守だという。
「でも話のわかる人たちだから。いろいろ詮索しないし金払いもいいよ」
その後、中1の双子の勉強も見ることになり…高校時代はずっと白鳥の妹達の家庭教師をさせてもらった。
話の通り何の詮索もなく、相場よりかなり高い授業料を払ってもらった私。
「大学入学と同時に、一人暮らしをしたいの」
高3になって進路の話をする時、バイトして貯めたお金を見せて、両親を説得することができた。
「…なんで?」
話し合いの結果、一人暮らしを認められ…ホッとして部屋に戻ると、ドアの前に亜蘭が立ってた。
「ここからじゃ、地味に遠いし…」
「そうじゃなくて。…なんで俺に直接話してくれなかったの?」
バイトをしていること、亜蘭にはちゃんと話してなかった。
「…それは」
うまく嘘をつけなくて、ただ…黙ってた。
「勉強しながらバイトして、学校もあって…朝ごはん食べながらウトウトして、俺がどれだけ心配したか…」
「ご…めん」
千夏と付き合うようになった2人の、怪しい物音なんてもう2度と聞きたくなかった。…だから家の中でも、なるべく顔を合わせないようにしていたの。
今だって顔なんかまともに見れないんだよ…?
こんなの、妹として変な態度だってわかってるけど…亜蘭の吸い込まれるような目を見たら、泣いちゃうから。
そして受験を終えた私は、希望していた大学に入り…実家を出た。
…………
「で?…なんでバイトまでして実家を出たかったわけ?」
ベッドに座った亜蘭は、あの日の続きみたいな会話を続ける。
立っている私と、そんなに目線が変わらなくて…
亜蘭の瞳の色に初めて気づいた。
「…大人に、なりたかったんだよ」
…嘘ではなかった。
仕送りはしてもらってたけど、バイトしながら大学で勉強して1人で暮らせば…人より早く大人になれる気がした。
大人になれば、人に言えない恋をしている自分を許せると思ったから。
「大人…?」
意外なことを言ったみたい。
亜蘭は少し眉をひそめ、私をわずかに見上げる。
一人暮らしをしたかった理由が、亜蘭と離れたいからだったなんて、言えるはずない。
大人になりたかった理由だって、正直に言えない。
何もかも、この手の中にかくして呑み込んで、誰にも見えないようにしてきた…
今もそうやって、なんとか生きてる。
「…それで、ゆりは大人になったの?」
次に何を言おうか迷う私に、亜蘭から再びクエスチョンが落ちた。
大人…という言葉を吐いた唇を、私は無意識に見つめてしまう。
「…どういう意味…?」
おずおず質問してみれば、魅惑的な唇の口角がわずかに上がる。
…見てはいけないような気がしたのは、どうしてだろう。
そのまま視線を上げると、私だけを映して欲しい目の奥に、知らない亜蘭を見た気がした。
ふいに…手が伸びてきた。
ベッドに座る亜蘭の前に立つ私に向かって。
…指先が、腕に触れる。
「…俺がウザかった?」
「…え?」
腕をなぞった指先は肩に届いて、そのまま手のひらの感触と共に重みが加わった。
そして…立ち上がった亜蘭。
私の脇をすり抜け、冷蔵庫からビールを取り出した。
「あ…!いつの間に…?」
「さっき。友達連れてどっか行ったから、その間にコンビニ行ってきた」
プシュっとプルタブを開ける亜蘭。
私はグラスを出そうと、ガラス棚を開けた。
「このままでいい」
手が止まって、亜蘭に視線を移せば…缶のままビールを飲み干す姿が目に映る。
…喉仏が大きく上下して、自分にはないそれに、違う生き物なんだと再確認すると、また…見てはいけないものを目にした気持ちになった。
「俺さ…いつまでもゆりを子供扱いして、遅くなれば心配して怒って、つい…面倒見ちゃってたじゃん?…だから、ウザかったかなぁ…って」
照れたように笑う亜蘭は、いつもの亜蘭だ。
「…亜蘭には、可愛がってもらって…すごく嬉しかった」
「そぅ?」
二重の瞳が弧を描く。
優しく目尻が下がる…
…笑うと少しシワが寄るようになったんだね。前よりずっと…素敵だよ、素敵な笑顔だよ。
亜蘭…大好きだよ…。
本当はずっと、子供でいたかった…亜蘭に守られて安心して眠れた子供でいれば、離れずにすんだ。
言葉にできない思いで胸を満たす。
「…じゃあ、この3ヶ月…とことんゆりを可愛がってやろうか?」
いたずらっぽく笑う亜蘭。
「可愛がるってさ、意地悪するとか痛めつける…みたいな意味で使われることあるよね?」
「…なにその深読み?!」
「…ちゃんと…可愛がってよ?」
少しだけ…
少しだけ身につけた、あざとい笑顔を向けてみる。
うっちゃんに教わった。
「男はこれでイチコロ…!」って言ってた笑顔。
ちゃんとできてるかな…
「…お?そんなふうに笑えるようになったのか?」
気付いてくれた…
と同時に、頭を引き寄せられて、その胸元に閉じ込められて焦る…
「めっちゃ可愛い!…俺の妹」
…甘い香りの中に、亜蘭だけの匂いが混じる…