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不穏 第8話

亜蘭はなかなか帰ってこなかった…


眠れないまま布団に横になって、まんじりともせず玄関が開くのを待つ。


暗い玄関に明かりが灯ったのは…深夜をとうに過ぎてから。


布団にもぐった私に、視線が注がれた気がするけど…そのまま奥の部屋に入ってドアが閉められた。



今まで何してたの…?


起き上がって聞けたら。


胸を叩きながら、寂しかったよ不安だったよ…と訴えて、涙でグシャグシャの顔で、その胸に飛び込めたらどんなにいいだろう…





…シャワーの音で目が覚めた。


奥の部屋に続くドアは開いてて、窓から差し込む陽射しは、ちゃんと朝を伝えてる


泣き疲れて寝ちゃったんだ…


布団から出てすぐに着替えた。


亜蘭がシャワーしてるからすぐに顔は洗えないけど…鏡で寝起きの顔をチェックした。


…変な顔をするのはやめよう。


昨夜…うっちゃんと何があったとしても、私に責める権利はない。

亜蘭は誰のものでもない…自由なんだから。


感情の揺れ幅が大きくて、時々とても疲れを感じる。



「…あの子は、クセの強い子だな」


「うっちゃんのこと…?」


シャワーを終えた亜蘭と顔を合わせて…それだけ言って。

あとは何も言わなかった亜蘭。


…だから私も、何も聞かなかった。

それより、亜蘭との毎日の方が大切だって気づいたから。


もう会いたくないと…心乱されるばかりで辛いから会いたくないと…家を出たけど。


やっぱり一緒にいるのは嬉しくて。

しかも2人だけで…近い距離で。


限られた時間なら、私はそれを最優先で大切にしたい。


就職して、勤務地がどこになるかわからないなら…一緒に暮らせるのは今だけなんだから。




「アリだと思います」



居酒屋のバイトで一緒になった白鳥に言われた。

ピッチャーに生ビールを注ぎながら。


「好きになっちゃうの、わかるよ」


とっさに白鳥を見た。


「イケメンのお兄ちゃん、大好きなんだね」


「…なに言って…」


動揺が、運ぼうとしたグラスを倒した。


「大丈夫。俺は味方。ゆりの絶対の味方だから」


無理すんな…と、サワーを作り直して運んでくれた。


よくわからない白鳥の応援と理解だったけど…思いのほか私の心を軽くして、否定するのも忘れた。




そして、何があったのか…あれから大学でもうっちゃんには会わない。


連絡もないのは少し気になったけど…亜蘭との時間を大切にしたい気持ちが勝って、私からも連絡しなかった。




亜蘭との生活は穏やかに過ぎていった。

私は喜んで得意じゃないご飯を作ったし、苦手な掃除も頑張った。


中でも…洗濯物を干す時は、これ以上なく幸せな気持ちになった。


亜蘭のシャツ…靴下、下着。…どんなプライベートなものだって、妹という特権を持った私は堂々と扱えるのだ。


バイトは最小限にして、大学の帰りに夕飯の買い物をして帰る。


それはまるで…結婚ごっこ。

絶対に叶わない、亜蘭のお嫁さんの気分が味わえた。



「ゆり、ただいま」


「おかえりなさい」


当たり前のやり取りが幸せすぎる。

…人から見れば、変に甘い兄妹で気持ち悪いかもしれない。



…それでもよかった。


だって、亜蘭とのこんな暮らしは…刻一刻と、終わろうとしているんだから。





幸せな時間というのは、どうしてこうも早く過ぎ去るのか…


亜蘭がやって来て、早くも1ヶ月半が過ぎた。



「来月から出張が増えるから、その前にどっか連れてってやるよ」


それまでも、青いメタリックの車には何度も乗せてもらっていたけど、

今度は遠出するという言葉に心が躍る。



「ほんとに?!それじゃあ…えっと…温泉に行きたい!」


「…なかなか渋いこと言うじゃん」


「だって...車の運転は疲れるでしょ?少しでも癒してから帰らないと…」


「…泊まればいいでしょ?」


とっさに返事ができなかった。

…今でも一つ屋根の下、寝起きしてるのに。


「そう…だね」


意識してるのは私だけだと思う。

そんな心の動きを悟られないうちに、同意した。


「じゃ、決まりだ」


あっさり、来週末に日にちを指定して…話は終わった。



…同じ部屋に、泊まるのかな。



普通の兄妹はどうなんだろうと思いながら…反対にそんなことどうでもいいと思っている自分がいた。



だって…


亜蘭とこんな風に一緒にいられるのは、あともう少しだけなんだから。



最近の私はこの言葉を免罪符にしてる。

妹という立場を忘れて…兄に恋をする異常さをさらして。


亜蘭が欲しい…心も体も…そんな黒い感情に支配されて苦しくなることが増えた。


私は…亜蘭がこの部屋を去った後、元の生活に戻れるんだろうか。


…ふと、不安になった。






「…ゆり、久しぶり」


亜蘭と約束をした週末を翌々日に控えた日。


ずっと気になっていた人が、大学に現れた。



「…うっちゃん…」


明らかに様子がおかしい。

目が落ちくぼんで、泣き明かしたように赤い。

…それに、一回り痩せたように見えるけど…?



「ゆり…私…ヤバイよ。本気になっちゃった…亜蘭くんのこと、本気で好きになっちゃった」


どうしよう…と泣きながら抱きつかれても…私にできることなんてないのに。



「お願い、ゆり…亜蘭くんに会わせて?…気持ちを伝えたい。ちゃんと伝えたいの…」


どうやら、亜蘭のSNSを突き止めて、DMを送りまくっているらしい。

でもそのすべは、無視されているという。


「…こんな扱い受けたの初めてで…どうしたらいいかわからなくて、ずっと亜蘭くんのこと考えちゃうの…会いたい、話したいって…」


お願い…と泣き崩れるうっちゃんを見て、ふと亜蘭が行ってしまった後の自分を重ねた。


私もこんな風に、ギリギリの精神状態で、誰かに泣きつくのだろうか。


亜蘭を求めて…必死に、手を伸ばして。


そう思ったら…振りほどいて帰るなんてできなかった。





「…それで、話だけ聞いてやれと?」


「うん…どうしても、断れなくて」


その日帰った亜蘭に伝えてみれば、困惑と迷惑と諦めの表情。



「…ん。じゃあ…明日、駅前のカフェに来るよう言って」


やり取りが…高校時代の千夏の時と同じだと思い出す。

あの時は、それをきっかけに付き合いだして、私は自分を呪ったというのに。


また同じ過ちを犯そうとしてるのかな。



翌日は私も、居酒屋のバイトだった。

23時に白鳥と一緒に上がって、家まで送ってくれるという彼の隣を歩く。


この前、うっちゃんと一緒にいる亜蘭を見たのも同じシチュエーションだった。


でも今日はカフェで話してるはず。時間的に、もう話も終わって帰ってるよね。




「ゆり…」


コンビニから出てきた人に声をかけられて振り向く。


「亜蘭…」


そして、うっちゃんも。


私を見つけた彼女は、どこか焦点の定まっていない目を大きく見開いた。




「ありがとう…ゆり!おかけで…亜蘭くんと付き合うことになったの!」






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