清涼殿に仕える侍女たちは皆知っている。
「お菓子さえ渡せば、あの痴れた姫は何でも言うことを聞く」と。
ある日、光風霽月の誉れ高き少傅様が、ふと私に桜餅を一つくださった。
ただそれだけで、私は何年ものあいだ、彼に付きまとうようになった。
少傅様は表立っては何も言わなかったけれど、裏では私のことをたいそう疎んでいたらしい。
「羞知らず」「自ら枕を抱えて薦めるような女」――そんな言葉まで口にしていたと、あとから聞かされた。
けれど、そのときの私には、そんな言葉の意味すらわからなかった。
ただ、美味しいものをくれる少傅様は、きっと良い人に違いない。
そう思って、恩返しをしなきゃ、と本気で信じていたのだ。
そんなある日、奥州から戦の敗報が届いた。
御父様に最も寵愛されていた三番姉が、和親のために遠国へ嫁がされることになったという。
三番姉の御母様――中宮様が、桜餅の詰め合わせを手に私のもとを訪れ、深く頭を下げて仰った。
「どうか、あの子の代わりに嫁いでいただけませんか」
私は口元の餅くずを指で拭って、ひらりと手を振った。
「そんなに気に病まなくても大丈夫よ。お嫁に行くだけなんでしょう? 姉上が嫌なら、私が行けばいいわ」
その返答が、どれほど軽率だったか――
私は後になって、身をもって思い知ることになる。
御学問所の前で衛士に止められたとき、ようやく気がついた。
御父様は、私のことなどとっくにお忘れになっていたのだ。
当然、門番たちが私の名を知っているはずもなく、取り次がれることもなかった。
でも、中宮様は桜餅を一箱くださった。
ここで引き下がったら、せっかくの桜餅が無駄になる。
そう思った私は、頭をかきながら大声で叫んだ。
「父上ーっ! 十六です! どうか門を開けてくださりませー!」
「無礼者! ここは学問所ぞ。騒ぎ立ててよい場ではない!」
衛士が怒鳴り、手にした薙刀がきらりと光った。
私は裾をつまみ、全速力で走り出す。
御殿のまわりを何度もぐるぐると駆け回りながら叫んだ。
「父上ーっ! 十六です! お話がありますの!」
「何者か! ここで騒ぐとは――!」
ばたん、と扉が開き、公卿たちがぞろぞろと姿を現した。
中宮様は言っていた。
「御父様は金色の御袍をお召しになり、龍の文様を縫い取られている」と。
私は人混みの中からそれを見つけ、肩で息をしながら手を振った。
「お願いです! 止めてあげてください! 十六、もうクタクタですの!」
御父様は手を上げて衛士を下がらせ、私をじっと見つめた。
「十六? どこの十六だ?」
私はその場にひれ伏し、地に額をこすりつけて言った。
「十六は、清涼殿の東の間に住まう者にございます。母は林の更衣にございます」
「林の更衣……? 誰だ、それは」
御父様のそばに控えていた老女官が、そっと耳打ちした。
「かつて皇后様にお仕えしていた女房にございます。初夜に陛下のご機嫌を損ね、それきり二度と召されず……その後、十六姫をご出産なさいましたが、御名も賜われぬままに――」