俺はずっと魔力で古代竜(エンシェントドラゴン)を押さえつけ続ける。
主に重力魔法と魔法障壁を使ってだ。
障壁はともかく、重力魔法は魔力消費が激しい。
「——ryaa」
古代竜は小さく鳴く。そうしながら拘束から逃れようと懸命にもがいている。
古代竜を抑えられるのは、あと2時間程度が限界だろう。
余裕がないわけではないが、あまり悠長にもしていられない。
俺は再度古代竜に語り掛ける。あくまでも余裕をもって平然に。
自分の魔力は無尽蔵であるかのような態度で接する。
それでも相手は数千年、数万年生きる古代竜だ。表面上だけでも敬意を示す。
「竜よ、話し合う気にはなりましたか?」
「まさか我を押さえつける人間がいようとは……」
古代竜は人の言葉を話し始めた。
念話ではない。魔法で空気の振動を操り音を発生させているのだ。
念話よりはるかに高度な魔法である。
「暴れないと約束するのならば、解放しよう」
「約束しよう」
古代竜は大きくうなずく。
解放しようとしたところ、ヴィヴィが俺の腕をつかんだ。
「危ないのじゃ!」
「大丈夫だぞ。古代竜は誇り高い。約束をたがえることはない」
それに、もし仮に暴れたとしても、もう一度ぐらいならば押さえつけることはできる。
俺はゆっくりと魔法を解いた。
「強き人の子よ。迷惑をかけた。謝罪しよう」
そう言って古代竜はゆっくりと頭を下げた。
話し合う余地もなく襲い掛かってきた竜とは思えない殊勝さだ。
「先ほども言ったが、話し合いに来ました」
「応じよう」
「あなたの魔力と吠え声で近隣の魔獣たちが逃げ出しています」
「そうであったか。全く気付かなかった」
「逃げた先がこちらの住処なのです。とても迷惑しています」
「それはすまないことをした」
竜は再度頭を下げた。古代竜とは思えないほど、謙虚な竜だ。
先程会話を拒否して襲ってきたのは寝起きで機嫌が悪かっただけかもしれない。
「古代竜がなぜこのような人里に近いところにいるのですか?」
「ふむ。話せば長くなる。よいか?」
「構いません」
古代竜は語りはじめた。
古代竜は、北の極地を治めるドラゴンロードらしい。
竜の最高位、七柱いる大公の一柱なのだという。
「古代竜の社会に貴族制度があるとは知りませんでした」
「もちろん、古代竜の社会と人間の社会は仕組みが異なる。
大公というのは、そなたたちが理解しやすいように、人の言葉の近い単語に置き換えているにすぎない」
それでも古代竜に貴族制度があるというのは新事実だ。
ルカが聞いたら喜ぶだろう。
「だが、ますますわかりません。その竜大公閣下がなぜこのようなところに?」
竜大公はゆっくりと語り始める。
しばらく前、極点にある竜の玉座から卵が盗まれたのだという。
それを取り返すために盗人を追い、竜大公はこの地までやって来たということだ。
それを語る竜大公は怒りを抑えきれないという雰囲気だ。
人でいえば、愛しの我が子をさらわれたようなもの。怒りは理解できる。
「取り返せたのですか?」
「当然だ。二度とかどわかされぬよう、我が守っている」
「なるほど。それでさきほどは問答無用で襲い掛かってきたのですね」
「言い訳になってしまうが、人語を耳にするのも数百年ぶりだったのだ」
俺たちのことを卵泥棒だと思ったに違いない。
竜族にとって、人間個人の区別は付けにくかろう。それに寝起きの頭で数百年ぶりに聞く言語を理解しにくいのもわかる。
寝起きの頭では泥棒がわめいているととっさに考えても仕方あるまい。
竜大公は深々と頭を下げる。
「申し訳ない」
「そういうことなら、仕方ありません」
「許してくれるのか?」
「その怒りは正当です。わが子を盗まれたのなら、だれでも怒りますから」
「かたじけない」
再度竜大公は頭を下げた。
「事情はわかりましたが……」
「理解してくれたか。人の子よ」
「無事卵を取り返せたのなら、もとの住処にお帰りになられるのですか?
さっきも言いましたが、あなたがこの場にいるだけで魔獣たちの生態系がおかしくなるのです。正直に言って非常に迷惑をしています」
「申し訳ない。そうしたいのはやまやまなのだが、無理なのだ。この羽ではな」
古代竜は翼を広げた。それだけで、古代竜は小さく声を出す。
痛いのだろう。
飛膜は無残にも破れている。翼の骨もあらぬ方向に曲がっていた。
ちなみに先程の戦闘で、俺は羽には攻撃していない。
それに、火炎弾ではこうはならない。
「その傷はどうされたのですか?」
「卵泥棒との戦いで負った傷だ」
極地まで行き、竜大公の玉座から卵を盗んだのだ。弱いわけがない。
だが、ここまでの手傷を竜大公に負わせるとは。
ヴィヴィ以外の、魔王軍四天王クラスの強さはありそうだ。
いやもっと強いかもしれない。
「竜大公をここまで傷つけるものがいるとは、意外です」
「我に勝ったおぬしがそれをいうのか」
竜大公は、楽しそうに笑っているかのように細かく鼻息を吐く。
「怪我をしていたのでしょう? 万全の体制だったらどちらが勝っていたかわかりませんよ」
「謙虚だな」
「事実です」
それを聞いて竜大公は、少しの間何かを考えるように沈黙した。
「……卵を質に取られていたのだ。取り戻すのに苦労した」
「なるほど」
それならば、古代竜がここまで傷つけられる理由がわかる。
「優秀な治癒術士が友人にいます。連れてきましょう」
古代竜の体は大きい。並みの治癒術士ならば手に負えない。
傷口と全身の把握分析が無理だし、そもそも魔力量が足りない。
だが、当代一の治癒術士、聖女ユリーナであれば治療できる。
ゆるゆると、竜大公は首を振る。
「かたじけない。だが、それにはおよばぬ」
「なぜでしょう?」
「われはもう死んだ身だ。治癒魔術は効かぬ」
「アンデッドということでしょうか?」
「そうだ。魔力で肉を維持しているだけのスケルトンにすぎない」
死後も肉体を維持しようとすれば、消費魔力はとても多い。
だからスケルトンは肉をそぎ落とし骨だけになるのだ。
肉を腐らせず保持しているのは古代竜の膨大な魔力量があってこそだろう。
「アンデッドになってまで、この場にとどまるのは、卵を守るためでしょうか?」
「そうだ。わが子が巣立つまでは何としてもこの場にとどまらねばならぬのだがな……」
竜大公の気持ちはわかる。協力してやりたい。
だがとても困る。
古代竜の卵が孵り、巣立つまで何年かかるのだろうか。数か月ということはあるまい。
10年で済めば早い方だ。100年かかっても不思議はない。
「……ちなみに巣立ちまで何年ぐらいかかるのでしょう?」
「10年か、20年か。そのぐらいであろう」
「なるほど。思っていたよりも短いのですね」
それでも困ることには変わりない。どうすればいいだろうか。
俺が悩んでいると、竜大公が口を開く。
「……そなたを信頼して話そう。口惜しいが、そろそろ限界が近づいておる」
「限界とは?」
「卵泥棒との戦いの際。呪いを食らった」
「どんな呪いですか?」
「ゾンビと化す呪いだ」
それは非常にまずい。古代竜のゾンビなどシャレにならない。
国が滅びかねない。
「そのうえ、不死殺しの矢も受けている」
「不死殺し……」
不死殺しの矢は俺のひざを砕いた呪いだ。いまだに俺を苦しめている。
ゾンビ化する呪いに加え、不死殺しの矢。
解呪の方法はいまだ見つかっていない。とても厄介だ。
「われはゾンビ化を押しとどめるため、スケルトンとなった。だがゾンビ化の呪いは消えない。不死殺しも消えはしない。いまだに我をむしばんでおる」
「私も不死殺しの矢をひざにくらった身です」
「そうか。不死殺しの矢に苦しめられている者同士、邂逅(かいこう)するとは。とても奇異な運命であるな」
古代竜は笑う。笑うと言っても、鼻息が荒くなった感じだ。
ひとしきりわらうと、竜大公は静かに語りだす。
「近いうちに我はゾンビと化すであろう。全力で抵抗しているが、身体を蝕む呪いが止まらぬ。
夜は特に呪いの進行が早いのだ。あまりの苦痛に眠れないほどだ」
「昨日の声は、それでしたか」
「聞かれておったか。恥ずかしいがそうなのだ。死を願うほどの苦しみだ。
それでも、わが子のためにとどまってきた。
だが、もう限界だろう。今日、明日にでもゾンビとなってもおかしくはない」
スケルトンと化しただけなら、クルスの聖別で聖獣になれるかもしれない。
だが、不死殺しの矢の呪いにゾンビ化の呪いもかかっているのならそれも難しかろう。
竜大公は俺の目をじっと見る。黒い瞳がまるで黒曜石のようにきれいだった。
「わが名は極北の大公、ジルニドラ。強き人の子よ。名前を聞かせてはもらえないだろうか」
「私は子爵のアルフレッド・リントです」
向こうが爵位付きで自己紹介したので、礼儀かと思って俺も爵位つきで返答する。
「子爵閣下であったか。この地の領主なのか?」
「いえ。私は村の衛兵です」
「……なぜ子爵が衛兵を?」
「まあ、色々ありまして」
「そうか」
しばらくの間、全員黙った。
沈黙を破ったのは古代竜ジルニドラだった。
「アルフレッド・リントよ。願いがある」
「なんでしょう?」
「われを殺してくれ」
ゾンビになりたくないのは当然だ。誇り高い竜大公ならば余計にそうだろう。
「卵はどうするのですか?」
「アルフレッド・リント。わが子を頼まれてはくれぬだろうか」
予想外の提案だった。
「……私は竜の子育てなどしたことありません」
「竜の卵は手がかからない。温める必要もなければ、ひっくり返す必要もない。放置しておけば孵る。
それに、はっきりとはわからないが孵化は近いと思う」
「それだけ聞けば、楽そうですが」
「火炎耐性も氷結耐性も高い。傷つけることも容易にはかなうまい」
「ということは、盗人から守ってほしいということですか?」
「そうだ。アルフレッド・リント。おぬしは強い。我に勝利するほどだ。それにおぬしは信頼できる人間だと我は思う」
「ふむ」
「厚かましいのはわかっている。だが、頼む。哀れな親の最後の願いである」
子供も親もいないのに親子の愛情とか言われると俺は弱い。
出来れば力になってやりたい。
俺はヴィヴィに尋ねた。
「ヴィヴィ。骨以外を焼却して、スケルトン化することはできないか?」
そうすれば、モーフィのように、クルスに頼んで霊獣にしてもらえるかもしれない。
ヴィヴィは険しい顔で考えこむ。
「……難しいのじゃ」
「やはり、ゾンビ化の呪いがかかっているからか?」
「それもあるのじゃが……。それよりも、竜大公の身体はすでにスケルトンになっておるのじゃ。
スケルトン化しているものを、さらにスケルトンにする術をかけるのは不可能じゃ」
ヴィヴィの言う通りだ。
俺は別の方法がないか考える。
「……ゾンビ化の呪いが解ければ」
「アルフレッド・リント。ありがたいが、ゾンビ化の呪いは不可逆じゃ」
「……そんな」
「ゾンビ化の呪いは、容易にかけられるものではない。
翼は折れかけ、体にも深い傷を負ったが、我はまだ優勢に戦っていた。
それに焦ったのだろう。盗人は卵を質に使い始めた。我は盗人の命令に従うほかなかったのだ。
呪いの杯を飲み干し、魔法陣に自ら入った。そして障壁を解除し受け入れたのだ」
竜大公をゾンビ化する。それは不可能に近い。
だからこそ卵を質として、竜大公、自らそうせざるを得なくしたのだ。
「よく。卵を取り返せましたね」
「うむ。我にゾンビ化の呪いがかかったとき、盗人は油断した。
魔力を反転させ、進行を食い止め、一撃を食らわせ、卵を取り返して折れた翼で飛んで逃げたのだ」
「なんと」
ゾンビ化の呪いがかかれば、すぐに意のままに動く傀儡と化す。しかも翼が折れかけている。
だから油断したのだろう。
呪いが発動するかしないか、その刹那。一瞬の隙をついて、取り返したのだ。
親の執念というべきかもしれない。
「一撃を食らわせたとのことですが、卵泥棒はどうなりましたか?」
「深手は負ったはずだ。だがとどめはさせていない。卵を持って逃げ出すので精いっぱいだった」
「泥棒はどんなやつでしたか?」
「名前は知らぬ。だが、魔人だ」
人型の魔獣とも言われている魔人は強い。
なみの冒険者や竜では太刀打ちできないだろう。
「わかりました。引き受けましょう」
「そうか。ありがたい」
竜大公は地面にひれ伏した。
それから竜大公は大事そうに卵を取り出す。
卵は、竜大公と同じく綺麗な白色で、中型犬ほどの大きさだった。
卵を受け取る。ほのかに暖かい。
「卵は任されました。安心してください」
「かたじけない」
それから古代竜は卵に指で触れてから、優しく語り掛ける。
「巣立ちまでそなたを護れない不甲斐ない親を許してほしい。……どうか。どうか幸せになるのだぞ」
名残惜しそうに、竜大公は優しく卵に指を触れ続けた。
指を触れたまま、俺の目を見る。
「アルフレッド・リントよ。どうか、わが子を頼む」
「わかっています。安心してください」
「わが子の名はシギショアラという。不甲斐ない親である我が与えられるのは名ぐらいだ」
「シギショアラ。了解いたしました」
「ありがとう」
竜大公は小さな袋を首の鱗の裏から取り出した。
「これがいま我がもつ唯一の宝物だ。これがあれば同族の協力が得られるだろう。好きに使うとよい」
「ありがたく頂戴いたします」
竜大公は安心したかのように目をつぶる。
「われはすでに死んだ身である。ゾンビと化す前にわれの死体を滅却してほしい」
「了解しました」
竜大公は自身の魔法障壁を解除していく。
その後、俺の最高火力の火炎魔法を使って、竜大公の肉体を一瞬で焼き尽くした。