小屋から出ると、月明かりに照らされた巨大な飛翔体に気が付いた。
一応、暗視の魔法を自分にかける。
「でかいな」
クルスも小屋から飛び出してくる。
左手にはこぶし大の石を、右手には投石紐を持っていた。
わざわざ急いで自室に行って取ってきたのだろう。
鳴ったのは、空中からの侵入者に反応する警戒魔法陣だ。だから空中戦に備えているのだ。
「敵ですね! 任せてください」
意気揚々なクルスは巨大な飛翔体を一目見て、石を地面に投げ捨てた。
「必要なのはこっちですね」
聖剣をすらりと抜いた。巨体を見て、投石程度では通用しないと判断したのだ。
「一応暗視魔法かけとくな」
「ありがとうございます!」
クルスは結構夜目がきくほうだが、それでも当然、昼間よりは見えない。
暗視魔法のかかった目で、改めてクルスは飛翔体を見る。
「あ、なんだ」
クルスはすぐに聖剣を鞘へと戻す。脅威を感じなかったのだろう。
「お、大きいです。なんですかあれ」
「……しゅごい」
遅れて出てきたミレットとコレットは口をあんぐりと開けていた。
二人とも素早く自分に暗視の魔法をかける。
魔法訓練の成果だ。暗視魔法は基本の魔法の中では難しい方である。
それでも、すんなりと魔法を成功させた。大したものである。
「な、なんですか、あれ」
「しゅ、しゅごい」
暗視魔法で見ても、ミレットとコレットの感想は同じだった。
それからルカとユリーナがやってくる。
鎧を身につけていたせいか、ミレットたちよりさらに遅い登場だ。
「古代竜(エンシェントドラゴン)じゃないの!」
「暗くて遠いのに、よくわかるわね。さすがルカなのだわ」
流石魔獣学者のルカである。月明りだけで、飛翔体の正体を見抜いた。
一応、俺は暗視の魔法をルカとユリーナにかけてやる。
「りゃ?」
シギショアラが、ルカの古代竜という言葉に反応した。
「シギ。お前の親戚かもしれないぞ」
「りゃあ」
親戚かもしれないが、もしかしたら敵かもしれない。
油断はするまい。
古代竜の社会は知らないが、人間社会では大公の忘れ形見など陰謀の種になりがちなのだ。
「万一のこともあるし、村から離れたところで出迎えよう」
もし戦闘になれば、大惨事になる。村が巻き込まれたら大変だ。
俺はフェムに目をやった。それだけで、フェムは大きくなってくれる。
「フェム、ありがと」
「わふ!」
俺が乗るとフェムはすぐに走り出す。ルカとクルスがついてきた。
「あたしも行くから」
「ぼくも行きますよー」
「おお、助かる」
クルスとルカが同行してくれるなら心強い。
俺は昼間魔力を使いすぎた。それでも戦えると思う。
だが、古代竜と戦うとなると、大量に魔力を使うことになる。またひざで石が成長したらたまらない。
ユリーナとヴァリミエはついてこない。村の防衛を担当してくれるのだろう。
「待つのじゃー」
そこに、モーフィに乗ったヴィヴィが追ってきた。
フェムが少しだけ速度を落とす。
「どうしたヴィヴィ」
「わらわも行くのじゃ」
「もっもー」
モーフィはなぜか楽しそうだった。人を乗せて全力で走るのが好きなのかもしれない。
今度、乗って走らせてやろうと思う。
「……そうか、それは助かる」
そう言いながらも、俺は少し困っていた。
モーフィは強い。古代竜と戦うことになっても大きな戦力なるだろう。心強い。
だがヴィヴィを戦力として数えていいのだろうか。
ヴィヴィは魔導士としては優秀だ。だが、古代竜には吠え声がある。
ヴィヴィは一瞬で無力化されてしまうに違いない。
「わらわも、ひそかに戦闘魔法を練習してきたのじゃ」
胸を張るヴィヴィに、俺は何も言えなかった。
まあいいか。モーフィがいれば、命の危険は少ないだろう。
「そうか、無理はするなよ」
「わかっておるのじゃ!」
俺たちは急いで古代竜の元へと向かう。
古代竜は近づいてこない。一定の距離を保って、滞空しているように見えた。
村に配慮してくれているのかもしれない。そうであれば、敵ではない。
「クルスわかっていると思うが、話し合いだからな」
「わかってますよ。シギちゃんの親戚ですよね」
「親戚とは限らないけどな」
俺たちが近寄ってきたのをみて、古代竜はゆっくりと地面へと降りてきた。
優雅な所作だ。高貴さを感じさせる。
シギの親である、大公ジルニドラに比べても動きが優雅だ。
ジルニドラはゾンビ化と不死殺しの矢にむしばまれていた。そのせいで動きに余裕がなかったのだろう。
シギの親のことを思い出すと胸が痛む。
「りゃ?」
懐の中でシギが鳴いた。そっと手を添えてから、フェムから降りる。
そして、古代竜に向けて大きな声で語り掛けた。
「偉大なる竜よ。我らに何か御用ですか?」
初対面の相手には敬語を使うのが礼儀である。その上古代竜は長命なのだ。
十中八九、俺より年上に違いない。敬意を払っておいて損はない。
「我が名はティミショアラ。北方高地の支配者にして古代竜の子爵である」
ティミショラは流暢な人語を紡ぐ。
「ふあ! すごい」
ルカがつぶやいた。古代竜に出会うのは初めてではないだろうに、はしゃいでいる。
いつも冷静なルカには珍しい。研究者モードなのだろう。
「私は子爵アルフレッド・リントです」
「クルスだよ!」
「子爵ルカ・ラーンガウと申します!」
「ヴィヴィ・リンドバルじゃ」
クルスとルカはテンション高めだ。ヴィヴィは緊張している。
クルスもきちんと自己紹介するべきである。あとで説教しよう。
「我が姪シギショアラがこちらにいるらしいではないか」
「確かにシギショアラはいます」
「やはり」
ティミショアラの鼻息が荒くなった。
「なぜシギショアラという名をご存じなのですか?」
「我が姉、竜大公ジルニドラは、卵に名前を付けていたのだ。だから知っておる」
「そうでありましたか」
卵から孵る前から名前を付けるのが古代竜の文化なのかもしれない。
「りゃあ」
そのとき、シギが俺の懐から首だけ出す。
なにやら、シギはティミショアラの姪らしい。というか、シギはメスだったのか。
古代竜の性別は、学者であるルカでも、見分けられないのだ。
「おお、シギショアラよ。息災なようで何よりである」
ティミショアラは俺の胸元に鼻先を近づける。巨大なので鼻先とかそういうレベルでもない。
言葉を発するたびに、息で吹き飛ばされそうである。
「……ゎふ」
横目で見ると、フェムがプルプルしていた。怯えているのだ。
古代竜は絶対的な強者である。獣としての本能がフェムを怯えさせているのだ。
大公ジルニドラと対峙した時、フェムは今ほど怯えていなかった。
ゾンビ化しかけて、弱っている古代竜と、健康な古代竜では威圧感が違うのだろう。
「もっもー」
「モ、モーフィ。下がるのじゃ」
一方、モーフィはティミショアラの下あごの右側の匂いを嗅ぎまくっていた。
それどころか、べろべろ舐め始める。
楽しそうだ。まったく恐怖を感じていない。モーフィは獣としての本能を失っている気がする。
そして、ヴィヴィは怯え気味だ。
「りゃ?」
シギは物おじせず、ティミショアラの鼻先をぺちりと叩いた。
度胸があって素晴らしい。
「ふふふ」
ティミショアラは楽しそうに笑う。笑うと鼻息がすごい。
ティミショアラとシギは、しばらく匂いを嗅ぎあっていた。
そのあと、ティミショアラは俺の目を見た。きっと目が合ったのだろう。
だが、でかすぎるので、視線が合うといった感じはしない。
ティミショアラの瞳の直径は、俺の身長よりも大きいのだ。
「人族の子爵アルフレッド・リントよ。わが姪を保護し、養育してくれたこと礼を言おう」
「シギショアラを育てることは私の楽しみでもあります」
「そう言っていただけると、我も嬉しい。だが、人の身で古代竜を養育することには苦労も多かろう」
「苦労より喜びの方が多いので」
ティミショアラは満足そうにうなずいた。ほんのわずかな角度だけ顔が動く。
だが巨体なので、俺の身長ぐらい動いた。
「これまで大変、苦労をおかけした。だが心配せずとも良い。今後、シギショアラは我が責任をもって養育しよう」
ティミショアラがとんでもないことを言い出した。