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126 シギショアラの親権問題

 養育を申し出たティミショアラからは、邪気を感じない。

 素直に姪を大切にしたいと考えていそうである。

 だが、シギを渡すつもりは俺にはない。


「せっかくのお申し出ですが、お断りさせていただきます」

「ほう?」

 ティミショアラの鼻息が荒くなった。


「子爵アルフレッドよ。なぜ断る。古代竜(エンシェントドラゴン)は古代竜が養育するのが自然だと思うが?」

「シギは私の子です」

「ふむ。だが、我はシギショアラの母である竜大公ジルニドラの妹。つまり、叔母である。姉上が崩御(ほうぎょ)した以上、叔母である我が養育するのが筋ではないか?」


 たしかに、ティミショアラが養育するのが筋なのかもしれない。

 それでも、シギはジルニドラから俺が託されたのだ。

 卵のころから温めて、育ててきたのも俺である。


「あなたさまが、シギの叔母であってもです。私はシギの母、ジルニドラ大公からシギの養育を託されたのです」

「それは非常時であったからであろう。他に頼れるものがいなかった。それだけの話ではないのか?」


 ジルニドラは死にかけていた。あの時、卵を託せるのが俺しかいなかったのは確かである。


「もし、その場に我がいれば、我に託したと思うのだ」

「たとえそうだとしてもです」

「ふむ?」


 ティミショアラの声から、解せないという雰囲気が伝わってくる。

 表情はわからない。だが、なんとなくそんな気がした。


 その時、ヴィヴィが震える声で叫んだ。

「ティミショアラとやら」

「なんであるか?」


 ぎろりと睨みつけられて、ヴィヴィは「ひっ」っと息をのんだ。

 明らかに怯えている。それでもヴィヴィは一生懸命声を張り上げた。


「そなたはもっともシギが大変だった時にそばにおれなかったのじゃ! なぜ今更来たのじゃ! そしてどうして今更シギを奪おうとするのじゃ!」


 ——GRRRRR

 ティミショアラは唸った。空気が震えた。


「ひぃっ」

 ヴィヴィは悲鳴を上げて、モーフィのうえから落ちる。気を失いかけたのだろう。

 それをフェムが咥えてゆっくりと地面におろしてやっていた。

 モーフィがヴィヴィの顔をぺろぺろ舐めていた。


「魔族の少女ヴィヴィよ。その通りである。耳が痛い」

 ティミショアラは怒っていないようだ。


 優しい口調でティミショアラは続ける。

「だからこそ、シギショアラには、我ができることをすべてしてやりたいのだ」


 ティミショアラからは邪気を感じない。

 陰謀を企んでいる感じでもないし、野心があるようにも思えない。

 善意の親戚のおばちゃんに思える。


 それでも、シギは渡せないと俺は思う。


 真面目な顔で考えていた、クルスが無邪気に言う。

「ティミちゃん。いままでどうしてたの? 何か事情があったんでしょ?」

「ちょっ、クルス」


 さすがの俺も少し焦った。

 偉大なる古代竜にティミちゃんとかよく言えるものだ。口調もフランクすぎる。

 あとで説教しようと思う。


 ティミショアラは気にした様子もなく、クルスを見る。

「人族の少女クルスよ。魔人が古代竜を狙って暗躍していたのだ」

「古代竜は強いから自分で何とかできたんじゃないの?」

「成長した古代竜ならばそうだ。だが卵もいる。幼竜もいる。その者たちは守ってやらねばならぬ。その上、大公ジルニドラを失い、古代竜の世界は混乱していたのだ」

「大変だったんだね」

「うむ」


 クルスは励ますように、ティミショアラの鼻先を撫でていた。

 すこし、クルスは親しげに接しすぎだと思う。節度を持つべきだ。


 聖神の使徒たるクルスにとってみれば、古代竜などなんでもないのかもしれない。

 それでも、礼儀は知っておいた方がいいと俺は思う。


 ルカがおずおずといった感じで、口を開いた。

「あの、ティミショアラ子爵閣下。一つお聞きしてもよろしいでしょうか」

「なんであるか。人族の少女ルカ」

「どうして、シギショアラがこの場にいることがわかったのですか?」

「玉璽の場所を察知して飛んできたのだ」

「玉璽?」

「うむ。もし姉上が崩御されたのならば、玉璽はシギショアラが受け継ぐことになる。それゆえ、姉上から、玉璽の場所を察知できる魔道具をあらかじめ託されていたのだ」


 シギが生きていた場合、保護することを期待されていたのだろう。

 シギも殺されていれば、玉璽を持っているものが仇だ。

 ティミショアラには仇をとることも求められていたのかもしれない。


 目を輝かせてルカが言う。

「そのような魔道具が存在していたのですね。興味深いです」

「そうだ。本来であればすぐに駆け付けるべきだったのだが、遅れてしまった」


 ティミショアラは深く息を吐いた。暴風が吹き荒れる。

 そして、その暴風に気づいて、「すまぬ」と言って頭を下げた。


「姉上から魔道具を託されたのは我である。これは万一のことあらば、シギショアラを頼むという姉上の意思だと思う。違うか?」

「それはその通りかもしれません。ですが……」


 クルスが俺の袖をくいくいっと引っ張った。

「どうした? クルス」

「玉璽って何ですか?」

「この前説明しただろ。これだぞ」


 俺は右手につけた指輪を見せる。ジルニドラから託されたものだ。

 指輪はほのかに光っていた。光の色は新雪のような綺麗な青だ。


「あ、それでしたか。それなら覚えてます!」


 ——RYA!

 俺の指輪を見て、ティミショアラが驚いたように声を出す。

 ヴィヴィは転んだ。


「なぜ玉璽をアルフレッドが……? まさか、いや……」

「どうしました?」


 俺が呼びかけても、ティミショアラは聞こえてなさそうだ。

 ぶつぶつ何か口の中で言っていた。古代竜語なのか、意味は分からない。


 しばらくたって、ティミショアラが口を開く。

「玉璽はシギショアラが持っていると思っておった」

「そうだったのですか。シギが成長したら渡そうと思っていたのですが、すぐにでも渡した方がいいですか?」


 ティミショアラはゆっくりと首を振る。


「姉上は魔法の名手でもあった。崩御する前にシギショアラに直接玉璽を渡すことはできたはずだ」

「まだ、シギショアラは卵の中におりましたが」

「それでも可能だ。古代竜の卵の殻は魔法的な物質なのだ。一種の結界のようなもの。姉上ならば透過することは容易い」


 そしてティミショアラはゆっくりと息を吐いた。

 配慮してくれているのか暴風が吹き荒れることはなかった。


「そうか。姉上はアルフレッドを選んだのじゃな」


 ティミショアラはわざわざゆっくりと頭を上げてから、頭を下げる。

 俺たちと話すため、ティミショアラは頭をほとんど地面につけている。いわゆる伏せの状態である。

 その状態からさらに頭を下げるのは難しい。だから、わざわざ頭を一度上げたのだ。 


「子爵、アルフレッド・リントよ。そなたをシギショアラの正当なる後見人と認めよう」

「ありがとうございます」

「玉璽が青い光を放っている。それは大公ジルニドラが御璽の正当なる所有者と認めたことの証明なのだ」


 俺がはめないと、玉璽が青い光は発しないことはわかっていた。

 だが、そのような意味があるとは知らなかった。


「アルフレッドをシギショアラの正当なる後見者であると姉上が認めたということ。それに異を唱えることは竜大公の勅命に背くも同義」

「それでは、シギを私が養育することに異存はないと?」

「もちろんだ」


 ティミショアラはシギに鼻を近づける。


「りゃっりゃ」

 ティミショアラの鼻を、シギはぺちぺち叩いている。

 ティミショアラの鼻の手触りが好きなのかもしれない。


「アルフレッド。シギショアラが我にとって可愛い姪であることは変わりない。できることがあれば何でも協力しよう」

「それは助かります」

「また、シギショアラに会いに来ても良いか?」

「いつでも、かまいません。ぜひ遊びに来てください」

「ありがとう」


 ティミショアラはゆっくりと上空へと飛びあがる。


「愛しい子。シギショアラよ。息災でな」

「りゃっりゃー」


 ティミショアラはあっという間に見えなくなった。

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