朝、起きるとクルスはすでにいなかった。早起きしたのだろう。
それ以外は、大体いつもの朝だ。ひざは痛いが我慢できなくはない程度である。
モーフィは俺の手を咥えていたし、フェムは俺の顔に尻尾をふぁさふぁささせている。
「あれ? シギ?」
「りゃ?」
少し上から声がした。
声のした方を見ると、羽をパタパタさせてシギがふわふわ浮いていた。
「と、飛んでる!」
「りゃっりゃ」
シギは俺の顔めがけて降りてくる。そのまましがみつく。
前が見えない。
俺はシギを顔から取り外して、撫でてやる。
「飛べるようになったのか」
「りゃ?」
シギはきょとんとして、首をかしげていた。
シギ、なにかやっちゃいましたか? とでも言いたげである。
古代竜なのだから、飛べて当然なのかもしれない。
「シギは赤ちゃんなのに飛べて偉いぞ」
「りゃっりゃ」
撫でまくったら、シギは嬉しそうにしていた。
フェムとモーフィも起こして食堂へと向かう。
食堂には、クルスがいた。
「アルさん、おはようございます」
「お、おはよう」
「どうしました? アルさん。そんなびっくりして」
クルスが眼鏡をかけて、本を読んでいた。
一体、何が起こったのだろうか。
「びっくりっていうか」
『違和感がすごいのだ』
フェムの言うとおりである。
クルスが読書しているのもおかしければ、眼鏡をかけていることもおかしい。
遠目の魔法を使った人と同じくらい、裸眼でも見えるのがクルスである。
「りゃっりゃ」
「もっも」
シギとモーフィは違和感を感じていなさそうだ。
モーフィはクルスに頭をこすりつけにいく。隙あらば手を咥えようと、手の辺りに顎を乗せようとする。
「だめだよ、モーフィ。ご本を読んでいるんだからね」
「も?」
シギはふわふわ飛んで、本の上に乗りに行った。
「シギちゃん、ダメだよ。読めないからね」
「りゃ?」
クルスはシギが飛んだことにも驚きもしない。
にこやかにシギを本からどかすと読書を続ける。
「クルス、何の本読んでるの?」
「これはですね。賢王伝っていう昔の偉い王様のことが書かれている本なんですよ」
「へー。ルカに借りたの?」
「そうです」
『どうして、本なんか読んでるのだ?』
フェムが当然の疑問を口にする。
一方、モーフィとシギはクルスにまとわりついていた。
「シギ、モーフィ。こっちおいで」
「も?」
「りゃ」
邪魔をしたら悪いので、シギとモーフィを呼び寄せる。
俺がシギとモーフィを撫でまくっていると、クルスがゆっくりと語り始める。
「ぼくは反省したんです」
『いまさら——』
フェムの言葉をさえぎるために、フェムに後ろから抱きつく。
フェムは驚いた様子で、びくりとした。
「わふ!」
「で、クルス。何を反省したんだ?」
クルスは反省すべきことだらけなので、なにを反省したとしてもおかしくはない。
だが、今更ということはない。反省はいつしてもいいものだ。
「はい。自分の領地を知らないのは、まずいと思いまして」
「そうだな」
『本当にそうなのだ』
本当にそのとおりである。
いくらなんでも、それはまずい。
「実際、やばいことになりかけたもんな」
「はい。そうなんです」
代官補佐がムルグ村でひどいことをやりかけた。
止めなければ、確実に実行されていただろう。
そして、それはムルグ村以外でも行われた可能性が高いのだ。
「領主ともなると、なにもしないのも、なにも知らないのも罪だからな」
「はい。ぼくも思い知りました」
『自覚を持つのはよいことなのだ』
フェムが偉そうだ。
だが、よく考えたら、フェムは魔狼王として群れを率いているのだ。
そして、魔狼の森を縄張りとして治めている。
もしかしたら、クルスの先輩領主みたいなものなのかもしれない。
「改めて地図とか見たんですけど」
「ふむ」
「地図見ても、領主が何すべきか、わかんないなって」
「そりゃ、そうだろうな」
地図を見てわかるのは、地形と位置関係である。領主として最低限知っておくべきことだ。
だが、地図を読んでも、領主が何をすべきかは書いていない。
「領主は何をすればいいのかルカに聞いたら、とりあえずこれでも読めって」
「それで、賢王伝なのか」
「はい。昔の王様がどんなことをしたのか勉強しろって」
おそらくルカは初心者向けの本を選んだに違いない。
だから伝記みたいなものを読ませたのだろう。
「クルス、偉いぞ」
「えへへ」
『眼鏡は?』
フェムの鋭い指摘が入った。
今までのクルスの説明に、眼鏡をかける理由は全くなかった。
「賢く見えるかなって」
『すごくあほっぽい理由なのだ』
「そんなことないよ!」
クルスは否定する。
だがあほっぽい理由だと俺も思う。
「クルス。目がいいのに眼鏡かけたら目が悪くなるぞ」
「あ、これレンズが入ってないので大丈夫です」
『ますます、あほっぽいのだ』
「そんなことないよ!」
クルスとフェムがそんなことを話していると、ルカとユリーナがやってきた。
つかつかとテーブルまで歩いてくると、二人して魔法の鞄から、本を取り出す。
一冊ではない。十冊ぐらいある。
「王都の自宅の書斎から持ってきたわよ」
「私も勉強になりそうなものを持ってきたのだわ」
「ありがとう!」
クルスは本を受け取ると、自分の魔法の鞄に入れていく。
そして、遠い目をする。
「やっぱり、領地を見て回った方がいいよね」
「そこまでする領主は滅多にいないけどな」
「でも、賢王伝に出てくる王様って、領地を見て回っている人が多いですよ?」
「そうだな。見て回るのは大事かもな」
俺がそういうと、クルスは笑顔になった。
やる気である。とてもいいことだと思う。
賢王の真似をすれば、それすなわち賢王なのだ。どんどん真似をしてほしいものだ。
その後、朝食の時間の少し前、ティミショアラがやってきた。
「シギショアラ! 今日も可愛いな」
「りゃむ!」
ティミはシギを嬉しそうに抱きしめる。
シギはシギで、楽しそうにティミの髪の毛を咥えていた。
「我の髪を食べるでない。べとべとになってしまうではないか」
「りゃむっりゃむ!」
ティミはべとべとにされても嬉しそうだ。
シギは以前、ティミの鼻を叩きまくっていたが、一度叱ってからは叩かなくなった。
偉いと思う。
俺はティミに教えてやる。
「今朝、シギが飛んだんだよ」
「ほう?」
「りゃ」
シギはティミに見せるように、ふわふわ飛んで見せた。
まだぎこちない飛び方だが、確かに浮いている。
「シギショアラは、まだ赤ちゃんなのにすごいな!」
「やっぱりすごいの?」
「うむ。古代竜にとって飛ぶことは、人にとって歩くのと同じようなものだ」
「ほうほう?」
「人は一歳ぐらいで歩くのだろう? 古代竜も一歳ぐらいで飛び始めるのだ」
シギは生まれてから一年もたっていない。
1か月ほどだ。
「体の成長が早いわけではないのだが……。これは魔力が多いせいだな」
「魔力?」
「古代竜は羽で飛ぶわけではない。魔力で飛ぶのだ」
ふと横をみると、ルカが目を輝かせてメモを取っていた。
魔獣学者モードに入っている。好きなだけ研究すればいいと思う。
「確かに古代竜の巨体を支えるには羽は小さすぎるよな」
「うむ。それは他のドラゴンも同じではあるのだがな」
「シギの魔力が多いのって、大公の公子だから?」
「もちろん、姉上はとても強い古代竜だった。だがそれを考えてもシギの魔力は多いな。姉上より強くなるだろう」
「やはり天才だったか」
「りゃっりゃ!」
シギは嬉しそうに鳴いていた。
そのあと、やってきたヴィヴィとヴァリミエ、ミレット、コレットと一緒に朝ごはんを食べた。
朝食後、全員で、ティミを見送る。ティミは極地に転移魔法陣を設置しに行かねばならないのだ。
ティミはシギを抱きしめる。
「こんなに可愛いシギショアラと数日も離れなければならないとは。悲しい」
「数日なんてすぐだぞ」
設置すれば転移魔法陣を通って帰ってこられる。だからティミがシギと離れるのは片道分だけだ。
それでも名残惜しそうに、シギを抱きしめている。
「数日がこれほど長く感じられるとは。古代竜の我にとって初めてのことである」
「そうなのか」
「アルフレッドラ。シギショアラを頼むぞ」
「任せろ」
「うむ。本当に頼むぞ」
そしてティミショアラは本来の姿に戻って、飛び去った。