魔法陣部屋を出て廊下を進む。
廊下と言ってもオリジナルサイズの古代竜(エンシェントドラゴン)が通ることを想定しているのだ。
とても広い。
ルカが目を輝かせてきょろきょろしている。
「天井も高いし、横幅も広いし。素材は何なのかしら」
「不思議な素材だな。金属のような陶器のような」
俺は壁に触れて調べてみた。初めて見る素材だ。
ヴィヴィも壁に触れている。
「魔力が込められているのじゃ」
「かなりの強度にみえるな」
先行していたティミショアラが俺たちの会話に気づいて振り返る。
「そうであろう。かなり強靭だぞ。我らの生活に耐えられなければならぬからな」
「なるほど」
確かに、古代竜が尻尾をぶつけただけで、普通の建物なら壊れてしまう。
日常生活を送れるようにするだけでも大変なのかもしれない。
「もっもー」
『モ、モーフィやめるのだ!』
その時、後ろからモーフィの気の抜けた声と、慌てるフェムの声が聞こえた。
「どうした?」
「あ、モーフィ待つのじゃ!」
「も?」
慌てて、ヴィヴィが駆けつける。
モーフィが踏ん張っていた。今まさに、漏らそうとしていた。
廊下はとても広いし天井も高い。モーフィは屋外感を覚えたのかもしれない。
「モーフィ縄張りは主張しなくていいんだぞ」
「もっも」
「トイレならこっちだぞ」
「もーー」
モーフィはティミに案内されてトイレに行った。
「モーフィは恐ろしいのじゃ」
「うむ。縄張り意識が高すぎるな。古代竜の宮殿でもまさか主張しかけるなんて」
『いや。ただ催しただけなのだぞ』
モーフィとティミの後ろ姿を見ながらクルスが言う。
「トイレも古代竜サイズなんですかね?」
「可能性はあるな」
本来の姿のモーフィは古代竜ほどではないが、とても大きい。
だからモーフィならばトイレを使えるのかもしれない。
だが、俺たちには巨大すぎるトイレは使いづらい。
そんなことを考えていると、モーフィとティミが帰ってきた。
「もっもー」
「トイレに行きたくなったら、その場でせずに言ってくれていいのだぞ」
ティミはモーフィを撫でなでしている。
普通はその場でするようなことはしない。モーフィが特別だ。
ルカが興味津々な様子で尋ねる。
「古代竜のトイレってどんな感じなの?」
「む? 見てみるか?」
「みたいみたい!」
「しょうがないのう」
ルカは魔獣学者だ。学者としての好奇心が騒ぐのだろう。
ティミがルカを連れてトイレに向かった。
ルカはものすごくはしゃいで見える。
俺たちもいつ、催すかわからない。トイレの様子を確認することは大切だろう。
「俺たちもトイレ見にいこうか」
「そうじゃな」
俺たちみんなで、後をついて行く。
それを見て、ティミは戸惑いを見せる。
「みんなトイレ好きだな」
「好きってわけじゃないのだわ」
「ものすごくでかいだろうしな。俺たちが使えるかどうか確かめておきたくて」
「なるほどな。それなら心配には及ばぬぞ?」
しばらく歩いてトイレに到着する。
とにかく広い。当然トイレまでの距離も長い。
催したら早めにトイレに向かうべきだろう。限界まで我慢すれば、思わぬ事故が起きかねない。
「ここだぞ」
「ほえー」
「りゃっりゃー」
クルスが感嘆の声を上げていた。それに合わせてシギも鳴く。
やはり、とても大きい。
「した後に横のレバーを押せば水で流れるようになっているのだ」
「さすが古代竜の大公の宮殿! 水洗とは!」
ルカが感激していた。一生懸命スケッチを描いている。
水洗トイレは珍しい。王宮や大貴族の屋敷、ムルグ村の衛兵小屋ぐらいにしかない。
「珍しくないであろ。衛兵小屋にもあるぐらいだ」
「あの衛兵小屋が特殊なのよ」
「そうなのか。で、そなたたち、小さきものが使うのはこっちだ」
ティミはトイレの横にある小さな建物を指さした。
部屋の中に建物があるというのは少し違和感を覚えなくもない。
建物の中には普通の水洗トイレがあった。
「人間用?」
「いや、我らが人型になったときようだ」
「なるほど」
ルカが興味津々な様子でティミに尋ねる。
「宮殿でも人型になることあるの?」
「大きいとお腹いっぱいになるのに、たくさん食べないといけないしな」
「なるほどー」
ものすごく現実的な理由だった。
確かに巨大な古代竜がお腹いっぱいになるまで食べていては、周囲から生物が絶滅してしまう。
だが少し疑問が残る。
「小さい状態で食べて、大きい姿に戻ったら、お腹すいてたりしないの?」
「あ、それあたしも気になった!」
「大丈夫だぞ。魔術的な変化だからな。単純な物理変化ではないのだ」
「へー」
ルカは一生懸命メモを取っていた。
「もうよいかの? そろそろ、本来の目的を果たしたいのだが」
「そうだったな。シギの践祚を先に済ませよう」
「りゃ!」
ティミに先導されて践祚する部屋へと向かう。
その部屋は、玉座の間のさらに奥にあった。
玉座の間を通り過ぎるとき、ルカがつぶやいた。
「当たり前だけど、玉座も大きいわね」
「素材もすごいな、オリハルコンかな?」
「オリハルコンベースなのは間違いないが、魔石や各種金属を混ぜてあるのだ。二つとないものに仕上がっているぞ」
とても高そうだ。
玉座の間の奥、践祚する部屋に到着する。
宮殿の他の部屋に比べれば小さい。それでも充分巨大だ。
部屋の中央に、巨大な真球の物体が置いてある。
「あれは魔石?」
「いや、多分違うわね」
「神代から伝わる、特殊なクリスタルなのだ」
なんかすごいらしい。
きっと、ティミも詳しいことはわかっていないのかもしれない。
じっとみていたルカが言う。
「おそらく魔石の純度を極限まで高めて濃縮したなにかよ」
「なにか?」
「そうなにか。製法もわからないし、用途もわからないし。どのような力を持つのかもわからないわ」
「何もかも、わからないのだな?」
「でも! なんかすごいということはわかるわ!」
ルカはとても興奮している。
驚いている俺たちを放っておいて、ティミはシギを真球のそばに招く。
「ここに右手で触れるのだ。シギショアラ」
「りゃっりゃ!」
シギは嬉しそうに真球に手を触れる。
「すこしチクっとするのだ。我慢するのだぞ」
「りゃあ……」
シギは真球から手を外す。
痛いと言われたら、ためらうのも仕方がないこと。なんといってもシギは赤ちゃんなのだ。
「シギ、少し我慢して」
「我慢するのだぞ」
「りゃ……」
おずおずといった感じで、シギは真球に手を触れた。
勇気のある赤ちゃんである。
「シギショアラ。魔力を流すのだ。流せなかった場合は、手のひらをナイフで切ってだな、傷をつけて血を……」
「りゃ!」
シギが一生懸命踏ん張りはじめる。手のひらを切られるのは嫌だったのだろう。
真球が光り始めた。
「りゃぃっ!」
そしてシギが小さく悲鳴を上げた。
それでも、シギは真球から手を外さない。
徐々に真球の光は収まっていく。
代わりに、部屋の壁が淡く光りはじめた。
「無事終了だ。これで宮殿は本来の機能をとりもどした」
「…………」
「シギ、よく頑張ったな」
「…………」
シギは無言である。
拗ねたように、ぷいっと横を向く。
「シギ?」
「……りゃ」
痛いことをさせられて、怒ったのだろう。
シギの気持ちはわかる。
俺はシギの右手を見る。少し血が出ていた。
「痛かったねー。よく頑張ったぞ」
「……りゃ」
「シギショアラ偉いぞー」
ティミがシギを抱き上げようとした。だがシギはティミの手をぱしりと叩く。
そして、シギはぎゅっと俺に抱き着くと、もぞもぞと懐の中に入っていった。
「シ、シギショアラ、どうしたのだ?」
「……りゃ」
「ちょっと拗ねただけだから大丈夫だよ」
「それならいいのだが……」
ティミは心配そうだが、すぐにシギの機嫌は直るだろう。
部屋を調べていたルカが言う。
「践祚って、随分とあっさりしてるのね」
「うむ。儀式めいたことをたくさんするのは即位の方だからな」
「践祚は所有者登録だけてこと?」
「基本そうだぞ」
一方、コレットは俺の服の上からシギを撫でる。
「シギちゃん頑張ったね」
「りゃ」
ミレットも服の上からシギを撫でる。
「シギちゃん偉いねー。お弁当食べる?」
「りゃあ」
シギは懐から顔を出した。お腹がすいたのかもしれない。
機嫌も直ったようだ。すぐ機嫌が回復するのは美徳である。
やはり王の素質が十二分にあると言えるだろう。
シギは、恐る恐る手を出すティミに大人しく撫でられていた。
「もっも!」
「わふう」
ご飯に敏感な獣たちも寄ってくる。
フェムとモーフィの横にはクルスもしっかり並んでいた。
「とりあえず、ご飯にしようか」
「やったー」
「食堂はこっちにあるのだ」
そういって、歩き出したティミも、うきうきした足取りだった。