クルスの家に入ると、まっすぐに応接室へと向かう。
慌てたのはクルス邸のメイドたちだ。
これまで、来客といえば、特にもてなす必要のないルカやユリーナだけだったのだ。
それか、ムルグ村からやってくるフェムやモーフィなどである。
今回のお客さまは軍務卿。政府の要人だ。慌てないわけがない。
「軍務卿とお話しするからお茶をお願いね」
「お気遣いなく」
そう軍務卿に言われても、準備しないわけにはいかない。
大急ぎでお茶とお茶菓子の準備を始める。メイドたちは意外と手際が良いようだ。
そして、ステフとミレットはガチガチに緊張していた。
要人である軍務卿が、諸侯である勇者伯にお話があるというのだ。
どんな話があるのかわからない。普通とは違う状況だから余計緊張するのだろう。
「ステフたちは、別の部屋でゆっくりしていていいよ」
クルスがステフたちに配慮する。
「はい、ありがとうなのです」
ステフとミレットが別室に移動しようとした。
それを、軍務卿が制止する。
「ステフどのたちにもかかわりのある話ですから」
「そうなんですか?」
「はい」
軍務卿にそう言われたら、ステフたちも退室できない。
緊張しながら長椅子に座る。
ホストであるクルスが奥に、机を挟んで軍務卿が手前に座った。
ステフとミレットはクルスの左右に座る。
ティミショアラとヴィヴィは、応接室の離れた位置にある長椅子に座る。
興味深そうにこちらを見ていた。
俺は目立たないように、クルスの後方、応接室の端に立つ。
シギショアラは俺の懐に、フェムとモーフィは俺の横にいる。
フェムはお行儀よくお座りし、モーフィは俺の手をさりげなく咥えていた。
コレットは、姉の隣に座ろうか、ヴィヴィたちの長椅子に座ろうか迷っていた。
そんなコレットにクルスが言う。
「コレットおいで」
「はーい」
近寄ったコレットをクルスはひざの上に座らせた。
そして、その流れでクルスは言う。
「で、軍務卿。お話って何でしょうか?」
クルスはコレットをひざに乗せることで、これが非公式の場だと表明したのだ。
軍務卿と、コンラディン伯爵の会談ならば大事だ。
領主としての国家への貢献などという話になったら断りにくい。
だからこそ、ただの茶飲み話として聞くと強調したのだろう。
クルスは、立派な領主となるべく、ずっと勉強しているようだ。隙が無い。
メイドがお茶を運んできて、退室すると軍務卿が口を開く。
「単刀直入に言いましょう。ステフさんを軍務省にスカウトしたい」
「おっと、ぼくの家臣を引き抜くとは……軍務卿もすごいことをいいますねー」
そう言ってクルスは笑った。
あくまでも軍務卿の冗談ということにしているのだ。
その時、横からティミが口を出す。
クルスが非公式の茶飲み話と表明したので、ティミも口を挟めるのだ。
「今度は軍務省と喧嘩するのか? いいぞ、楽しそうだ。その際は我も手を貸すぞ」
ティミは笑いながらそう言った。
あくまで冗談ということにしつつ、牽制してくれているのだ。
「喧嘩など滅相もないこと。気分を害されたのなら謝ります。もちろん断られたら諦める所存です」
軍務卿はクルスにはやけに低姿勢だ。敵に回したくないのだろう。
それは政治家として、とても賢い判断だ。
軍務卿はティミをちらりとみてから、クルスに視線を戻す。
ティミが一体誰なのか、暗に尋ねているのだ。
クルスはティミに軍務卿に紹介していいか目で尋ねる。
「かまわぬぞ?」
ティミは笑顔で言った。
「軍務卿、彼女はティミショアラ子爵閣下です。
「こ、これは、ご挨拶が遅れました」
軍務卿は立ち上がりティミに近づき深々と頭を下げた。
「気にせずともよい。大公家の摂政として参ったわけではないからな。今はあくまでもクルスの友人としてここにおるのだ」
そういって、ティミは笑った。
クルスはそのやり取りを気にする様子もなく、ステフを見た。
「ステフちゃんはどうしたいの?」
「私は、軍務省で働くつもりはないのです」
「そっかー。軍務卿、そういうことみたいです」
「そうですか。残念です」
それから軍務卿はミレットを見る。
「そちらのエルフのお嬢様も、有能な魔導士とお見受けしました」
「いえ、私は魔法を勉強し始めたばかりのただの田舎娘ですから」
「ご謙遜を。もし軍務省に来ていただけるのなら、月にこれだけ出しましょう」
そういって、軍務卿は高額な報酬を提示した。
王都で働く一人前の鍛冶職人。その月収の十倍程度の金額だ。
魔導士は元々収入が高い。その魔導士への報酬としてもかなり高額といっていい。
「いえ、私は軍属になるつもりはありません」
「そうでしたか。残念です。気が変わりましたら、いつでもおっしゃってください」
そういうと、軍務卿は俺の方を見た。
「アルラさんも、よかったらどうですか」
「いえ、私は一線を退いた身ですから」
「アルラさんになら、魔導騎士団の団長の地位をご用意できますよ」
軍務卿は笑う。俺も笑い返しておいた。
魔導騎士団の団長は、魔王討伐後、軍務卿が俺に就任を打診した役職だ。
これは正体がばれていると考えたほうがいいのかもしれない。
軍務卿はクルスに向けて言う。
「今日はバルテル男爵が大変失礼いたしました」
「いえ、気にしてないですよ。それにしても男爵は魔導士ギルドの中では群を抜いていましたね」
「魔導騎士団を率いて欲しい人物は別にいるのですが、現状では彼が最適と言わざるを得ないのです」
「大変ですねー」
「本当に……」
いつ、俺の正体に言及されるかと、ずっとびくびくしていた。
だが、軍務卿が追及してくることはなかった。
ステフたちを、しつこく勧誘するつもりもないらしい。
クルスと友好関係を築きたいというのが、真の目的だったのかもしれない。
軍務卿は何度も、クルスの王国への貢献をたたえて、帰っていった。
軍務卿が去った後、クルスが言う。
「なにしにきたんですかねー?」
「さあな」
明らかに俺に気づいているにもかかわらず、軍務卿は深く追求しなかった。
とりあえず、貸しをつくっておこうということだろうか。
何か言われるより怖いかもしれない。
それから俺たちはムルグ村に戻ることにした。
転移魔法陣部屋に向かって歩いていると、メイドさんが駆けてくる。
「クルスさま、魔導士ギルドの使者という方がいらっしゃいました」
「え? どうしたんだろう?」
使者と会ってから帰ることにした。