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第14話

 その日、ルシアナはとても機嫌がよかった。

 なにしろ、自分の道中の護衛依頼を、バルシファルが受けようとしていることを知ったから。


「モーズ侯爵家からのパーティの招待状が届いていたのは僥倖でした。ね、トーマスさん」


 モーズ侯爵家が海の民を襲った者の黒幕であるとわかったその日、ルシアナはアーノルに、モーズ侯爵家の令嬢、アネッタの誕生パーティに参加していいか尋ねた。

 アーノルは、珍しいと思いながらも二つ返事で了承したのだが、さらにルシアナは、護衛として冒険者を何名か連れていってもいいかと尋ねた。

 当然、アーノルはダメだと言ったが、ルシアナがあの手この手で説得し、なんとかパーティに出発するまでの間、屋敷の敷地から出ずに、勉強をしっかりすることで、了承を得た。


「よかったですね、お嬢様」

「はい。トーマスさんも、私の護衛、よろしくお願いします」

「え? 私が付いて行ってよろしいのですか?」


 トーマスは意外そうな顔で尋ねた。


「私が護衛としてお嬢様についているところを見られたら、お嬢様がシアさんだって、バルシファル殿にバレてしまいますよ?」

「へ?」


 ルシアナは固まった。


「ショウタイガバレル?」


 その言葉とともに、ルシアナは口から魂が抜け出るのを感じた。

 そして、ルシアナは気付いた。

 バルシファルの役に立てることに、彼と一緒に旅ができることに興奮し、ルシアナは自分の正体が彼にバレてしまうことについて、まったく考えが至っていなかった。


「え? それでは、馬車の中で一緒にずっとお話しするとか、一緒に楽しくお食事をするとか、野営をするときに、枕が合わないからと、えっと……その……膝枕をしていただくこととか、そういうことはできないのですかっ!?」

「お嬢様、随分と妄想が豊かでいらっしゃいますね。それどころか、会話すらできません。そもそも、お嬢様がお泊りになるのは道中の宿です。野宿など致しません」


 トーマスはため息をついた。

 それほどまでに、今日のルシアナはあまりにもバカだった。

 先日までの、聖クリスト様の啓示を受けたと言って活躍したルシアナとは大違いだと思った。


「どうしましょう、トーマスさん! 私の正体がファル様にバレてしまいます!」

「いいのではありませんか? もう公爵令嬢だと正体を晒してしまえば」

「そんなのダメです」


 私は将来貴族から追放されて平民になるから、いまのうちから公爵令嬢のルシアナではなく、修道女のシアとして冒険者ギルドの皆に接してもらいたい――とは今日のルシアナでもさすがに言わなかった。


「まぁ、基本、お嬢様の馬車の周囲は、当家の護衛が付くでしょうから、お嬢様が直接バルシファル殿と接することはほとんどないでしょう。扇子などで顔を隠すとして、そうですね、後は声を変える魔道具を使って」

「声を変える魔道具? そんなものがあるのですか?」

「ええ。正確には、声そのものは変わらないのですが、聞く者が別人の声と認識してしまう魔道具だったと思います。あとは、そうですね。口調や態度をお嬢様と正反対にすれば、流石にお嬢様がシアさんだとは誰も気付かないでしょう」

「正反対? どのような感じで喋ればよろしいでしょうか?」

「そうですね。お嬢様が知る限り、一番性格の悪いご令嬢を思い浮かべて、その方を真似してみてはいかがでしょう?」

「私の知る限り、最も性格の悪い令嬢ですか?」


 それだと、ルシアナが貴族の中で最も性格の良い令嬢になってしまう気がすると思ったが、しかし、性格の悪い令嬢の真似というのは、ルシアナにとって、一番真似のしやすい人物だった。


「トーマスさん、いまから私の知る限り、最も性格の悪い令嬢の真似をしますから、聞いてもらえますか?

「はい、かしこまりました」


 トーマスの許可を貰い、ルシアナはその性格の悪い貴族令嬢の口調で喋った。

 ごくごく自然体に、ルシアナはトーマスに向かって話しかける。

 そして――


「いかがでしたか、トーマスさん」

「…………恐ろしい」

「え?」

「あ、いえ、申し訳ありません。お嬢様の演技があまりにも素晴らしいもので、少し恐怖を。本当に演技――いえ、演技ですよね。あまりにもその、ごく自然に話されるものですから。考えてみれば、お嬢様は修道女の演技も得意でしたし、演劇の才能がおありなのですね。はい、私は貴族の令嬢についてあまり知りませんが、それでも私が知るすべての女性の中で、性格が悪い方をお嬢様は演じていらっしゃいました。お見事と言う他ありません」

「そう……ですか」


 褒められているのはわかっているが、ルシアナはそう言われて、素直に喜べるはずがない。

 何故なら、彼女がいま喋った内容は、演技ではなく、過去の自分のことを思い出して喋っていた。つまり、昔のルシアナそのものの喋り方だったのだから。


(私が知っている一番性格の悪い貴族令嬢が、私自身だなんて)


 ルシアナは少し泣きたくなった。

 しかも、バルシファルと接する時、彼に暴言を吐かないといけないという辛さもあるため、さらに自分自身に追い打ちをかけた。

 だが、それもバルシファルをモーズ侯爵の屋敷に連れて行くため、海の民の犠牲者をこれ以上出さないため、なにより、シアという偽りの自分自身を守るためだと、自分に暗示をかけた。


 そして、いよいよ、モーズ侯爵家に出立する当日になった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ルシアナは、いつも以上に化粧を何重にも厚塗りにし、一目見ただけでは顔もわからないようにした。コルセットもいつもよりきつく締めて、体のラインも変えた。

 さらに、アーノルから借りた変声のチョーカーを首に巻く。


「どうかしら? 声が変わっていますか?」

「はい、お嬢様。私には別人にしか聞こえません」

「そうですか――」


 既に、ルシアナは、側仕えと護衛には、変声のチョーカーについては話してある。

 それと、アーノルに話をして、護衛の人間はルシアナとあまり接点のない人間が多い。


 ルシアナが馬車に乗り込み、護衛とともに屋敷から出る。

 馬車の外では、護衛として雇われたバルシファルと、そして彼らだけ雇ったら不自然になるという理由で、数名の冒険者が待っていた。


「お嬢様。冒険者の代表が、お嬢様に挨拶をしたいと申しております」


 護衛の一人が馬車の中にいるルシアナに声をかける。

 そう言われて、ルシアナは窓を開けた。

 扇子で口元を隠しながら、見ると、そこにいたのはバルシファルだった。


「お初にお目にかかります。護衛の依頼をしていただき――」

「喋らないでくださる? 平民の下劣な臭いが馬車の中に入りますわ」


 ルシアナはバルシファルの言葉を遮るように、そう言い切った。

 予め、話を合わせていた護衛の男は何も言わない。


「あなたたちに依頼をしたのは、魔物に襲われた時、私が保有する騎士たちの剣が醜い血で汚れるのが我慢ならないからです。あなたたちには微塵の興味もありません。挨拶など結構です」


 そう言って、ルシアナは馬車の扉を閉めた。

 窓を閉める一瞬、バルシファルの顔を見たとき、彼は笑みを浮かべていたが、どこか困ったような顔をしている感じがした。


(あぁ、ごめんなさい、ファル様。本当にごめんなさい)


 今すぐ馬車を飛び出して謝りたい衝動に駆られて馬車のドアの取っ手を握ったルシアナは、反対の手でその腕を押さえつけたのだった。


 こうして、短くも長い旅が始まる。

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