王都に戻ったルシアナは、着替えもせずにベッドに倒れこんだ。
途中の宿場町で、ルシアナは一歩も宿から出してもらえなかった。というか、護衛が怒っていた。
睡眠魔法を使って眠らせてしまったことをまだ根に持っていたらしい。
(ちゃんと、風邪をひかないように毛布もかけていましたのに)
そんなことで、帰り道は結局シアの姿でバルシファルと会うこともできず、ひたすら部屋と馬車の中で黙って過ごすことになったため、肉体的な疲労はともかく、精神的な疲労の回復ができなかった。
「お嬢様、みっともないですよ」
侍従長が見かねて声を掛ける。
「いいではありませんか。この部屋には侍従以外、誰も入って来ませんし、お父様ももうお帰りになったのでしょう?」
「いけません。淑女たるもの、他者が見ていない場所でも慎みのある行動をしてください」
「……あの、屋敷から遊びに行きたいのですが」
「旦那様が、課題が溜まっているから、それが終わってからだと仰っています」
「課題――わかりました。では、これから早速――」
「旦那様から、お嬢様は課題を早くこなせるようですから、前回の三倍の量を渡されています」
「さ……三倍……ですか」
精神的な疲労がさらに積み重なり、ルシアナは三時間、ベッドに倒れこんだ。
が、夕食後復帰し、課題に取り掛かった。
そして、一週間かけて課題を終わらせた。
「はい。これで旦那様から出された課題は終わりです。素晴らしい、最後の一つは王立学院で出される課題でしたのに」
「道理でこれまでのものと比べて難しいと思いました。これで、明日は町に出られますね」
「いえ、お嬢様。明日は部屋に待機しているようにと旦那様から申し付かっています。申し訳ありませんが、部屋でお待ちください」
「え? お父様がいらっしゃってるのですか?」
「本日、到着した後、王城へと出向かれました。とても慌てた様子でしたが」
アーノルがルシアナに挨拶もせずに王城へと行くとなれば、国王陛下から特別招集があったと見ていいだろう。
ルシアナに部屋で待機しているように言ったのは、それが彼女に係ることだからかもしれない。
バルシファルに会えなくなるのは残念だが、ここで命令を無視して屋敷を抜け出したら、今後ルシアナが外に出るのが困難になる。
「仕方ありません。スコーンの用意をお願いします」
「かしこまりました、お嬢様」
「ジャムを多めにお願いします」
ルシアナはいつもの三倍の量のスコーンを食べ、夕食が食べられなくなってしまった。
翌日の昼、ルシアナはアーノルに呼び出された。
「お父様、お仕事お疲れ様でした」
「ルシアナ、そこに座りなさい」
いつも以上に深刻そうな表情に、本当にただ事ではないと椅子に座る。
目の前に、紅茶と共に置かれたスコーンに手が延びない。
決して、昨日食べたスコーンが胃の中に残っていて気分が悪いからというわけではなく。
「私が君を呼んだのは、モーズ侯爵領のことだ。先日、君がアネッタ嬢の誕生パーティに行ったな」
「――っ!」
モーズ侯爵には、特級回復魔法を含めてルシアナがしたことについて誰にも喋らないように頼んでいたのだが、それがバレてしまったのかとルシアナは身体を縮こまらせた。
「モーズ侯爵には国家反逆罪の容疑が掛けられている。王都の近くに魔物を解き放った容疑が掛けられてね」
「そうですか。それで、モーズ侯爵はどうなるのですか? やはり――」
「……死んだよ」
そう言われ、ルシアナは目を見開いた。
その言葉の意味を理解するのに一体どれだけの時間がかかっただろうか?
死――処刑されたということだろうか?
だが、早すぎる。
通常、貴族裁判は貴族が捕縛されてから一年後に行われ、処刑が決まったとしても数カ月の時間を要する。
ルシアナがモーズ侯爵領から帰ってきてから、まだ一週間しか経過していない。
「お父様、死んだとは、どういうことですか?」
「自殺だそうだ。裁判に掛けられて死ぬくらいなら、自ら死を選ぶと遺書も残っていた」
「そんなはずは……それでは、アネッタ様はどうなるのですか!?」
「ルシアナ、君も貴族ならわかるだろう。今回の事件、誰かが責任を取らないといけない。モーズ侯爵がその責任を放棄した以上、それを果たすのは一人しかいないんだ」
「アネッタが身代わりに――そんなの間違っています! 彼女は何も悪くないのに!」
「悪いか悪くないか、正しいか正しくないかではない。それが貴族なのだよ。誰も殺さずに終わらせれば、殺された海の民も、オーシャ海洋国家も納得しないんだ。彼女はまだ幼いからな。公開処刑は見送られる。せめてもの陛下の慈悲だ」
そう言われ、ルシアナは俯く。
守れなかった。
アネッタのことを結局、守ることができなかった。
その後悔で、ルシアナの頭がいっぱいになった。
「それと、ステラ。侍従見習いを雇うことにした。君が引退するまでの間、教育をしてほしい」
「かしこまりました。それで、その侍従見習いはいつ?」
「もう来ている。入りなさい、マリア」
「はい、旦那様」
そう言って、ルシアナと同じくらいの年齢の少女が入ってきた。
その子は、赤い髪のアネッタと違い、地味な茶色い髪の少女だった。
その子は、綺麗な顔をしているアネッタと違い、目立たないが両頬にそばかすのある少女だった。
「はじめまして、お嬢様。マリアと申します」
その子は、アネッタと同じで、笑顔のとても可愛らしい女の子だった。
ルシアナの目から涙がこぼれてくる。
「――マリア――とても素敵な名前ね」
「はい。私の大切なお姉さまから頂いた名前なのです」
「本当に素敵――それにその髪――ふふっ」
ルシアナは気付いた。
マリアが首から下げている輪っかが、普段、ルシアナがシアに変装するときに使う魔道具と似ていることに。そして、頬のそばかすは――
「ふふ、マリア。化粧で上手にそばかすを消す方法、今度教えてあげますわ」
「そんな、お嬢様。とても嬉しいですが、私に化粧なんて似合いません」
「絶対に似合うわ。だって、あなたがお化粧をした姿、私には想像できるんですもの」
「それでは、いつか教えてください。時間はあります。だって私とお嬢様は共犯者なのですから」
「ええ、そうね、マリア」
そう言って、ルシアナとマリアは抱き合った。
それを見て、侍従長はやれやれと肩をすくめる。
「まずは、侍従見習いとしてお嬢様への接し方から教える必要がありますね」
「そのようだね、ステラ。でも、今日一日は、彼女たちの好きにしてあげてくれ」
アーノルはそう言って、再会を喜ぶ二人を見守っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
王城の一室。
そこに、二人の男がいた。
「アネッタ嬢はマリアとして、ヴォーカス公爵家の侍従見習いとして雇われることになった。これでいいのかね?」
「はい、ご協力ありがとうございます、陛下」
そう言って頭を下げたのは、バルシファルであり、その頭を下げた相手は、トラリア王国の国王――トラリア十四世であった。
「全く、君には驚かされる。突然現れてモーズ侯爵の罪の証拠を揃えて来たと思えば、今度はアネッタ嬢の命を助けてほしいと。一体、何故だ?」
「まぁ、理由はいろいろあります。例えば、今回のモーズ侯爵の自殺にはいろいろと思うところがありましてね」
「自殺ではないと?」
「それはわかりません。ですが、仮に殺されたのだとしたら、いくら犯罪者であったとしても、彼が救われません。それに、私は冒険者ですからね。アネッタ様を守ってほしいと、ある方から依頼を受けたのです」
『もし、この屋敷で何かがあったとき、私の友を守って――』
途中で切られたその言葉だったが、バルシファルはそれを依頼として受けることにした。
「君に依頼とは――一体、どれだけの報酬で釣られたのだ」
「そうですね、お金を払ってどうこうできるものではありませんので、それ以上に価値のあるものとだけ言っておきましょう」
そう言って、バルシファルは思い出した。
ルシアナに貰った甘いスコーンの味を。