森にあった穴については、冒険者ギルドと第三騎士団(魔物を討伐することを主目的に結成された騎士団を指す)により調査が行われることになった。
そして、翌日。
「ということがあったんですよ、ファル様」
「それは大変だったね。よく頑張ったよ、シア」
「――はうっ」
バルシファルが頭を撫でるものだから、ルシアナは顔を真っ赤にし破顔する。
少し前なら笑うどころか混乱してパニックになっていたから、少しは男性にも免疫がついてきたのかもしれない。
「それで、ファル様は何をなさっていたんですか?」
「ん? 私は西の砦に物資の補給だね」
「あ、流行り病が流行ってるっていう……あれ? 流行ってるから流行り病? 流行り病だから流行ってる?」
どうでもいいことでルシアナは首を傾げる。
「でも、ファル様は大丈夫なんですかっ!? 病気に感染していませんかっ!?」
「大丈夫だよ。どうも流行り病の原因は水にあったらしくてね。僕たちが運んだ物資というのも、ほとんど水だったんだよ」
「そうだったんですか――水は重いですからね。修道院の井戸も食堂より少し遠いので、運ぶのが大変だったんですよ。冬の水汲みは本当に苦行でした」
「あぁ、わかるよ。あれは本当に嫌だよね」
突然話に割り込んで同意するサンタに、ルシアナはいつも通り、「サンタさん、いたんですか?」と反応し、「いたよ、ずっといたよ!」と返されるのはお約束の流れだった。
その後、とりとめのない会話が続いた。
「そうだ、私、スコーンを焼いてみたんです。少し味見してくれませんか?」
そう言って、ルシアナは藁で編んだ籠の中から、スコーンを取りだす。
貴族ならば、お菓子を手作りして渡すなんてはしたない行為だが、今のルシアナは平民。
ならば、お菓子を渡すなんてはしたない行為でもなんでもない。
というか、せっかくの自信作、バルシファルに食べてほしかった。
「……シアちゃん、一応聞くけど、毒は入ってないよね?」
以前、毒キノコを食べさせられたことがあるサンタが恐る恐る尋ねた。
それに、ルシアナは頬を膨らませて反論する。
「入れてませんよ。入っているのは小麦と、ドーシの実と、シロミツ草から作った砂糖だけです」
「よかった……でも、貧者の砂糖か。あの独特な苦み、あまり好きじゃないんだよな」
「別に嫌ならサンタさんは食べなくていいです。どうぞ、ファル様」
「ありがとう、いただくよ」
バルシファルはそう言って、スコーンを一枚手に取り、食べた。
そして、一口咀嚼し、飲み込むと微笑を浮かべて頷いた。
「うん、美味しい」
「本当ですか、よかったです!」
「どれどれ、俺も…………本当だ、これは美味しい。貧者の砂糖の苦味が、逆に甘さを引き立てているというか――あれ? 貧者の砂糖ってこんなに美味しかったっけ?」
「シロミツ草の根から作った砂糖の苦味が嫌いな人の大半の理由は、下処理を怠ったシロミツ草の根を使っているからなんです。下処理を怠れば、苦味と同時にえぐ味も出てしまうんですよね。むしろ、下処理をしたシロミツ草の砂糖は、紅茶に入れたりしたら独特な苦味が癖になるんですよ」
ルシアナが、精製された貧者の砂糖ではなく、精製前のシロミツ草の根を欲しがった理由がそれであった。
他にも、スコーンに入れているドーシの実にも工夫している。ドーシの実は種が非常に多く、通常は種の多い場所を匙などで掬ってから残った実の部分を使うのだが、一番甘い場所がその種の周辺であることを理解しているため、一気に掬い取ったりせず、種を一つ一つ摘まんで抜いていった。
あまりに時間がかかったため、公爵邸の料理人から侍従長に、「お嬢様がいつまでも厨房を使っているもので、夕食の準備ができません」とクレームがいったほどである。当然、貴族が料理をするのははしたないことなので、後で侍従長に散々怒られてしまった。
でも、それらもバルシファルに美味しいと言ってもらえたことで、全てが報われた気がした。
あとは、このスコーンをシャルド殿下に食べさせて、はしたない女だと思われて婚約破棄に一歩近付けさせる。
全てが順調かと思った。
「それと、シア。私とサンタは暫く、王都から離れることになりそうなんだ」
「えっ!? それじゃあ、もうファル様には会えないのですかっ!?」
ルシアナは先ほどまでの浮かれ気分から、反転、一気に地の底に叩きつけられた気分になった。
「いや、そうじゃない。ほんの数週間から一カ月ほどだ。終わったらまた王都に戻ってくる。ちょっと調べたいことがあってね」
「また調べもの? モーズ侯爵のことですか?」
「確かに、モーズ侯爵のことは気になっている。彼が自殺をしたとはどうも考えられない。何か裏がある気がしてならないんだ。今回調べることは、それと繋がっているかもしれないし、繋がっていないかもしれない。むしろ、それを調べるために行く感じかな」
バルシファルはあいまいな感じで言う。
「そうですか。きっとファル様ならうまくいきます。何かわかったら教えてくださいね」
マリアもきっと知りたいと思うから――とルシアナは彼を笑顔で送り出すことにした。
そして、ルシアナもまた、舞台を移動する。
決戦の地――いざ、王城の茶会に。
王都に住んでいるから、王城は屋敷からも見ることができるし、何度か登城したこともあるが、いつも父であるアーノルの付き添いだった。
アーノル抜きで城に来るのは初めてのことだ。
「ようこそいらっしゃいました、ルシアナ嬢」
「お久しぶりです、レジー様」
十歳くらいの青髪の少年がルシアナを出迎えた。
彼は子爵家の人間で、今はシャルド殿下の側近をしているレジー・グラットであった。
公式な場で一度お会いしたことがある。
「どうぞ、中庭に案内します」
「あら、茶会は外で行われますの?」
「はい。本日お招きしているのはルシアナ嬢だけですし、今日は暖かくて気持ちのいい日ですからね。花の香りとともに、紅茶を堪能していただけますよ」
「そうですか、それは楽しみです」
そう言って、ルシアナは中庭に案内された。
中庭にあるガゼボ(西洋風のあずまや)に設けられたテーブルには、誰もいない。
「まさか……ルシアナ嬢、どうかここでお待ちください」
そう言うと、レジーは何故か血相を変えて、どこかに走っていく。
これはチャンスと、ルシアナは茂みの裏に回って隠れることにした。
ここでシャルド殿下が来るまで待てばいい。
そう思い、暫く待つ。
約束の時間を過ぎてもシャルド殿下は現れなかった。
「遅いですわね」
ルシアナがそう呟いた……その時だった。
「おい、貴様――そこで何をしている?」
突然、後ろから声を掛けられた。
まさか、シャルド殿下に見つかったっ!?
と思い振り向くと、そこにいたのは――
「……どちら様でしょうか?」
鼻と口を布で覆った黒髪の少年がそこにいた。
まさか、賊っ!?
かつて、人攫いに誘拐された経験のあるルシアナの中で、危険信号が鳴り響いていた。