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第39話

「俺は……騎士訓練生だ。不審者がいると通報があってな」

「そうでしたの。エプロンに手袋、マスクをしているから、てっきり料理人かと思いました」


 本当はルシアナも不審人物だと思っていたことは言わないでおく。


「私はヴォーカス公爵家のルシアナ・マクラスと申します。不審人物ではなく、シャルド殿下からの招待状も持っています」


 自称、騎士訓練生に優雅に挨拶をするルシアナ。

 ちなみに、茂みに隠れていたので、頭には小さな葉っぱがついたままだ。

 少年騎士訓練生は信じられないのか、どこか疑っている様子だったが、ルシアナに尋ねた。


「それで、一体貴様は――」

「口の利き方――」

「え?」

「相手は貴族なのですから、丁寧な言葉で話してください。騎士訓練生なのですから、学びましたよね」

「なっ…………」


 少年騎士訓練生は一瞬言葉を失った後、少し怒りを抑えきれない表情になりながらも、言葉を訂正する。


「ルシアナ様は一体ここで何をなさっていたのですか」

「ここでシャルド殿下を待っていたのです」

「何故、椅子に座らずに?」

「座っていたら、私が待っていたことがバレてしまうではありませんか」


 私の目的は、シャルド殿下より少し遅れて登場することですから。

 意味がわからないという少年騎士訓練生を見て、ちょうどいいと思った。


「あなた、名前は?」

「俺はカールだ」

「そうですか。では、カールさん、暇だったら話し相手になってくれませんか?」

「は、なんで俺が――」

「訓練生であっても、騎士様なら、淑女の頼みを聞く物ですよ」


 そう言ってルシアナはカールと名乗った少年騎士訓練生に微笑んだ。

 カールは不承不承といった感じで頷く。


「カールさんは、なんで騎士になりたいのですの?」

「別に、騎士になりたいわけじゃない……ありません。ただ、魔物を倒せるくらいに強くなりたいと思っているだけだ……です」


 丁寧な言葉遣いになれていないのか、カールは口調を訂正しながら、ルシアナに話した。

 そのぎこちない口調に、ルシアナは少し可愛らしく思えた。

 年齢の近い弟がいたらこんな感じなのだろうと、母性本能ならぬ姉性本能がくすぐられている気がした。


「俺からも質問していいですか?」

「はい、なんでしょうか?」

「ルシアナ様は、殿下のことをどう思っているのですか?」

「そうですわね……」


 ルシアナのシャルド殿下への想いは単純だ。

 前世では憧れていた。

 婚約者として愛していた。

 中々会ってくれず、さらには婚約破棄された時は恨みもした。

 だけれども、修道院に入って、神に祈り続け、間違っていたのは自分だったと理解した。

 恨んではいないが、いまさら愛してもいない。

 だから――


「……なんとも思っていませんわ」

「は?」


 カールが間の抜けた顔になる。

 何を言っているんだ、この女は? そう言いたげだ。


「もちろん、私は公爵家の一員、貴族である以上、王家の剣でなければありませんから、敬愛はしています。ですが、それ以外は何の感情も持ち併せていません」

「愛してないのか?」

「会ったことがありませんし」

「王太子妃の身分に憧れは――」

「堅苦しそうで嫌ですわ」

「貴様……ルシアナ様はシャルド殿下との婚約を望んでいらっしゃったのでは?」

「望んでいるわけではありません。きっと、シャルド殿下も同じことを思っていらっしゃるでしょう」


 何しろ、自分はこれから婚約破棄されるのだから。

 とその時、カールのお腹が音を鳴らす


「カールさん、お腹が空いているのですね。よかったら、このお菓子を召し上がりませんか?」

「これはスコーンか? それにしては随分と黒いが……ですが」

「私が焼きましたの。色が黒いのは素材のせいで、味は問題ありません」

「甘いのは苦手なのだが――」

「贅沢を言ってはいけませんよ。食べられるときに食べておかないといつか後悔します」


 これはルシアナがファインロード修道院に追放されたときに思ったことだ。

 お腹が空いたとき、これまで自分が我儘を言って粗末にしていた料理たちに申し訳ないと思った。

 中々スコーンを食べようとしないカールだったが、ルシアナは、彼が手袋をしていることに気付いた。

 手袋が汚れてしまうのを気にしているのだろうか?


「はい、マスクを上げてください。あーん」

「自分で食べられる」


 カールはむっとして、手袋を外し、ルシアナからスコーンを奪って、マスクの中に指を入れてスコーンを口に入れる。

 最初はむっとしていた感じだったが、咀嚼していくうちに、顔色が変わる。

 どうやら、貧者の砂糖の独特な苦味が、甘い物が苦手だという彼の舌に合ったらしい。


「……うまいな。これはルシアナ様の家の料理人が作ったのか?」

「いえ、私が作りました」

「なにっ!?」


 やはり、貴族令嬢が料理をするのをはしたないと思ったのか、それとも信じられないと思ったのか、カールはスコーンとルシアナを交互に見て、


「もう一つ貰っていいか? ですか?」


 考えすぎてお腹が空いたのか、カールはおかわり要求した。


「ええ、構いません。数は十分用意していますから」


 そう言うと、カールはもう一枚スコーンを食べた。

 そのカールの手を見ると、肉刺まめが潰れている。


「カールさん、その手はどうなさったのですか?」

「ああ、午前の訓練で少しな。先輩騎士からは一人前の証だと褒められたが、痛くてかなわん。あとで回復ポーションでも飲むつもりだ」


 カールは軽く言うが、回復ポーションというのは決して安いものではない。

 低級ポーションでも、騎士訓練生の給金なら、丸一日、いや、二日分は吹き飛ぶ値段だ。

 肉刺程度の傷なら、軍から支給されるはずものないだろうし、彼の自腹になる。


「カールさん、手を出してください」

「――? こうか?」


 ルシアナはそう言うと、カールの手を握った。

 突然、手を握られてドキッとするカールだが、ルシアナはそんなカールを見て、やはり弟が居たらこんな感じで可愛いのだろうと思った。

 バルシファルやルークのような年齢の男性に免疫のないルシアナだったが、カールくらいの年齢の男の子なら、前世の修道院に併設された孤児院で散々接してきた。


「剣術の訓練、よく頑張りましたね。偉いわ」


 そう言って、ルシアナは「これはご褒美です」と言って、回復魔法を掛けた。

 すると、カールの手の肉刺が綺麗に治った。


「……回復魔法が使えたのか?」

「ええ、淑女の嗜みですわ」

「そうか……ありがとう」


 そう言うと、カールは立ち上がって言う。


「そうだった、シャルド殿下から伝言がある。少し遅れると言っていた。あと十分くらいでいらっしゃるだろう」

「それでは、十分間、もう少しお話ししましょうか」

「いや、俺もトイレの掃除に戻らないといけない。すまないな……スコーン、ご馳走様」


 そう言って、カールは立ち去ろうとしたが、ルシアナが彼を呼び止める。


「カールさん!」

「……なんだ?」

「訓練、頑張りなさい。それと、また話し相手になってください」

「……気が向い……向きましたら」


 そう言ってカールは振り向かずに去っていった。

 そしてルシアナは彼の背中が見えなくなったところで、理解した。

 マスクや手袋、エプロンをしていたのは、トイレ掃除をしていたからなのだと。

 そして、ルシアナはカールの手を握った自分の手を凝視する。


 手を洗いに行こうと思った。

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