カールと別れ、ルシアナも手を洗い、さらに化粧を直して戻ると、一人の少年が席に着いていた。
金色の髪に高そうな服、シャルド殿下に間違いなさそうだが――
(あれ?)
その顔に見覚えがあった。
アーノルが賊に襲われた時に馬車の中に乗っていた少年だった。
(そうか、あの子がシャルド殿下……だから、お父様はシャルド殿下を守るために馬車から出て戦っていたのね……)
なぜアーノルと一緒にあんな場所にいたのか気になるが、あまりシャルド殿下を待たせすぎるのはダメだと、ルシアナは彼の前に行く。
「お待たせしました、シャルド殿下。本日はお招きいただき、まことにありがとうございます。ルシアナ・マクラスです」
「別に待ってない」
ぶっきらぼうな感じで、シャルド殿下が言った。
どうやら、遅れたことで機嫌が悪いのだろうと、ルシアナは不敵な笑みを浮かべる。
「あぁ……今日はいい天気だな」
「ええ、そうですね。殿下は天気のいい日は普段、何をなさっているのですか?」
「別に天気が良かろうと、雨が降ろうと変わらん」
そう言って、シャルド殿下は口を噤む。
まるで、それで話が終わりだと言わんばかりだ。
普通は、「ルシアナ嬢は何をしているのだ?」と聞くだろうし、それでなくても、雨の日でも変わらないにしても何をしているか話すだろう。
まるで会話が続かない。
だが、ルシアナはそれを好機と見た。
(そっか……やはりそうなのですね。シャルド殿下は私に全く興味がないのですね)
結局、ほとんど会話のないまま、話は続いていく。
「そうです、シャルド殿下。私、お菓子を作りましたの。よろしければ、お召し上がりになりませんか?」
そう言って、ルシアナは籠の中からスコーンを取りだし、皿に盛りつけて差し出す。
そのうち一枚を側近のレジーが毒見として食べた。
「大変美味しいです。本当にルシアナ様がお作りになられたのですか?」
「ええ、お菓子作りは趣味ですから」
こう言って、普段からお菓子を作っているアピールをするルシアナ。
これで、はしたない女というイメージにさらに拍車がかかる。
「どうぞ、シャルド殿下も」
「そうだな、部屋でいただくことにしよう」
と言って、まったく食べる気配がなかった。
(なるほど、好きでもない女が作った料理など食べてなるものか――というアピールですね、さすがは殿下です)
ルシアナの中で、シャルド殿下への好感度が何故か上がっていく。
もっとも、婚約破棄されるための好感度を、本当に好感度と呼んでいいかは謎であるが。
結局、茶会は二人の仲が進展することもなく無事に終わった。
シャルド殿下に対して失礼な振る舞いもしなかったので、公爵家が咎められることはないし、おそらく今回の件があったら、暫くは王城に招待されることもないだろう。
家に帰ると、ルシアナはマリアに王城であったことを報告した。
「マリア! うまくいったわ! 全部マリアのお陰よ! これで夢の婚約破棄に一歩近づいたわ!」
「おめでとうございます、お嬢様! それで、殿下はどのようなお方だったのですか?」
「そうね。私が会話をしてもそっけなくて、お菓子を渡しても一口も召し上がらない、婚約破棄されるのに理想的な方だったわ」
「そんなっ! いくら国王陛下には命を助けていただいた恩があるとはいえ、さすがにそれは許せません!」
マリアは許せなかった。
確かに、ルシアナはシャルド殿下に婚約破棄されるように動いていたが、決してシャルド殿下を嫌っていたわけではない。
その証拠に、彼女はずっと見ていた。
ルシアナがスコーンを作るとき、一生懸命下拵えをしているところを。
そして、「ふふっ、ここの果肉のところが一番美味しいのよね。きっと殿下も美味しいと言って下さるわ」とシャルド殿下が喜んでくれると想って作っていたことに。
「いますぐ王城に乗り込んでシャルド殿下に説教を――」
「ダメよ! そんなことをしたら、マリアが罰を受けることになるじゃない! そもそも、王城には、あなたを知っている人がいるかもしれないから行かせることはできないわ!」
そう言って、ルシアナはマリアに抱き着いて止めた。
マリアの本来の姿――モーズ侯爵家のアネッタは、何度か王城に出向いたことがある。
いくら化粧を落として、髪の色を変えているといっても、彼女がアネッタだと気付く人間がいるかもしれない。
本来、死刑になってこの世にいないはずの人間が姿を変えて現れたと知られたら、パニックになるかもしれない。
「ですが……」
「本当に大丈夫。マリア、スコーンがまだ少し残ってるの。一緒に食べましょ?」
「はい、お嬢様。では、直ぐに紅茶を淹れますね」
そうして、ルシアナとマリア、二人だけのお茶会が始まった。
特に牽制し合うこともなく、ただとりとめのない会話と続けたルシアナは、このまま平穏な日常が続くだろう、そう思っていた。
翌日――王城から一通の手紙が届くまでは。
「お嬢様、シャルド殿下から、六日後、またお茶会をしたいとお誘いがありました。本当に愛されていますね、お嬢様は――」
と笑顔で頷くステラの言葉を聞いて、ルシアナは頭を抱えることになる。
(一体、なんでこんなことに――)