シャルド殿下が来るまでの間、ルシアナはカールと二人で話をすることになった。
「どうぞ、カールさん。前に美味しいと言ってくれたスコーンです」
「あぁ、ありがとう」
カールはそう言ってスコーンを手に取ると、マスクを取ればいいのに、
ぶっきらぼうな口調のカールだけれども、シャルド殿下と違い、その場で食べて美味しいと言ってくれる。
バルシファルも美味しいと言ってくれるのも嬉しいのだけれども、彼は基本、何を食べても反応がそれほど変わらない。逆に、カールは甘い物が苦手だと言っていたにもかかわらず、美味しいと言ってくれるので、お菓子の作り甲斐がある相手だと言えた。
「どうやって作っているか、レシピを聞いてもいいだろうか……ですか?」
「カールさんは料理をなさるのですか?」
「いや、料理人に作らせようと思ってな」
「騎士として出世して、料理人を雇えたらって話ですか?」
「……まぁ、そういうことだ」
恥ずかしいのか、カールは少し俯き加減に言う。
夢があるのはいいことだと、ルシアナは思った。
「でも、やめたほうがいいですよ。とても手間がかかるので、頼んでいたら料理人が逃げちゃいます」
「どういうことだ?」
「まずですね――」
とルシアナは、素材の入手から、下拵え、調理の手順で説明した。
それを聞いて、カールは驚く。
「ということは、このスコーンを作るのに三日はかかるということなのかっ!?」
「ええ。といっても、ほとんどは貧者の砂糖に関することです。あ、でもこれはあまり他の人に言ったりしないでください。貧者の砂糖の素となるシロミツ草は栽培されているわけではありません。文字通り、お金のない人が山菜などを摘むときに、甘い物が欲しくて摘んで帰るような野草なんです。美味しい貧者の砂糖の作り方が広まってしまえば、根こそぎ摘まれて、お金のない人たちが甘い物を食べられなくなってしまいます。シロミツ草の根は、砂糖にしなくても水に晒して」
「山にいけば、シロミツ草以外にも甘い物はあるだろ」
「シロミツ草以外の甘い物は、売り物になりますから」
「…………?」
意味が分からないという顔のカールに、ルシアナは説明した。
この辺りの森で取れる甘い果実はドーシの実やシロミツ草以外にも色々なものがある。
ただ、シロミツ草以外の果実は、店に持っていけばお金に換えられる。
お金が無い人には、嗜好品である果実より、それを売って小麦を買った方がいいということだ。
「シロミツ草から砂糖を作って売っている人もいますが、手間がかかるので、買い取りできる量が少ないんです。なので、お金のない人はそれを甘味として使うんです」
「砂糖にするのか?」
「砂糖にするには面倒ですから、ただ、煮込むだけですね」
「煮込んで食べるのか……」
「いいえ、煮込むだけでは、シロミツ草の根は食べられません。その煮汁を飲んだり掛けたりするんです。灰汁のせいで黒くて、そして土臭いんですよね。なので多分、カールさんの口には合いませんよ。それでも、甘い物が食べられない人には貴重な甘味なんです」
「俺にはわからない世界だな……というか、貴様……ルシアナ様は公爵令嬢なのに、何故そのようなことを知っているんですか?」
「いろいろとありましたので」
前世の修道院時代のことを思い出して、ルシアナは遠い目をした。
あの時は、甘い物欲しさに、毒のある花蜜をすすったり、樹液を集めるために大量の虫と戦ったりと、今考えるだけでも悲惨な毎日だった。シロミツ草があるだけでも幸せだと思っていたほどだ。
「まぁ、甘い物は命ということです」
「甘い物くらいで大げさな」
と言って、カールがスコーンをもう一枚食べようとしたところ、ルシアナはそれを取り上げてパクリと食べた。
「そんなことを言うカールさんはスコーン没収ですよ」
「なっ、お前――様。それは俺にくれたものだろ」
「お前様――って、随分と古風な言い回しですね。いいではありませんか。甘い物くらいで大げさですね」
「ちっ……」
カールは舌打ちして、もう一枚スコーンを籠から取ろうとするけれど、ルシアナは籠の蓋を閉じた。
「何をするんだ?」
「籠の蓋を閉められてどう思いましたか?」
「……腹が立った……です」
「さっき、カールさんは言いましたよね。甘い物が食べられない世界がわからないって。甘い物を食べられないのって、本当にイライラするんですよね。婚約破棄されるより、家を追い出されるより腹が立つんです」
「いや、逆だろ、それは」
「わかってませんね、カールさんは。だから、いまだに訓練生なんですよ」
「それは関係ないだろ」
「とにかく、甘い物は大切なのです。カールさんがスコーンを食べられないのは、私が意地悪している間ですが、でも、お金が無くて甘い物が食べられないのは、もっともっと長い間なんですよ。わからない世界だからといって、わからないままでいいという免罪符にはなりません。わかろうとする努力を怠っていいという理由にはならないんです。カールさんは将来、騎士になりたいんですよね? 騎士も貴族も王族も、民のために生きる使命があります。民のことを理解できないとダメですよ」
「偉そうに言っているが、籠を閉じるのはやっぱり意地悪なのか……ですか」
「ええ、ちょっとした意地悪です。私は我儘で自分勝手で悪い貴族令嬢なんですから」
そう言って私はカールに笑いかけた。
カールは籠の中に手を伸ばし、ルシアナの言ったことを気にして手をひっこめたが、ここで食べずに気にしていると思われるのが癪だったのか、再度手を伸ばしてスコーンを食べた。
「マスクを外せばいいのに」
「外せない理由があるんだよ」
「どんな理由ですか?」
「…………この後、トイレ掃除がある」
そう聞いて、なるほど、カールが不機嫌な理由はトイレ掃除が面倒だからなのかと納得した。
「そういえば、カールさんは、シャルド殿下に会ったことがありますか?」
「ああ、結構会ってるな」
「シャルド殿下ってどんな方ですか?」
「……よくわからない」
「確かに、よくわかりませんね」
カールの言葉が的を射すぎていて、思わず笑ってしまった。
会ってもほとんど話してくれないし、何を考えているかよくわからないとルシアナは思っていた。
「でも、よく会うってことは、シャルド殿下が最近、どこに外遊するかとかわかりますか?」
「外遊? 確か、西の砦に慰問することになっていたが、なんでそんなことを聞くんだ? ですか?」
「ふふふ、それは秘密です。じゃあ、残りのスコーンはカールさんにあげます。そろそろトイレ掃除に行かないと怒られますよ。頑張ってください、未来の騎士様」
「……ありがとう」
カールは貰った籠を見て、礼を言ったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
カールに変装していたシャルドは、急いで部屋に戻る。
部屋に入ると、声を変える首輪と髪の色を変える腕輪を外した。
「殿下、急いで着替えて下さい」
側近のレジーが服を用意する。
シャルドの着替えは本来は側仕えの仕事だが、彼が騎士団で訓練をしていることは一部の人間しか知らないため、レジーが手伝っていた。
「……レジー、質問がある」
「なんですか?」
「俺は……一体何をしたいんだ?」
それを聞いて、レジーは逡巡し、そして言った。
「それは私が聞きたいです」
本当に殿下は何をなさりたいのですか? と。