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第54話

 木造の家屋が目立つ村全体に、澱んだ魔力が満ちていた。

 俗に瘴気と呼ばれるそれに包まれた村は、霞んで見えるような状態になっていた。


「ホーリーライト……あ、ゴースト」


 光の球が生み出され、脅かそうと飛びかかってきたゴーストが浄化された。


「聖女様、今、ゴーストに気付く前に魔法を使わなかったか?」

「えっと、癖みたいなもので」


 前世の経験に加え、最近大量にゴーストを浄化したことから、ゴーストを見た瞬間、それがゴーストと認識する前に魔法を使うのが癖になっていたようだ。


「すみません、魔力を無駄遣いしちゃって。あ、でもホーリーライトならほとんど魔力を消費することはありませんから」


 何しろ、ランプの代わりに使っているくらいである。

 ホーリーライトは、強制的に不死生物を浄化する魔法ではなく、どちらかといえば意識というものをほとんど持たないゴーストや、この世を彷徨い成仏できなくなった浮遊霊などを天に導く目印となる魔法のため、力はほとんどない。


「なるほど……想像以上に聖女様のようだな」


 キールは感心半分、呆れ半分と言った感じでルシアナの言葉を聞いた。


「あの、聖女様って呼び方はやめてくれませんか? 私は聖女じゃありませんから」

「ん? でも、エグニの婆さんがそう呼んでただろ?」

「お願いします。私のことはシアって呼んでください」

「お前がそう言うならそうするよ、シア様」


 敬称も必要ないのだけれども、とりあえず聖女という肩書きだけでも無くしてもらえればそれでいいとルシアナは思った。

 そして、キールはルシアナを背負ったまま、村に続く道とは別の方向に行く。

 村に行くのではないかと思ったが、まずは避難している森の民の場所に行くらしい。


「あれ?」


 村の中心に生えている大きな木の根元に動く影が見えた。

 不死生物かと思ったけれど、どうも違うらしい。

 ただ、人間でもなかった。


「どうしたんだ、シア様」

「いえ、大丈夫です。行きましょう」


 そして、ルシアナは背負われたまま、森の民がいる避難所へと向かった。

 避難所と言っても、建物があるわけではなく、夏の間、食糧を保管するための洞窟だった。

 真夏でも涼しいこの洞窟は、肉や魚などを保存しておくのに最適らしい。


 洞窟の前には緑色の髪の二十歳くらいの男と三十歳くらいの男が見張りをしていた。

 二十歳くらいの男がキールを見つけて文句を言う。


「止まれ! 何しに来た、キール! 二度と俺たちの前に姿を現すなと言ったはずだ!」

「聖女様を連れて来た! 彼女なら、病人の治療も、瘴気に侵された村も元に戻すことができる」


 キールはそう断言した。

 ルシアナからしたらとんでもない話だ。

 そこまでできるなんて言っていない。

 病気は完治するのではなく、あくまで体力を回復させて、あとは自然治癒に任せるだけだし、村の魔力の澱みについても、表に出ている部分の浄化は可能だが、そもそも原因を見つけないとすぐに元通りになってしまう。


「誰であろうと関係ない。我々の村に余所者を連れて来てはいけない。それが我々の掟だ!」

「掟、掟って、いまはそんな場合じゃないだろ! あれから何人死んだんだ!」

「お前には関係のない」


 二人の言い合いが続く。

 なんとか森の民を助けようとするキール、そしてキールを追い返そうとする男の会話は平行線で進んだ。

 いつの間にか、もう一人の男がいなくなっていた。

 恐らく、洞窟の中にいる人たちに連絡がいったのだろう。

 まるで子供の喧嘩のように言い合いを続ける二人を止めてもらえたらと思って、ルシアナは黙って待つことにした。

 そして、先ほどの男が、他の男たちを連れて戻ってきた。


(ふぅ、これで不毛な言い争いも終わり……え?)


 ただし、全員槍を持っており、不穏な空気をぷんぷん出している。

 キールと言い合いをしていた男は、舌打ちをした。


「中に入れ」


 先ほどの三十歳くらいの男がキールに向かってそう言う。

 ルシアナは怖くなった。


「あの、キールさん、逃げた方が……」

「シア様を背負ったまま逃げられないだろ。それに、こうなることはわかっていた」

「わかっていたって、キールさん……これ……」


 どうみても、治療をしてもらおうという態度ではない。

 むしろ、これから捕縛されて連行される。

 そんな雰囲気だった。


 だが、キールの言う通り、ここから逃げるのは難しく、二人は言われるがまま洞窟の中へと入っていく。

 洞窟の中は結構広く、いくつかの道に分かれていた。


「キールはこっちだ」

「ああ、わかった」


 そう言うと、キールはルシアナを下ろし、彼女を置いて細い道の奥に連れていかれる。

 一人残されたルシアナは一気に不安になった。


「お前はこっちだ」


 ルシアナはビクビクしながら、広い道を進んでいく。

 さらに分かれ道があった。その先に、寝込んでいる人達が見えた。

 おそらく、病に侵されている人たちだろう。

 鼻を突く独特な臭いから、かなり症状が悪く、今すぐ治療が必要だと思われる。

 今すぐ走って治療したい気持ちになったが、ここで勝手な行動をすれば助けられる人も助けられないと、ルシアナはぐっと堪えた。


 そして、一番奥の部屋の一番奥の椅子の形をした岩に座っていた、七十歳くらいの髪が全部真っ白になっているお爺さんだった。


「お嬢ちゃんが、キールが連れて来たっていう聖女様か」

「シアと申します。森の民の長殿とお見受け致します。本日は事前に連絡もせず勝手な訪問、誠に恐れ入ります」

「なるほど、その年、この状況でそれだけのことが言えるとはな。では、シア殿と呼ばせてもらおう」


 長老はそう言うと、手に持っていた杖のようなものを地面に突かず立ち上がる。


「我が民の掟に『子は宝』というものがあり。だから、シア殿、其方には危害を加えるつもりはない。安心なされるがよい」


 それを聞いて、ルシアナは少し安心した。

 森の民の秘密を知ったからには生かしてはおかぬと言って、殺されるかと思った。


「それでは、早速皆の治療をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「それは断る。其方は教会の修道女であろう? 我らは神獣様を神と崇め、敬う一族だ。そんな我らが、異教の者から施しを受けたとあれば、神獣様に申し訳が立たない」

「そんな……神は違っても、私たちは同じ人のはずです。我々の主であっても、森の民の皆様が慕う神獣様であっても、人と人が助け合うことを咎めるはずがありません」

「そうだろうか? かつて、ファンバルド王国は我々に恭順を求めた。武力の差は歴然。戦って我々に勝ち目はない。我々はその申し出を受け入れることにした。だが、ファンバルド王国の王は、我々に改宗を求めた。神獣様への信仰を捨て、我々の神を信じるように。我々がそれを断ると、ファンバルド王国は、神の裁きと称し、攻め滅ぼした。ファンバルド王国もトラリア王国も、国は異なるが崇める神は同じではないのかね?」

「それは……」


 厳密に言えば違う。

 神の名前は同じであっても、トラリア王国にとって、ファンバルド王国の教会の教えは異端とされており、ファンバルド王国もまた、トラリア王国の教会での教えを異端としている。

 だが、それを説明したところで、森の民を納得させることはできないことを、ルシアナは理解していた。


「事情がわかったのなら、帰るのだ」

「いえ、帰れません。神獣様はなんとおっしゃっているのですか? このまま病に侵された人を見捨てろと? それとも、神獣様の奇跡で病気の人が治るというのですか? 既に多くの人が亡くなっているというのに」

「貴様、我らが神獣様を愚弄するつもりか!」

「愚弄していません! 神獣様を信じるあなたたちの心はとても尊いものです! ただ、私は――」

「ええい、黙れ!」


 森の民の長が立ち上がって杖の先端をルシアナに向ける。

 だが、ルシアナは真っすぐに森の民の長の目を見て言った。


「神獣様が何を考えているのかはわかりません。ただ、キールさんは――あなたたちに命を救われたと言ったあの人は、あなたたちに生きていてほしいと言っていました。寝ている私を無理やり攫って、どんな罰でも受けるから頼むと言って、まだ七歳の私に頭を下げてお願いしたんです」

「わかっている。あいつがどんな覚悟でこの村に戻ってきたのかも。余所者を村に連れ込んだ者は最悪殺されることも覚悟の上でやっていることもな」

「殺されるっ!?」


 ルシアナの脳裏に、最悪の光景が映る。

 先ほど分かれ道で連れていかれたキール。彼が今、どうなっているのかという光景が。


「安心せい、殺しはせん。あの子は優しい子だ。民の皆がそれを知っている。だから甘さが出た」


 そう言って、森の民の長は一本の薬の瓶を取り出した。


「これは、我ら森の民に伝わる秘薬だ。これを飲むと、村にいる間の記憶を消すことができる。迷い込んだだけの余所者を安全に帰すために使われる……な」

「待ってください、そんな薬、キールさんに飲ませたら、彼の十五年間の記憶は?」

「失われることになる。だが、大丈夫だ。あの子はここから出て二年間、多くの記憶と経験を積んだ。その二年がある限り、きっとあの子は冒険者として生きていけるはずだ。あの子は儂らの事を忘れ、幸せに暮らしていける」


 それを聞いて、ルシアナは気付いた。

 違う、それを飲んでも、彼は――キールは絶対に幸せになれないと。

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