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第53話

「――いやぁぁぁぁぁぁあっ!」


 キールに攫われた。

 過去の死の恐怖等が一気に蘇り、ルシアナは悲鳴を上げた。

 すると、馬車が停まり、キールはランプを持って御者席から降りると、ルシアナの横に立つと、その場に膝を突いた。


「勝手に連れ出したことは悪く思っている。でも、どうか俺についてきてほしい、聖女様。全てが終わった時、俺はどんな罰でも受けるつもりだ。死ねと言われたら、この命も差し出す」

「…………え?」


 印象が大きく違った。

 問答無用で攫われ、殺された前世と違い、今回は扱いが大きく違う気がした。

 よく見ると、馬車の荷台には何重にも毛布が敷かれていて、快適な寝床になっている。


「マリアは――私と一緒に寝ていた女の子には危害を加えていませんか? 彼女は無事なんでしょうね?」

「起きて騒がれたら困るので、部屋の中に睡眠作用のある煙を撒いたが、副作用のある薬じゃないし、それ以上何もしていない」


 とりあえずマリアの無事を安心したところで、ルシアナは息を整え、キールと向き合った。


「……事情を聞かせてもらえますか?」


 まだ完全に信用したわけではないが、ルシアナは話を聞くことにした。


「聖女様に、俺の故郷を救っていただきたい」

「故郷に何があったのですか?」

「街と同じ、いえ、街よりも非道い状況なんだ」


 確かに、街の近くにもいくつか村があることはルシアナも知っていたし、話にも聞いていた。

 その村の井戸水を使っても病気に感染するのだが、川から離れているお陰か、そこまで病気は悪化していないと聞いていた。

 ただ、キールの様子を見ると、どうやらエグニも把握していないくらい状況が悪化している村があるそうだ。


「そういうことなら、攫ったりせずに話してくれたらよかったのに」


 素直に話したところで、キールを警戒しているルシアナがその誘いに応じたかどうかはわからないが。


「それはできない。俺たちがこれから行くのは、森の民が隠れ住んでいる村なんだ」

「森の民の村――そんなものが……」


 森の民とは、かつて、ファンバルド王国とトラリア王国の国境――つまり、西の砦の側を流れる川の対岸に広がる森に暮らしていた民族のことである。

 ファンバルド王国が森林を己の領土とするべく攻め込んだとき、森の民は恭順を拒み、滅びたと言われていたが、キールの話ではその生き残りが隠れ住んでいる村があるらしい。


「ということは、キールさんも森の民なのですか?」

「いや、俺は森の民ではなく……あれ? 俺、名乗ったか?」


 キールが不思議そうに聞き返す。


(あっ! そういえばエグニさんもキー坊としか言っていませんでしたっけ)


 キールの名前はルークから教えてもらって知っていたのだが、それを正直に言えば、「なんで俺のことを調べていたんだ?」と怪しまれてしまう。


「えっと、エグニさんから聞いたんです」

「あぁ、そうだったのか」


 キールは疑う様子もなく、あっさりと信じた。


「さっきの質問だが、俺は森の民じゃない。俺の両親は行商人だったらしいんだが、魔物に襲われてな。森の民が見つけたときには両親は既に手遅れだったが、赤子だった俺は木箱の中に隠されていたらしい。そして、俺は森の民の村で育てられた」


 そして、十五歳になったキールはその村を旅だった。

 村の掟で、成人した余所者の人間をいつまでも村に置いておけなかったそうだ。

 それでもキールは彼らに感謝していたそうだ。

 森の民の村で一人で生きていくための力を蓄えていた彼は、冒険者としてやっていくには十分な力を持っていた。

 そして現在、流行り病が広がった。

 原因が川の水だとわかり、キールは不安になった。

 森の民が住んでいる村は、この原因となっている川の上流近くにあるからだ。

 村に戻らないように言われていたキールだったが、彼は当時既に値上がりしていた体力回復ポーションを全財産叩いて買えるだけ買って、森の民が住む村に向かったそうだ。

 何事もなければそれでいい。でも、もしも村で病気が流行っていたら、この薬を渡そう。

 そう思って。

 だが、村の状況は、彼が購入したポーション数本でどうにかなるような状況ではなかった。


 そして、村全体が瘴気に蝕まれていた。

 森の民が隠れ住む村こそが、病気の感染源だったのだ。

 森の民の半数は病で死に、不死生物として村をさまよっている。

 生き残った森の民もその多くは病に倒れていた。

 彼らに体力回復ポーションを渡そうとしたキールだったが、森の民はそれを断った。

 もうキールは余所者だから、助けを借りるつもりはないと。

 これが森の民の運命だとするのなら、自分たちはそのまま死ぬつもりだと。


 キールはそれでも体力回復ポーションをその場に置き、街に戻った。

 神官に頼んで村の浄化をしてもらおうかもと思ったが、力のある神官のほとんどは西の砦に行っている上、森の民の村を軽々しく誰かに話すことはできない。そもそも、あの村の瘴気を見ると、浄化するのに一体何人の神官と、そしてどれだけの費用が必要かわからなかった。

 どうしたらいいかわからず、キールはがむしゃらに冒険者ギルドの依頼を受けてはそれをこなしていった。

 そんな時、ルシアナと出会った。

 エグニから聖女と言われるような力を持つ修道女。

 最初は信じられなかった彼は、街を回ってルシアナの話を聞いて回った。

 病気だった人も快方に向かい、診療所では祈りの力で周囲の人間が光の球が浮かび上がったのを目撃していた。

 キールはルシアナの力は本物だと考えた。

 そして、誰からも報酬を受け取らない心優しい彼女なら、事情を話せば森の民のことを黙っていた上で助けてくれるのではないか?

 そんな思いから、ルシアナを秘密裏に連れ出そうと思ったらしい。


 やり方は強引過ぎるが、それでもルシアナは彼の言い分を理解できた。


「食べ物はありますか? できれば甘い物がいいのですけど」

「あぁ、村の奴らに持っていこうと思っていた果物がその袋に」


 それを聞くと、ルシアナは隣にあった袋を開けると、中にはキイチゴのような小さな果物がいっぱい入っていた。

 ルシアナはそれを手に取るとそのまま口に入れる。


「おい、それは――」

「私は昨日、魔力を使い過ぎてまだ完全に回復しきっていません」


 そう言ってもう一粒、さらに一粒と果物を食べていく。


「瘴気の浄化にせよ、体力を回復させるにせよ、私の魔力が必要な以上、こうして食べて、そして寝て、魔力を回復させないと、いけません」


 説明の途中、息継ぎをするように、ルシアナは果物を口の中に入れていく。

 口の中に甘みと酸味が広がるが、それを味わうことなく、次々に飲み込んでいく。

 そして、十分食べたところでルシアナは毛布を被り、横になる。


「寝ますから、着いたら起こしてください。それと、全部終わったら、詳しい事情は話さなくてもいいですからマリアやエグニさんに一緒に謝ってください。絶対に心配しているはずですから」

「わかった、感謝する」


 キールの短い言葉を聞いた、ルシアナは自分に睡眠補助の魔法を掛けようかと思ったが、やはり少しでも魔力を節約するため、頑張って寝ることにした。


(あ……トーマスさんにも謝らないと……)


 そう思ったとき、ルシアナの意識は遠のいていった。



 そして、次に目を覚ましたとき、ルシアナはキールに背負われて森の中を歩いていた。


「起きたか。悪いな、ここは馬車じゃ通れないから歩いて移動しないといけないんだ」


 空を見ると、木々の隙間から青空が見えた。

 すっかり朝になっていたらしい。


「すみません、私も歩きます」

「いや、少しでも体力を温存してくれ。それに、もう見える」


 彼がそう言ったとき、少し開けた場所が見えた。

 そこから見えるのは小さな村とそれを取り囲む瘴気、そしてその村を徘徊する不死生物たちの姿だった。

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