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第56話

 森の民が住む村の魔力の澱みを解消するため、ルシアナはキールと森の民の戦士三人とともに洞窟を出た。

 その間、ルシアナはキールが持って来た果物を口の中に入れる。

 魔力を使い過ぎてエネルギーを必要としているせいか、今朝より口の中に果物を入れる速度が上がっている。しかし、七歳の小さな口では咀嚼するのに時間がかかり、小さな喉では飲みこむのに時間がかかる。

 結果、ルシアナの頬はだんだんと膨らんでいく。


「シア殿、リスみたいですね」


 門番をしていた三十歳くらいの男――バジがルシアナを見て言った。

 それを聞いて、キールと言い争いをしていた男のラントが笑いを堪えきれずに噴き出した。

 リスになりたくてなっているわけではないと文句を言いたいルシアナだったが、口が塞がっていて、それも叶わない。

 ようやく口の中の果物を飲み込んだ時には、既に怒るタイミングを失っていた。


「ところで、シア様。瘴気の中に入るわけですが、注意点はあるか?」


 キールが尋ねた。


「そうですね。注意点として、魔力の澱み――瘴気そのものは少し吸ったからといって、人体に害があるものではありません。ゴーストが発生したり、死者の魂が天に導かれずに不死生物になったりしますが、直接的に魔力の澱みのせいというわけではありません」


 よく勘違いされるのだが、魔力の澱みが直接死者を不死生物に変えるのではない。

 魔力の澱みは、外部からの魔力を阻害するくらいしか効果がない。

 そして、疎外する魔力は天からの導きも含まれてしまうのが厄介なのだ。

 魔力の澱みに満ちた場所で人が死ぬと、その者の魂は魔力の澱みのせいで天に導かれることなくこの世界を彷徨う霊となる。

 澱んだ魔力を吸い込んだ霊は力を増し、同時に自我を失い、悪霊化する。

 その悪霊が自分、もしくは他の生物の身体に憑いたとき、ゾンビやスケルトンとして動き出す。

 そして、ゾンビやスケルトンは新たに魔力の澱みを生み出す。


「でも、病気になったのも魔力の澱みが原因じゃないのか?」

「いえ、逆ですね。恐らく、病気の元となる呪詛を含んだ毒のようなものが村か、村の近くにあって、それが原因で魔力の澱みが発生しているんだと思います。呪詛の事を考えると、村の中にあるものは食べたり飲んだりしないでください。あ、でも呪詛が食べ物に定着するのに時間がかかりますから、持ってきた食べ物などは問題なく食べてもらって結構です」


 そう言われた男たちの顔は強張っている。

 いくら大丈夫だと言われても、今の話を聞いても、そんな場所で食事を食べようだなんて思わない。

 そういうメンタルの持ち主は、後で解毒魔法を掛けるから大丈夫だと言って毒キノコを食べるようなルシアナくらいなものだ。

 それに――


「俺が持ってきた果物は、シア様が全部食べたんだが――」


 キールが空っぽになった袋をひっくり返して言った。

 ルシアナは「ごちそうさまでした」と小さく合掌した。


 そして、ルシアナたち五人は森の民の村へと戻ってきた。

 森の入り口にいたのは、槍を持ったゾンビと、そして骸骨だった。骸骨は槍を逆に持っている。


「……ドンタ……と誰だ?」

「骨は村の墓から出て来た森の民のご先祖様の誰かでしょう。不死生物になるとき、自分の体ではなく他の人の身体や骨に憑いてしまうことがたまにあります」

「ってことは、憑いてるのはカッツォだな。いつも二人揃って見張りをしていたし。シア殿、浄化を頼む」

「はい――まずは魔力の澱みを浄化します」


 魔力の澱みの中では、死者を天に導く浄化魔法が非常に作用しにくい。

 ゴースト程度なら問題なく浄化できるが、不死生物を効率良く浄化するには、先に魔力の澱みを解消したほうがいいのだ。

 ルシアナはそう説明し、まずは祈りを捧げる。


 ルシアナが祈りを捧げると、彼女の周囲から光の球が浮かび上がった。光の球が弾けて消えると、魔力の澱みもまた同じように消えていく。


「綺麗だ……」


 バジが呟くように言った。

 光の球が広がり、消えていくと、澱んていた魔力が正常の流れに戻っていくのを感じた。

 そして、ルシアナは魔法を唱える。


「アンデッドブレイク」


 ルシアナがそう言って、光の球をゾンビと骸骨に向かって放った。

 すると、二体の不死生物は倒れ、中から黒い靄のようなものが噴き出す。


「今の魔法はっ!?」

「アンデッドブレイクは、悪霊と肉体の結びつきを消し去り、弱らせる魔法です。あとは――」


 とルシアナはホーリーライトの魔法を使い、出て来た霊を天へと導いた。


「……もう、死んでるのか?」

「元々死んでいます」


 そう言って、ルシアナは遺体に戻った男と骸骨の前に跪き、祈りを捧げて謝罪する。


「本当は埋葬しないといけないのですが、時間がないのですみません。全部終わったらバジさんが責任をもって埋葬しますから待っていてください」

「俺かよ! いや、やるけれど……」


 そう言って、バジもまたルシアナの横に座り、祈りを捧げた。

 彼だけではなく、キールたちも手を合わせ、死者の冥福を祈る。


「さて、村の中に入りましょう」

「ああ、そうだな」


 そして、ルシアナは村の中に入ったのだが、不思議なことに気付いた。

 キールの話では、かなりの数の不死生物が村の中を歩いていると言っていたのだが、数が少なかったのだ。

 建物の中を覗いても、見つけたのはほんの三人程。

 全員浄化したが、聞いていた話の半分もいない。


「さっきの祈りで浄化されたのか?」

「いえ、あれは魔力の澱みを解消するだけのものですし、何より御遺体が残っていないのもおかしいです」


 暫く見て回ると、ルシアナは井戸の前で動く影を見つけた。


「あっちで何かが動きました」


 ルシアナが急いで追いかけ、それをキールたちも追いかけた。


「本当か? 俺たちは何も気付かなかったぞ」

「いえ、絶対に見ました。この下です」


 ルシアナはそう言い切った。

 そこは村で一番大きな建物の床下だった。


「おい、本当にそんなところにいるのかよ」

「います。連れてくるから待っていてください」


 そう言って、ルシアナは縁の下から床下へと入っていく。

 キールが、


「シア様、危ないから戻ってこい!」


 と言うが、ルシアナはお構いなしに入っていく。

 そして、見つけた。


「やっぱりいた!」


 そこにいたのは、朝に見た白い犬だった。

 その白い犬は、ルシアナを一度見て「わふっ」と鳴くと、床下の地面にぽっかり空いた大きな穴を見詰めた。


「こんなところに穴?」


 ルシアナは不思議に思いながら、穴の中を覗き込んだ。




 ルシアナは床下から出て、キールたちと合流した。


「皆さん、聞いてください。この先の地面に大きな穴がありました。そのことを誰か知っていますか?」


 ルシアナの問いに、四人とも首を横に振る。

 そして、バジが言う。


「そもそも、ここは神獣様を奉る社だ。そんな社に穴を掘るなんて罰当たりなことをする奴は誰もいない」

「でも、確かに穴はありました。そして、穴の底に――鬼がいました」

「鬼?」


 ルシアナは見たままを言う。

 赤い体の角の生えた大男。

 そして、その周囲には血の痕があった。


「おそらく、穴の中では、蟲毒の儀式が行われていたのだと思います」


 ルシアナは蟲毒について説明した。

 魔物や動物、そして人の死体を穴の中に入れ、魔力の澱みによって不死生物へと生まれ変わらせる。そして、穴の中で殺し合わされる。それにより、魔力の澱みはさらに濁っていき、蟲毒という名前の毒となる。

 あの鬼は、蟲毒によって生まれた副産物のようなもの。元々は、オーガの死体かなにかだったのだろう。

 だが、それにしては大きすぎる。


「恐らく、キールさんが見たという不死生物となった森の民の方々も、ほとんどが穴の中に入っていき、鬼に殺されたのでしょう」

「それは、聖女様に浄化できるのか?」

「浄化は可能です。しかし、あれだけの力を持つ鬼となると、戦って弱らせないといけません。あの見た目、とても勝てるとは思えません」

「見て来てもいいか?」


 キールが尋ねた。

 見るだけなら問題はないとルシアナが言うと、キールとラントが身を屈めて、這うように床下に入っていった。

 そして、少しして戻ってくる。


「……シア様の言う通りだった。あんな大きな魔物、見たことがない」

「それに、穴もかなり広い。降りて見ないとわからないが、奥にもかなり続いているようだ。一体、誰がどうやってあんな穴を――」


 誰が掘ったかはルシアナにはわからない。

 だが、掘った方法は、恐らく魔法によるものだろう。

 王都の近くでも同じような穴があり、蟲毒の実験が行われていた。

 いや、同一人物の犯行だとすると、時期的な物に鑑みると、こちらの方が先に行われていたと見ていいだろう。


「おそらく、あの穴の地面に蟲毒の呪詛が染み渡り、それが地下水を通じて川やこの村の井戸に流れたんだと思います。そして、今もあの鬼から漏れ出ている呪詛のせいで、水は汚染され続けています」

「つまり、あの鬼さえやっつければ、村の水は元に戻るってことか?」

「時間はかかりますが、そうなりますね」


 ルシアナは頷いた。

 さらに、ルシアナが穴の底を浄化したら、さらに元に戻るための時間が短くなる。


「そうか……ありがとう。シア様、これからシア様を町に送り届ける」

「え?」


 キールの言葉に、ルシアナは耳を疑った。

 だが、他の三人も頷く。


「そうだな。二人が見たのが事実なら、俺たち森の民はこれから鬼と戦うことになる。嬢ちゃんはよくやってくれた。これ以上、森の民の問題にかかわらせるわけにはいかない」


 ラントが言った。


「そうだな。シア殿は本当によくやってくれた。長に代わって礼を言う」

「あとは俺たちの仕事だな」

「キール、嬢ちゃんのことをちゃんと町まで届けてやれよ。あと、鬼と戦うまで力を貸してくれ」

「あぁ、わかったよ、ラントの兄貴」


 キールはラントにそう言った。

 あのような大きな鬼との戦いになると、ルシアナはむしろ足手まといだろう。

 どうやら、本当にルシアナの出番はこれで終わりのようだ。


「あ、そういえば、この白い犬って、誰かの飼い犬だったんですか? とても人懐っこいんですけど」


 そう言って、ルシアナは頬をペロペロと舐める大きな犬を見て尋ねた。

 それを見て、ラントは不思議そうな顔で尋ねた。


「犬って、なんのことだ?」

「え? いえ、この大きな犬のことですが」


 ルシアナはそう言って犬の頭を撫でると、犬は気持ちよさそうに「わふぅ」と鳴いた。

 それを見て、キールは目を細めた。


「シア様、本当に、そこに白い犬がいるのか?」

「えぇ、緑色の宝石のついている首輪をつけているので、飼い犬だと思うのですが……え?」


 ルシアナは妙なことに気付いた。

 これでは、まるで、キールにはこの犬が見えていないように聞こえたからだ。

 そして、それは間違いではなかった。

 ラントたちは顔色を変えて一斉に叫ぶ。


「「「神獣様がそこにいらっしゃるのかっ!」」」

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