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第57話

「おぉ、神獣様だ! 神獣様の気配だ! 神獣様の御声も聞こえる! お声をこの耳で聞くのは五十年ぶりだが、間違いない!」


 森の民の長がそう言って頭を垂れる。

 どうも、ルシアナの横にいる白くて大きな犬は、神獣様だったらしい。

 ルシアナにはただの毛並みの良い白くて大きな犬にしか見えないが、他の人にはその姿は見えていない。。

 唯一、森の民の長だけはその気配を感じることができるということなので、洞窟に戻ったルシアナたちだったが、洞窟に入るなり、このように森の民の長が宣言したことで、全員が白い犬の方を見て跪く。

 白い犬――神獣は、「わふ?」と不思議そうに首を傾げているだけなのだが。

 ルシアナとしては、真っ白い毛並みに顔を埋めて、「もふもふー」とか、「お手、おかわり」など芸を仕込みたいと思っていたのだが、神獣様が相手ならそれも許されないだろうと諦めた。


(でも、何故、私しか見えないのでしょうか?)


 生まれ変わったことが原因か、他の人より魔力が多いことが原因かはわからない。もしかしたら他の要因があるのかもしれない。そう思っていると、神獣が「わふ、わふわふ」と鳴き始めた。

 その声を聞こえるのは、ルシアナと森の民の長の二人だけだった。

 当然、ルシアナは何と言っているのかはわからないが、森の民の長は違った。


「皆の者、聞け! 神獣様より啓示が下った! これより我ら森の民は鬼と戦う! 神獣様が穴から鬼を追い出してくださるから、我ら皆で鬼を弱らせ、そして聖女シア様にトドメをさしていただく!」

「え?」


 いま、自分の名前が聞こえたような気がすると、ルシアナは思った。

 名前が出るのは百歩譲っていいとして、その前にあってはならない言葉があるような気がした。


「神獣様は、シア様こそが聖女であると仰っている!」

「違いますっ! 私は聖女では――」

「聖女様だ!」

「神獣様が認められた聖女様だ!」

「聖女様、万歳っ!」

「聖女様、万歳っ!」


 誰も他人の話を聞く力がないのか、それともルシアナの言葉だけが耳に届かないのか、新たな聖女の誕生に皆が諸手を上げて喜ぶ。


「聖女シア様。これまでの数々のご無礼、どうかお許しください。まさかあなた様が神獣様の聖女様だったとは」

「うぅ……(違うんだけど)」


 もう、なんだか絶対に違うと言えない雰囲気になっていた。

 ルシアナは神獣様を見て、「余計なことを言って……」と文句を言いたい気持ちになった。


(ごめん、マリア……もう少しだけ帰れそうにない)


 心配しているであろうマリアに、ルシアナは心から謝ったのだった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 マリアがルシアナが攫われたことに気付いたのは、朝になってからのことだった。

 ベッドで寝ていたはずのルシアナがいなくなったこと。

 そして、部屋の中に落ちていた、見たこともない焚き火台と、その上の燃えカス。

 最初、マリアは何があったのかわからなかったが、ルシアナがいなくなったと聞いてやってきたエグニが、焚き火台の中に残っている草から、誰かに眠らされたうえ、ルシアナが攫われた可能性が高いと言った。

 直ぐにエグニは門番に事情を説明し、昨晩から今朝にかけて町から出た人はいないかと尋ねたところ、キールという冒険者が馬車に乗って門を出て、北に向かっていくところを目撃したということがわかった。

 門番にとって顔見知りの冒険者で、よく大型の魔物を倒すときに馬車に乗って移動するため、特に調べもせずに通してしまったそうだ。

 ただ、キールは現在、冒険者ギルドで何の依頼も受けていないこともあり妙だとエグニは語った。

 そして、急ぎ動ける冒険者を招集し、ルシアナとキールの捜索に乗り出した。


 何故、キールがルシアナを攫ったのかはわからないままだった。

 マリアは自分を責めた。

 そのキールという冒険者は、昨夜、マリアがカッコいい冒険者だと思って見ていた人物だったからだ。

 あの時、少しでも彼の違和感に気付いていれば、ルシアナが攫われることはなかったのにと自分を責めた。


「大丈夫だよ、マリアちゃん……お嬢様なら絶対に無事だから」


 トーマスがそう言ってマリアを励ます――


「……というか、無事じゃなかったら、俺がクビになる」


 ――というより自分にそう言い聞かせているようにも感じた。

 だが、不安はあった。

 動ける冒険者のほとんどは、水や薬などの物資を他の町や村から買って運ぶ行商人の護衛のため、多くの人が町から離れている。この状態で動ける人がいるかどうか。


「トーマスさん、西の砦に行って、騎士団を派遣してもらうのはどうでしょうか?」

「正直、厳しいと思う。通常なら、公爵令嬢であるお嬢様が攫われたとなったら、真っ先に兵を出してでも捜索するだろう。でも、西の砦は現在、多くの兵が病気で倒れている。国の防備という点を考えると、果たして出してくれるかどうか……それに、西の砦の兵たちにとって、お嬢様の印象が悪すぎる」

「それでも、トーマスさん、私を西の砦に連れて行ってください! お願いします!」

「……よし、わかった。ダメで元々だ! 西の砦に行こう!」


 そうして、トーマスは馬車を曳いていた馬に鞍を着け、マリアを前に乗せて二人で西の砦にやってきた。

 そして、責任者の代理をしているアークに、事情を説明する。

 ただし、ルシアナの意志を尊重し、彼女がシアとして人々を治療して回っていることは告げずに。

 しかし――


「わかりました。ちょうど王都に伝令を出すところでした。ヴォーカス公爵令嬢についても手紙で伝え、王都から捜索用の人員を派遣してもらいましょう」


 アークは事情を聴くと、そうトーマスに言った。

 それに対し、マリアが反論する。


「そんなの、時間がかかり過ぎます! 砦の人員で捜索してもらえないのですかっ!」

「人員が足りません。我々は国王陛下の命によりこの地を守っています。たとえ公爵令嬢のためと言えども、その捜索のために人員を派遣し、その間に他国より攻め込まれたらこの国は滅んでしまいます。それに、聞いた話によりますと、証拠と呼べるのは、眠り草だけというではありませんか? もしかしたら、それを燃やしたのは公爵令嬢本人で、あなたたちを眠らせたうえで一人で遊びに行ったのかもしれませんよ? もう少し待てば宿に戻ってくるかもしれません。なので――」

「お嬢様はそんな御方ではありません!」


 マリアはそう言うと、部屋を出た。

 彼に何を言っても無駄だと思った。

 そして、彼女は捜す。

 ルシアナを助けてくれそうな人に、直接声を掛けて回る。

 だが、誰もろくに話を聞いてくれない。

 このまま何もできないのかと思った、その時だった。


「俺に話せ」


 そう言って、マリアに声を掛ける少年がいた。


「あなたは……」

「ルシアナに何があったか今すぐ話せ!」


 黒髪の少年、カールがそう言ってマリアに詰め寄ったのだった。

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