「殿下、私と婚約破棄してください」
ルシアナ・マクラス十三歳。
彼女はトラリア王国の王太子であるシャルドに会うなり、そう宣言をした。
「待て、俺が十五歳になるまでは待っていてくれるのではなかったか!」
突然の出来事に、シャルドは理解できなかった。
何故だ?
何故、こうなった。
「仕方がありませんの、シャルド殿下。私はずっと考えていたんですの」
ルシアナが哀しそうに言う。
シャルドは願う。
それ以上は何も言わないでほしいと。
だが、その願いは届かない。
ルシアナは口を開く。
「私は、世界一のスコーン料理人になるという使命がありますの!」
「やはりそうだったのか……」
シャルドは覚悟していた。
カールとして、彼女が作ったスコーンを一口食べたその時から。
このスコーン、素朴ながらも味わいのあるその素材。
貴族にとって、スコーンとは小麦から作られるお菓子である。
しかし、ルシアナが作ったスコーンはその概念を大きく破壊していた。
彼女が作ったスコーンには、小麦粉だけでなく、ライ麦、そば粉、そしてシャルドも数えるほどしか口にしたことがない東洋の米という穀物から作ったとされる米粉をある一定の配分で混ぜることにより、スコーンを新たなステージへと昇華させていた。
あれは並大抵の努力で作れるものではない。
シャルドは気付いていた。
彼女は、スコーンに一生を捧げるつもりなのだと。
「ルシアナ、お前は勘違いしているかもしれないが、言う。俺はお前のことを――」
シャルドの口はルシアナによって塞がれた。
まったく動きが見えなかった。
ルシアナに認められるため、修行に修行を重ね、いまや歴代の国王をはるかに凌ぐとさえ言われた力を身に着けたシャルドでさえ、彼女の動きがまるで見えなかった。
いつの間にか、シャルドの口の中に、スコーンが押し込まれていたのだ。
「それ以上はスコーンを食べてから仰ってください」
言われるまでもなく、口に入れたスコーンから広がる暴力的なまでの甘味とコクのせいで、スコーンを吐き出すことができない。三十回咀嚼していた。嚙み続けて今の幸せを維持したいという気持ちと、いますぐ飲み込んで最高の幸せを享受したいという気持ち、二律背反に抗い続けたシャルドだったが――
「婚約破棄してくださるのなら、もう一枚、差し上げますわよ」
ルシアナの言葉に、シャルドは項垂れた。
つまり、今、口の中にあるスコーンを呑み込んで、最高の幸せを享受しても、また次の幸せが訪れるということだ。
だが、それでもシャルドは耐えた。
自分の気持ちを貫くために。
強い男になるために。
彼は立ち上がり――
「しかも、今度は紅茶味のスコーンです」
負けを認めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
こうして、ルシアナはシャルド殿下から婚約破棄され、なんやかんやあって公爵家も無事に追い出された。
冒険者として稼いだお金と、公爵家から勝手に持ち出したお金を元手に、王都の一等地にスコーン屋をオープンさせた。
「ルシアナ様、おめでとうございます」
「ルシアナ様、頑張った甲斐があったな」
「ありがとう、マリア! キース! 二人のお陰よ。でも、今日からは私のことはシアと呼んでね」
二人には随分と迷惑をかけた。
最高の味を追求するあまり、毒キノコや毒クラゲや毒蛇や毒ドラゴンなど、様々な素材に手を出してはスコーンを作り、二人を食中毒にさせてしまったこともあった。トーマスにも悪いことをしたとルシアナは今でも反省している。まさか……試作のスコーンを食べ続けて貰ったために50キロも太ってしまうなんて。
まぁ、そのおかげで太らないスコーンの開発に成功したのだが。
「それで、シア様。今日の日替わりスコーンは何にするんですか?」
「そうね、ポーションを練りこんだポーションスコーンなんてどうかしら? 今では一日三十本作れるようになった特級ポーションを練りこんでるの。味ももちろん一級品!」
「「さすがシア様!」」
特級ポーションスコーンは金貨一枚という価格にもかかわらず飛ぶように売れた。
そもそも、特級ポーションを作れる人間など、この国にはいない。
それが、同じ効果で、しかも美味しいスコーンで味わえる。
難点といえば特級ポーションと違い、賞味期限一日という点だけあるが、それは仕方がない。
美味しいスコーンを味わってもらうには、どうしても買ったその日のうちに食べてもらわなければいけないのだ。
まぁ、そんなわけで、開店初日は用意していた八百個の特級ポーションスコーンは完売。
売り上げは、金貨800枚と、飲食店としては歴史に名を残す売り上げとなった。
もちろん、普通のスコーンも売り上げは好調(こちらは販売価格銅貨二枚)で五百枚売れたが、それでも金貨八百枚に比べると端数のため省略している。
「……ルシアナ、スコーンを十枚頼む」
「あ、カールくん、今日も来たんだ。はい、どうぞ。あと、私はシアだから」
「あぁ、また明日も来る」
ちなみに、普通のスコーンの売り上げに、ルシアナの昔からの知り合いの騎士訓練生、カールも協力していた。
最初に出会ったときから六年経ったのに、未だに訓練生でトイレ掃除のためマスクをしているため、きっと騎士として才能がないんだろうとルシアナは少し可哀そうに思いそうになったが、それでもルシアナの店に来るときは非常に嬉しそうにしているので、幸せなんて人それぞれだよねと思い直した。
その後も、日替わりで様々なポーションスコーンを作成。
さらに研究を重ね、ルシアナはとうとう究極のスコーンの作成に取り掛かる。
「ふふふ、次はどんな怪我でも病気でも一瞬で治す、万能薬スコーンの開発に取り組みますよ」
ルシアナの野望は止まらない。
だが、彼女は気付いていなかった。
その野望の果てに、彼女が得られる称号はただ一つなのだと。
『スコーンの聖女』
ただでさえ聖女と呼ばれるのが嫌な彼女。
いくらスコーンが大好きとはいえ、スコーンの聖女という二つ名は流石にルシアナも耐えられないだろう。
そして、彼女はその二つ名を返上するため、かつて手を染め、そしてスコーンによって封印したあの手段を取ることになる。
即ち、悪役令嬢を演じ、聖女に相応しくないと世間にアピールする。
「私の夢は無限大ですわ!」
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「って、なんですの! この変な夢は!」
ルシアナは目覚めるなり、そんな大きな声で叫んだ。
それを聞き、御者席に座っていたトーマスがびっくりする。
「お嬢様、どうなさいましたか!? ファインロード修道院までまだ時間がありますよ」
「どうもこうもありません! あなたの操縦のせいで変な夢を見たではありませんか!」
ルシアナはそう言って、手近にあった藁の籠を投げるも、貴族が乗る馬車のため、当然御者席との間に仕切りがあり届かない。
「まったく、なんなのですか、何がスコーンですの。というか、マリアとかキールとかカールってなんですの? そもそも、なんで私からシャルド殿下に婚約破棄を申し出ているんですの! あの私はバカ丸出しではありませんか! 何がスコーンですかっ!」
ルシアナは夢の内容が一切わからず、わめきたてる。
御者席に座っていたトーマスは、いま話しかけたらまた怒られると思って、気配を完全に消していた。
そして、ルシアナは床に落ちた籠の中に、スコーンが入っていたことに気付く。
「こんなのがあるからいけないんですわ!」
ルシアナはそう言うと、窓を開け、籠ごと外へと放り投げたのだった。
その後、彼女は婚約破棄され、公爵家を追放された結果まともに食事を与えられず、飢えて辛い思いをすることなど、彼女は知る由もなかった。