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第67話

 ルシアナは早速仕事に取り掛かる事にした。

 と言っても、悪霊退治ではなく、掃除の方の仕事である。

 一日で仕事は終わらないので、依頼を受けるとき、エントランスの掃除だけを引き受けた。依頼人はそれでも十分だと言ってくれたので、玄関を重点的に掃除することにした。


「前に掃除に来た人は、たぶん普段は掃除をしない人なんでしょうね。キールさん、埃を上の汚れから順番に落としていきますよ。私は階段の手すりの埃を落としますから、キールさんはすみませんが、それ以外の高い場所の埃を落としてください」

「シア様、悪霊退治はしなくてもいいのか?」

「そうですね。ちょっと悪霊化しかけている霊はあちこちにいますが、まだ大丈夫です。掃除をして綺麗にしてから浄化させてあげたほうが、霊たちも気持ちよく成仏できるかもしれませんし」


 ルシアナが部屋にいる霊を見て言う。

 当然、その霊はキールには全く見えていないので、キールの不安が一気に高まる。

 先に霊の浄化からしてほしいとキールは思ったが、そこは専門家であるルシアナに任せた方がいいと、彼女の言葉に従い、掃除から始めることにした。


「あ、キールさん。まずはあの窓枠からお願いします」

「梯子とか用意しないと難しいな」

「そこは、これがあります!」


 そう言うと、ルシアナは木の棒を取りだす。

 その木の棒は折り畳み式になっており、真っすぐにつなぎ合わせると一本の長い棒になった。

 棒の先端には海綿スポンジがついていた。

 移動中に雑貨屋に寄って、何かを買っていることにキールは気付いていたが、これを作るための道具だったのかと理解した。


「この長い棒に昔ながらの海綿スポンジを取り付けた、これこそ高い場所の掃除の味方! 名付けてルシア棒です!」

「そこまで言うなら、略さずにルシアナ棒でいいんじゃないか? いや、今はシア棒か」

「まぁ、そこは様式美というものです。はい、キールさん。これで掃除を頼みます。あ、マスクはしっかりしてくださいね」

「ああ……まぁ、確かに梯子に昇るよりは楽か――」


 ルシアナに言われ、口と鼻を布で覆い、高い場所の埃を落としていく。

 その間に、ルシアナは丁寧に素早く階段の手すりの埃を落とし、濡れた海綿スポンジで拭き取っていった。

 その手際の良さは、掃除の素人のキールが見てもわかるくらいに的確で、それこそ公爵邸の新人の使用人よりも優秀のように思える。


「シア様、どこで掃除の勉強なんてしたんだ?」

「それは、修道女ですから。毎日礼拝室や色々な場所の掃除をしていましたよ。先輩修道女が小姑みたいな人で、拭き残しがあったら容赦なく指摘してきますからね。私も意地になって――」


 キールは、「いや、そういう設定の話ではなく、本当はどこで学んだのか知りたいんだよ」と思ったが、あくまでも今の彼女は修道女のシアであり、そう接しなくてはいけないというルールを思い出し、それ以上の追求をやめた。

 まさか、本当に修道女として礼拝室の掃除で技術を身に着けていたことなど思いもしないだろう。


「それにしても、なんでこの屋敷は幽霊屋敷って呼ばれてるんでしょうね?」

「そりゃ、幽霊がいるんだから幽霊屋敷なんだろ――」

「はい。確かに複数の幽霊の目撃例があったみたいなんです。それに、妙な怪奇現象もあって、庭にある井戸水が突然赤く濁ったり、女性の悲鳴のような声が聞こえたり」


 聞くんじゃなかったとキールは思った。

 ただでさえ霊が隣にいることが確定しているのに。

 その霊がいつ声を上げるかと思うと、気が休まらない。


「でも、妙なんですよ。キールさんの後ろにいる霊――」

「後ろにいるのか!?」

「――他の人に見えたり、声が聞こえたりするほど強力な霊じゃないんですよね」


 キールが驚いて叫んだ質問には答えずに、ルシアナは言った。

 よほど霊の気配に敏感な人間――例えば破邪魔法を扱う神官クラスの人間でないと、見るどころか感じることすらできないくらい力が弱い。

 にも拘らず、一人ではなく、何人もの人が幽霊を目撃している。

 そのことに違和感を覚えていた。


「つまり、シア様はこの部屋とは別の場所に、俺の後ろ……にいる霊とは別の霊がいるって言いたいのか?」

「いえ、そんな強い霊がいたら気付くと思うんですよね。既に誰かが浄化した――というのなら、キールさんの後ろの霊も一緒に浄化していてくれると思うんですけど」


 それを聞いたキールは、少し考える。

 屋敷には窓があるが、普段は雨戸が閉じていて、外から中のことを窺うことはできない。

 とすると、中に入る人の数は、今回のルシアナやキールのように掃除や維持、管理のために訪れる限られた人だけだと思う。

 その中で複数の人が霊を感じたというのに、果たして、ルシアナが強い霊の気配を感じないなんてことはあるのだろうか?

 いや、そもそも、本当に霊がいたとしたら、普通の依頼人なら教会に浄化を頼むはずだ。

 つい先日は司教が西の砦に行き、教会内もごたついていたため、神官の派遣は難しかったかもしれないが、それも現在は落ち着き、平常を取り戻していると聞く。

 もしかしたら、冒険者ギルドには伏せているが、すでに神官を派遣し、浄化に失敗しているのではないだろうか?


「トーマスさん! 急いで来てくれ!」


 キールは屋敷の扉を開けて、見張っているであろうトーマスを呼んだ。

 すると、トーマスは急いで駆けつける。


「どうしたんだ、キール」


 トーマスが尋ねると、ルシアナは彼が護衛としてついてきていたことに気付いていなかったので、


「あ、トーマスさんもいたんですか」


 と呑気に尋ねた。


「そりゃ、旦那様に言われていますから。もしかして、掃除のために呼ばれたんですか?」

「いや、悪いがシア様を頼む。ちょっと気になる事ができた。もし何か異変があったら、俺のことは待たなくていいから逃げてくれ」

「ちょっと、キールっ!?」


 呼び止めるトーマスを無視して、キールは建物の奥へと進む。

 どこも埃っぽい。

 長い間掃除されていないことはわかる。

 だが、ある場所だけは違った。


 前に来た人は普段は掃除をしない人なのだとルシアナは言った。

 何故、彼女はそう思ったのか? それは、階段の手すりや窓枠に比べ、床に埃があまり積もっていないからだ。

 だから、ルシアナは、前に来た人は掃除をするときは上から順番にするということを知らず、床から掃除を始めて、途中で終わらせたと勘違いしたんだ。

 そう、キールがいるその部屋も何故か床には埃が落ちていない。

 一体何故か?


 キールは思った。それは痕跡を残さないためだと。

 例えば、屋敷に入った誰かが、足跡を消すために床を拭いていたとしたら?

 それなら、床だけは綺麗な状態なのも説明がつく。

 逆に言えば、綺麗に掃除されている部屋であればあるほど、何者かが何度も入っている部屋ということになる。


「ここか――」


 そこは昔の食糧庫らしき場所だった。

 そして、キールの予想通り、床下に続く隠し階段がある。

 おそらく、ここに全ての答えがある。


「さて――」


 とキールは一瞬で剣を抜き、扉の影に隠れて襲い掛かろうとした男にその切っ先を向けて尋ねた。


「ぐっ、お前、何者だ」

「ここの掃除の依頼を受けたただの冒険者だよ。お前こそ何の目的でここに――って、まぁ、だいたい想像はできるがな。井戸の水が赤く染まる事件――それはどうってことはない。お前が何かの目的で地下を掘り、結果、井戸から汲み上げた地下水が土で汚れてたって話だろ。幽霊事件の後で、夜とかに水を汲んでたら赤く染まって見えたのかもな」

「へ、なら話は早い。どうだ、俺の手伝いをしないか? 冒険者じゃ一生拝めないような大金が手に入るぜ」

「どうやって? まさか、埋蔵金でも埋まってるって言うんじゃないだろうな?」

「仲間になるなら詳しく教えてやる」

「わかった。仲間になるから詳しく教えてくれ」


 そう言って、キールは剣を一度引っ込めて鞘に納める。

 すると、男は下品な笑みを浮かべて言った。


「おっと、口約束だけじゃ信用できないな」

「なら、どうしたらいい? 契約書でも書くか?」

「こっそり話を聞いてたが、あんた、あのチビ修道女にえらくこき使われてたよな。そんなんじゃ生きにくいだろ。だから、あのチビ修道女をちょっと殺してこいよ。そうしたらあんたも立派な犯罪者だ。俺たちを裏切れねぇ。殺すのが怖いなら、俺のところに連れてくるだけでもいいぜ。ああいう、自分は神に愛されていますってガキをいたぶって殺すのは最高に気持ちいいからな。実はお前がいなかったら、地下に連れ込んで遊んでやろうと思ってたんだ」

「よし、わかった。俺も色々とムカついてきたからな」

「そうか、よし、なら二人でいたぶってから――ぐばし」


 男が盛大に吹っ飛ばされ、前歯が吹き飛ぶ。

 キールは歯型が食い込み出血した腕を振り、


「わかったっていうのは、お前から情報を聞き出そうとした俺が馬鹿だったってことだよ。シア様に害を為そうとする奴は絶対に許せるわけないだろ」


 ちょうど男を近くにあった肉などを干すための縄で縛ったあと、男が吹き飛ばされた音を聞きつけて、ルシアナが部屋に入ってきた。


「キールさん! キールさん、無事ですか!」

「あぁ、シア様。幽霊の正体見つけたぜ! この賊が犯人だ。トーマスさん、衛兵に連絡頼む」

「わかった!」


 トーマスはキールに言われて、急いで屋敷を出た。


「って、キールさん、怪我してるじゃないですかっ!」

「あぁ、これは殴った時のもんで大した怪我じゃ」

「ダメです。見せてください」


 ルシアナはそう言うと、キールの手を見て回復魔法をかけた。


「それと、この人も治療します。今なら歯がくっつきますし」

「いや、シア様。こいつ、賊だぜ? しかも、シア様を殺そうとしていたし、たぶん、既に誰か殺してる。聞こえた女性の悲鳴ってのも、こいつが殺した女の物だと思う」

「犯罪者を裁くのは私じゃありません。それが事実なら、彼には然るべき罰が下ります。私が治療をしない理由にはなりません」

「…………あぁっ、わかったよ」


 キールは頭を掻きむしると、ルシアナの言葉に従うように、落ちた男の歯を拾って折れている部分にくっつけた。


(俺がルシアナ様に付き従ってるのは、ルシアナ様が恩人だからってだけじゃなくて、きっとルシアナ様が――いや、それ以上考えるのはやめたほうがいいな)


 ルシアナの回復魔法により、男の顔の腫れと折れた歯は元通りになった。

 その後、衛兵が到着し、男は連行。

 そして、地下からは王都の外壁へと続く穴と、そして若い女性の死体が見つかった。


 取り調べによると、男はこの屋敷の地下から王都の外に続く穴を開通寸前まで掘ったあと、仲間と共に近くにある富豪の屋敷に押し入り、宝石を根こそぎ奪って、この穴を使って逃走するつもりだったそうだ。

 買い手がつかない貴族の屋敷なら衛兵も調べに入らないだろうから、足も付きにくいと思ったらしい。

 だが、穴を掘っているところを誰かに見られたら困るので、幽霊騒ぎを起こしていた。

 その後、男の証言により、仲間たちも全員捕まり、事件は無事に未然に防ぐことができたことになった。


 屋敷に帰って、キールはルシアナに声をかけた。


「とんだ依頼になったな、ルシアナ様」

「まったくです。取り調べに時間がかかり、依頼人への報告にさらに時間がかかり、冒険者ギルドでも説明に時間がかかり、夜になってしまって帰ってからステラに怒られてしまいました。ところでキールさん」

「なんだ? あぁ、勝手に動いたことなら謝る」

「いえ、後ろにいる霊、たぶん、その男に殺された女性の霊ですけれど、あなたにお礼をしたいと思っているようですが、どうします? そのままでいいですか?」


 ルシアナのその問いに、キールは笑顔で答えた。


「そこは黙って浄化しておいてくれ」

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