「ということで、三日間ずっと一緒というのは難しいですけれど、ファル様が仰っていた日に、ヘップの町に行けることになったんです!」
「そうか、一緒に仕事ができて嬉しいよ」
魔性の微笑みを投げかけるバルシファルに、ルシアナは「嬉しいのは私の方です」と思って微笑み返す。
バルシファルとヘップの町近くの遺跡で合流するのは今日からちょうど十日後。
ルシアナは、教会の仕事で九日後から十一日後までの三日間、ヘップの町で滞在し、真ん中の日だけ仕事の休みをもらったとバルシファルに説明した。
ヘップの町から調査対象の遺跡まで、歩いて一時間程の場所にあるため、最初からそこを拠点にして、一日がかりで調査する予定だったそうなので、その予定で問題ないそうだ。
ちなみに、ルシアナがいなかった場合だと、初日の夕方に遺跡に到着し、夜通し調査を行い、翌朝には帰るプランもあったそうだ。
「シアちゃん、怖くないの? 遺跡は今は魔物の巣窟。安全の保障はないよ?」
「そうですね、むしろ少し危ない方が……」
「え?」
「いえ、なんでもありません。大丈夫です」
少し危ない方が、バルシファルの剣術を目の前で見ることができるので嬉しいと思ったのだが、流石に不謹慎だと思い直し、ルシアナは笑って誤魔化した。
「確かにサンタの心配ももっともだけど、彼女は森の民と一緒に巨大な鬼と戦ったこともあるからね」
「でも、非常に危ない状態でもあったんですよね?」
「そうですけれど、でも、あんなことは滅多にありませんし」
確かに、鬼と戦っていた時はルシアナも自分の死を実感した。
しかし、それもバルシファルに助けてもらい、神獣のもふもふも堪能できたことで、今ではいい思い出の一つになっている。
「そうだね、サンタの不安を払拭させるためにも、一度三人で討伐依頼を受けてみないかい?」
「え? でも王都近郊の魔物って、そんなに危険な魔物はいませんよね?」
依頼掲示板に張り出されている魔物退治は、ゴブリン退治やリザードマン退治を除けば、あとは王都から日帰りは不可能な場所の魔物退治しかない。
王都近郊の魔物のほとんどは騎士団が倒してしまうからだ。
だが、サンタは心当たりがあるようで、困ったように言う。
「ファル様、もしかして、あの依頼ですか? さすがにそんなところにシアちゃんを連れて行くのは――」
「大丈夫です! どんな相手でも私、頑張りますから! あ、もしかして下水道のスライム退治ですか? 臭いのは苦手ですけれど、お風呂屋の無料券を貰ったんで、仕事が終わってから綺麗に洗えば――」
「いや、スライム退治じゃないよ。名前は似ているし、確かに臭い場所だけどね」
バルシファルは笑顔で言った。
彼が訪れたのは、王都のスラム街だった。
元々王都のスラム街は、下流階級地区にあったのだが、食糧不足解消によりさらに増大した人口増加に従い、次第にスラム街の住人は追いやられ、今では王都の壁の外に作られるようになった。
スラム街に住む人の数は、国が確認しているだけで八百人はいるが、実際はその三倍以上の数の人間が住んでいると言われている。
市民権を得ることができない貧しい人の他、犯罪の温床にもなっている。
中には、トラリア王国で禁止されている人身売買も平然と行われており、今回、バルシファルはその人身売買組織の一つを壊滅するために訪れていた。
バルシファルが最初に説明したように、下水の処理が追い付いていないのか臭いはかなりひどいものだったが、それでもルシアナはなんとか耐える。
ただ、それよりも不安なことがあった。
「ルークさんから絶対にスラム街に入ってはいけないって言われていたんですけれど、大丈夫なんですか? スラム街に入って出たら、持ち物が全部無くなっているなんて噂も」
「今のところ心配はないよ。スラム街にもルールはあってね、入っていい場所、入ってはいけない場所がハッキリとしている。実際、スリも滅多には――」
とバルシファルに肩をぶつけた男が、その場で腕を捻り上げられた。すると男の手からバルシファルの財布が落ちる。
「滅多には起こらないけれど、今日は起こったみたいだね」
スリに失敗した男が這う這うの体で逃げていくが、その先で街の人たちに捕まり、どこかに連れていかれた。
スラム街にはスラム街の秩序があり、それを乱したらあのようになるのだろうと、ルシアナは納得した。
そう言われてみてみると、道端で朝から酔っ払って寝転がっている男の人の姿も、酔っ払って寝ても命を奪われたりすることはない安全な証拠のように思えてきた。
「驚かしてしまってすまないね、修道女様」
店で花を売っていた老婆が、シアに声を掛けた。
「でも、心配しないでおくれ。あたしたちは確かに金はないが、だからこそ、死んだ後は幸せになれるように願ってる。修道女様に不埒なことを働くような者はいないよ」
「はぁ……」
「どうだい? 何か欲しいものがあったら、うちで買っていきな。安くしておくよ」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
ルシアナは遠慮がちにそう言ったが、白い花をルシアナに差し出した老婆は特に気分を害した様子もなく、手を合わせてルシアナを見送った。
ぎこちない笑みを浮かべるルシアナに、サンタが囁くようにルシアナに言う。
「まぁ、犯罪発生率は確かに壁の内側に比べると数倍はあるけれど、それでも良いところもある。情報を集めるにも便利だし、騎士たちが警備しない分、自警団で街をパトロールしている。それに、さっきの花売りのお婆さんみたいに優しい人も――」
「サンタさん、あのお婆さんが売ってた花、全部、毒草ですよ?」
「……え?」
「販売も国の法律で禁止されているものばかりです。私に渡そうとした白い花は乾燥させてから粉末にしてスープに入れるとほとんど無味無臭で、よく暗殺に使われたりします」
サンタと一緒に振り返ると、さっきまで花を売っていたお婆さんの姿はどこにもなかった。
一体、どこにいったのか?
最初から少し不安だったルシアナも、さっきまで余裕だったサンタも、どちらも怖くなった。
「ファル様、本当に大丈夫なんですか? 私、お金持っているように見えませんよね? 突然、後ろから刺されたりしませんかね? 」
ルシアナの着ている修道服は良い生地を使っているので不安になった。
実際、財布の中には王都で働く人が持つ平均収入の三カ月以上の銀貨が入っている。風呂屋で働いている時にチップとしてもらったお金だ。
「そうだね、急に刺してくるような相手だったら気配がわかって楽なんだけどね。錯乱状態でさっきまで寝ていたと思ったらいきなり起き上がって襲い掛かってくるような人が相手だと心配かな」
バルシファルがそう言うと、道端で酔っ払って寝ている男が急に恐ろしく見えてきた。さっきまで安全な証拠だと思っていた自分を諫めたい。
幸い(?)男は本当に寝ているようで、起きてくることはなかった。
「さて、シア。ここから裏通りに行くから気を引き締めるように」
「いまよりもですかっ!?」
スラム街の調査は思った以上に大変なようだ。
こんなことなら、今回の仕事、一緒に行くと言わなければよかったと後悔した。
「怖いなら私の近くにいなさい」
バルシファルがそう言って、ルシアナの肩に手を回し、そっと引き寄せる。
いつも以上にバルシファルを側で感じたルシアナは、やっぱりついてきてよかったと思い直すのだった。