バルシファルがトールガンド王国の元王子だと聞かされても、ルシアナはその言葉の意味を理解することができなかった。
ルシアナが口を挟む前に、バルシファルはさらに続ける。
「戦争が起こった十六年前まで、私は王族として何不自由ない生活をしていた。民が飢饉で苦しんでいることも知らなかったし、それを知った後も、何かを変える力も持たなかった。王族とは名ばかりの、無知で無力な子供だったよ。戦争が起こったとき、私は当時女王だった姉のフレイヤによって母から引き離され、トラリア王国のとある貴族の屋敷に匿われた。優しい夫婦だったよ。子供のいないあの人たちは、私のことを自分の子供のように可愛がってくれた。そして、七歳になったとき、姉に引き取られ、短い間だったが王城で育った」
「それではシャルド――この国の王太子様とも会ったことがあるのですか?」
「あぁ、彼は私にとって甥だからね。とはいえ、今はもう城を出ているから、用事がなければ会うことはないがね(いまは剣術指南のため、週に一度は会っているが)」
「そうだったんですか……」
そう言われてみれば、少しシャルドに似ている気がするかもしれないと思い、ルシアナはバルシファルの顔を凝視した。
それほど似ていなかった。
シャルドより数倍カッコいい、大人の男性が持つ色香を感じる。
「…………」
「シア、そんなに私の顔を見てどうしたんだい?」
「あ、いえ、なんでもありません!」
ルシアナは慌てて首を横に振って否定しながら、体全体を背けた。
バルシファルの顔に見惚れていたなんて言えるわけがない。
「じゃあ、もしかして、ファル様がこの遺跡を調査しているのは――」
「ああ、もしかしたら、この遺跡にリザードマンを操っていた者の手がかりがあるかもしれないと思ったからだ」
「お母様を探しているんですか?」
「いや、さっきは生きている可能性があると言ったが、あの人は既に死んでいるだろう。そうでないと終わる戦いではなかった」
あの戦争の時、真っ先に停戦となったのが、トラリア、トールガンド王国の連合軍とレギナ王国軍だった。レギナ王国は元々食糧問題を解決するための戦争であり、トラリアのような大きな国と事を荒立てるつもりはなかったそうだし、トラリアにとってもあの戦争は巻き込まれたようなもので、トールガンド王国の民の受け入れと命の保障さえしてもらえればよかった。
問題はトールガンド解放軍だった。
トールガンド解放軍は決まった拠点を持たず、停戦後も半年間、ゲリラ的に戦いを続け、両陣営に大きな被害をもたらした。
しかし、そのトールガンド解放軍は突然、姿を消した。
後に捕まえたトールガンド解放軍の兵の話によると、旗頭であったゲフィオンが亡くなり、組織として維持することができなくなったそうだ。
だが、トールガンド解放軍の多くの人間の所在はわからないまま。
バルシファルは、独自にその行方を追っていたらしい。
海の民が襲われた件でモーズ侯爵を調べていたのも、そこにトールガンド解放軍の関係者がいるかもしれないと思ったからだし、西の砦の流行り病について調べていたのも、蟲毒の呪法が、元々トールガンド王家に伝わっていた呪法の一つだからだったらしい。
そして、今回の遺跡の調査もまた、ここがトールガンド王家の隠し湯があった場所で、もしかしたらトールガンド解放軍の拠点があるかもしれないと思ってのことだったそうだ。
「そうだったんですか……でも、ファル様はなんでそんな大切な話を私にしてくれたんですか?」
「それは、シアが仲間だからだよ。仲間には本当のことを言っておきたかったんだ」
仲間には本当のことを言いたかった。
そのバルシファルの言葉がルシアナの胸に突き刺さる。
誰よりも自分の事実を隠し、バルシファルを謀っていることを彼女は自覚していた。
その罪の意識から、ルシアナが視線をずらした――その時、一枚の壁画がルシアナの目に留まる。
「……円環の蛇?」
一匹の蛇が円環の形となり、自らの尾を呑み込もうとしている絵が描かれていた。
「ウロボロス……蛇神信仰では、人は死ぬと生まれ変わると言われている。もしかしたら、あの人は死んだ後、新たな生として生き返り、今もトールガンドの国を取り戻そうとしているのではないか? そんな予感がするんだ……まぁ、そんなわけはないだろうけどね。でも、その力を強く受け継ぐ母上なら、もしかしたら――」
「死ぬと生まれ変わり……新しい生……死と再生……」
それを聞いて、ルシアナは一つの予感があった。
ルシアナが前世で死に、そして生き返ったのは、もしかしたらその蛇神信仰の教えによるものではないか? そんな予感だ。
だが、前世のルシアナは、教会で蛇神信仰について知識としては学んだが、しかし、ルシアナが信仰していたのは教会が認める唯一神のみ。
(もしも、私が生き返った原因が私以外にあるとすれば……例えば、金の貴公子様にあるとするのなら)
その金の貴公子の正体がバルシファルであったとき、トールガンド王家の血を濃く受け継ぐ彼もまた、ルシアナを生まれ変わらせる力があったのではないか?
(ファル様、あなたは金の貴公子様なのですか?)
ルシアナの疑問は声にはならず、頭の中を渦巻く靄の中に残り続けたのだった。