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第127話

 夜になって、ようやく味覚が元に戻ったルシアナは、一日半振りのまともな食事を満喫した。


「美味しいですね。自然の甘味に酸味、非常に素晴らしいです」


 用意された食事は病人食だった。

 大麦粥に酸味のある果実と蜂蜜が僅かに入っている。

 この自然な甘みがルシアナには一番ありがたい。

 直ぐに完食し、おかわりまでした。


「それだけ食べられたら、明日からは普通の食事で大丈夫そうですね」


 空になった容器を片付けてマリアが言う。


「当たり前です。元々病気ではなかったのですから」

「そうですね。それで、お嬢様。そちらの呪法薬ですが、試すのは――」

「わかっています。自重します。今日は使いません。明日から、一日に一回だけにします」


 焦りもあるが、それで体調を崩して他の人に迷惑を掛けてはいけない。


「そうなさってください」

「あの、お兄様とお話をしたいのですが――」

「明日ではダメなのですか?」


 マリアが呆れたように言う。

 先ほど自重すると言ったばかりなのに、仕事の話をしようとしているのだから。

 だが、ここでルシアナが我儘だけで無茶を言うわけではないことを知っている。


「伝言ではダメですか?」

「そうですね、伝言でお願いします」


 病人として部屋に閉じこもっていた間に色々と考えていたことがようやく頭の中でまとまったので、マリアに伝える。


「ハインツ先生から既に小麦畑の現状は聞いていると思いますが、最悪、赤い筋が出ている小麦のある畑の小麦が、まったく収穫できない恐れがあります。最悪の場合を想定して動いて下さい。小麦が収穫できなくても、大麦や他の作物の蓄えはあるかもしれませんが、小麦の値段が高騰すると領民は不安になります。買いだめに走る者も現れるかもしれません。それで、領内が混乱に陥るかもしれません。まずは小麦を他国から輸入できるか検討してみてください。それと、不作になったときは減税措置の準備もお願いします。それと――」

「ちょっと待ってください――一気に言われても覚えきれません。一つずつお願いします」


 マリアが慌てて言ったので、ルシアナは一つ一つ丁寧に説明をした。

 マリアも記憶力が他人より劣っているわけではないが、後半に行くにつれ、内容が細かくなってきて覚えきれないので、植物紙にメモを取る。


「お嬢様って、いつの間にこのようなことを覚えたのですか? まだ王立学院にも通われていないのに」

「あら、王立学院に通っていないのはお兄様も同じです」

「アーノル様が王都での仕事のため、カイト様が領主代理をしています。そのため、カイト様は現在は特例として領地に留まっていますが、この夏からは王立学院に通われるそうですよ?」

「え? そうなんですの?」


 前世でも、カイトは夏から王立学院に通い始めた。

 春の間は公爵家の当主としての仕事の引継ぎが間に合わないために王立学院に通ったのは夏からになると聞いていた。ただ、ルシアナとは学年も違うため学院で会うことはなかったが。


(理由は違うのに、通う時期は同じ……ですか)


 ふと、ルシアナは考える。

 たとえば、この開拓村。

 森の民や青年団がこの村に引っ越してきたのはルシアナの行動の結果が多い。

 ルシアナが動かなければ、森の民は多くの人が死んだだろう。移民として村を開拓することはなかったはずだ。

 青年団も、ルシアナがいなければ、彼らは洗脳されたとき、別の馬車を襲っただろう。それで、彼らが勝つか負けるかはわからない。それでも、ルシアナを慕い、こうして公爵領に移住してくることはなかったはずだ。

 だが、ルシアナが思い出した前世の記憶の中で、この位置に村はあった。

 もちろん、どんな村人が住んでいたかはわからない。覚えていないのではなく、そこまで詳細な情報はルシアナに与えられないし興味もない。

 生き残った森の民が引っ越してきたかもしれないし、青年団も別の理由で村に引っ越してきたかもしれない。まったく関係のない人たちがここに住んでいたのかもしれない。

 とにかく、結果として、この場所に村があり、そして、同じように呪法による小麦の呪法が広がった。

 まるで、ルシアナが何をしても世界は前世と同じ道を進んでいるように思える。


「どれだけ足掻こうと、蛇の輪からは抜け出せない。何れは己に呑み込まれる定め」


 ルシアナがポツリと呟く。


「お嬢様、それもお伝えするのですか?」

「え?」


 マリアに尋ねられ、ルシアナは思わず尋ね返した。

 いま、自分が何故そのようなことを言ったのかわからなかった。


「今のは関係ありません。あぁ、それと、体調もすっかりよくなり、夕食も全部食べることができたと伝えてください」

「わかりました。おかわりをしたことも伝えておきますね」

「そこまでは……いえ、お願いします」


 それを聞けば、カイトも少しは安心するだろうとルシアナは思った。

 マリアがメモを再度確認し、できるだけ中を見ずにカイトに伝えられるように練習してから、部屋を出て行く。

 流石にカイトを相手にするのはまだ緊張するようだ。

 一人になったルシアナはさっきのことを考える。

 蛇の輪。

 思い出すのは、トールガン王国の蛇神信仰――ウロボロスの話である。

 自らの尾を飲み、輪になる蛇。

 死と再生の話が出たとき、ルシアナは自分の生まれ変わりの秘密が、その蛇神信仰のウロボロスに関係あるんじゃないか? そう思ったこともあった。


(私の中にある、記憶にない呪法の知識……そして、今の言葉)


 兄であるカイトに対する誤解が解けてスッキリしたというのに、また別の問題が出てきた。


「はぁ……頭が痛い。本当に病気になりそうです」


 ルシアナはそう言ったが、翌朝の目覚めはとても爽やかなものだった。

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