いつも通り、ルシアナは夜明け前に目を覚まし、髪の色を変えて修道服姿で村を歩く。
小麦畑の様子を見る。
茎に赤い筋のある小麦の数は増えていない。
「症状が出ていない小麦も成長しないのは何故なのでしょうか?」
小麦が成長しないのが呪法が原因という理屈はわかる。
ただ、病気であっても、呪法であっても、症状に差が出て、それによって成長に差が出るのが普通である。
症状が出ている小麦も出ていない小麦も、等しく成長しない理由がわからない。
もう少し、記憶を深く探らないといけないだろう。
小麦畑の中に、緑の雑草が生えている。
一昨日見たときは生えていなかったはずの草が。
「……やはり、他の植物には影響はないのですね」
ルシアナはそう呟いて屈むと、根っこが途中で切れないように雑草を抜いた。
「この呪法を改良すれば、雑草だけ枯れさせる除草呪法とかできそうなのですが……そもそも、呪法がどういうものかわかりませんからね」
ルシアナはそう呟き、小麦の様子を見ていく。
すると――
「お兄様?」
カイトが畑の様子を見ていた。
声をかけると、カイトもルシアナに気付いたらしく、病状を尋ねる。
「ルシアナ――もう病気は大丈夫なのか?」
「ええ、大丈夫です。お早いのですね。てっきりまだ休まれているのかと」
「いつもこの時間には起きているな。仕事は夜より朝した方が効率がいい。それに、夜だと畑の様子もしっかり見れないだろう。ルシアナこそ、病み上がりなのにこのような早くに畑に来なくても――」
「あ、いえ、私も毎朝四時には目を覚ましますので」
「…………………………………………」
「…………………………………………」
兄妹ではあるし、ルシアナの中にあった誤解が元のわだかまりも解けたとはいえ、お互いほとんど話してこなかったため、会話が続かない。
緊張感が漂う。
「昨日、ルシアナの側仕えから話を聞いた。非常に参考になる意見だ。感謝する」
「余計なお世話だったかもしれませんが」
「いや、そんなことはない。どれも私も考えていたことだ」
それはつまり、自分が言わなくても彼女が言ったことを実行していたということだから、やはり余計なお世話だったのではないか? とルシアナは思った。
だが、カイトはそれ以上は特に言わない。
「あの、お父様にはこの件は?」
「既に手紙で伝えている。それでルシアナ――」
「あの、この修道服姿の私のことは、シアとお呼びください。一応、皆には私が公爵令嬢だということは伏せていますので。誰が聞いているかはわかりませんから」
「そうか……なら、私のことも兄ではまずかろう。カイトと呼べ」
さっき、ルシアナが自ずとお兄様と呼んでしまったことを思い出し、迂闊だったと反省して頷く。
「それに、世辞ではない。十四歳であれだけの考察ができるとは思ってもいなかった。家庭教師であったハインツが研究所に入ったあとは自宅学習のみと聞いていたので心配だったが、この様子だと王立学院に入ってもやっていけるだろう。と、この話もシアを相手にするのではまずかったか」
「いえ、小声でなら大丈夫です。他には誰もいませんし」
「そうか……昨日、シアは言ったな。シャルド殿下から婚約破棄されたらどうするか? という質問。私はルシアナを公爵家には置いておけないと言ったが、これだけしっかり考えられるのなら、私の右腕として働いてもらいたいと考え直すな」
「え……それは――」
それは嬉しいけれど困る。
ルシアナが反応に困っていると、
「ただの戯言だ。仮定の話はやはり面倒だな」
と言って、ルシアナに背を向けた。
「私はこの後、他の村を見て回るつもりだ。おそらく、朝食も共に過ごせないだろう。言いたいことがあればここで言っておけ」
「お兄様。私も来年には王立学院に通います。学年も違いますし、共に講義を受けることはありませんから、まず会うこともほとんどないでしょう」
「そうだな」
「それでも、お昼時には、たまに学院内でこうして会って、一緒に食事を楽しめませんか? 今日の朝食と先日の夕食の分くらいは――」
「学院は勉学のための場所だ。食事を楽しむのならレストランですればいい」
「……そう……ですわね」
マジメな兄の返答に、やはり距離を縮めるのは難しいかもしれない――そう思ったのだが、
「学院の近くに、父上も使う評判のいいレストランがあるという。連絡を貰えれば、予約くらいはしておく」
「――ふふっ、はい、その時は是非」
「……? なにがおかしいんだ?」
「なんでもありません」
カイトのセリフは皮肉でもなんでもなく、本当に言葉通りの意味だったと気付いて、思わず笑ってしまった。
そして、カイトは言葉の通り、朝食前には特にルシアナに何も言わず、他の村の視察をするために村を出たのだった。