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第129話

「ウキ、ウキー!」

「皆、だいぶ上達してきたな。これなら、ルシアナの味覚を変える呪法薬も完成するだろう」


 いつも通り、頭の上に灰色の毛の小さな猿――森の賢者の言葉を団長が通訳して伝える。

 呪法の講習は進んでいる。

 ルシアナも質問をしようとすると――


「森の賢者様! 先ほどの痛みを快感に変える呪法薬について質問があるのですが――」


 と真っ先に質問に向かったのが、ハインツだった。

 本当は三日ほど村の調査をして帰るはずだったのだが、彼が村に来てから三週間。ずっと村に居続けて、呪法の講習会に参加している。

 呪法は王立研究所でも研究しているそうなのだが、トラリア王国は呪法の後進国であり、ほとんど知識がないそうだ。

 トールガンド王国でも呪法の研究はしていたそうだが、そのほとんどは王家が独占していた。

 トラリア王国に併合されたとき、当然、その知識も手に入ると思っていたそうだが、どういうわけか、トラリア王国についた呪法の研究者、そして元女王であり現トラリア王妃のフレイヤも呪法についての知識のほぼ全てを失っていた。

 恐らく、原因はフレイヤの母で、元トールガンド女王のゲフィオンによるものだろうと予想されている。

 彼女により、呪法の資料はほぼすべて持ち出されるなり処分されるなりし、森の民に伝わる記憶を消す呪法薬と同じような薬を使い、トラリア王国に移る関係者の呪法に関する記憶を消したのだろう。

 そういうわけで、結局、トールガンド王国の知識も継承できず、トラリア王国にとって、呪法の研究は暗礁に乗り上げていたらしい。

 元森の民の呪法の儀式が行われていた大穴や、昨年の古代トールガンド王国の遺跡、そして今回の小麦畑に王立研究所の所長にまで上り詰めたハインツが自ら来るはずだ――と思ったのだが――


「そういや、ハインツさんって、王立研究所ってところの所長なんだよな? なんで部下とか一緒に来てないんだ? 前に畑の実験しに来たときは部下いっぱいいただろ?」

「あぁ、それは部下と一緒だと、報告を受けたりするのが面倒だから、黙って来たんですよ。それに、所長職ってこういう時でないと自ら研究できないんですよね」


 ハインツが聞きたかったことを教えてもらった後で、団長の質問に答えていたので、ただ、フットワークが軽いだけのようだ。


「あ、でもここで学んだことは研究所に送らせてもらってますから、ちゃんと給料分は働いていますよ」

「へぇ、王立研究所の給料って高いんだろ? 銀貨何十枚くらいなんだ?」

「そうですね。私の場合は給料のほとんどは個人の研究用の資料で引かれていますが、それで銀貨五十枚くらいですかね?」

「おぉ、凄いな。俺もいつか銀貨を積んで自慢したいな」

「なら、一緒に働きますか? いまの団長さんの呪法の知識と技術があれば、私の権限で呪法研究室の室長として出迎えることができますよ」

「おぉ、本当かっ!? ……いや、話はありがたいが、俺はこの村で森の賢者様の通訳をしないといけないし、まだルシアナ様に恩返しもできてないからな。それに、俺は青年団の団長だ。団員を放って村を去ることはできないさ」


 別に恩返しは必要ないのですけれど……とルシアナは思った。

 いい話をしているところで話に割り込むのは申し訳ないと思いながら、ルシアナは団長に声をかける。


「あの、森の賢者様に質問があるのですが」

「ウキ?」

「なんだ、シアさん」

「畑のことなのですが――未だにどのような呪法なのかはわからないですか?」

「ウキー」

「あぁ、そのことだが、俺も森の賢者様と一緒に調べてるんだよ。確かに成長は遅いっちゃ遅いが、でも、ちゃんと成長してるんだよな。俺もずっと小麦を育ててたし、あのくらいなら普通だと思うんだが、本当にシアさんが心配するほど、悪い呪法なのか?」

「え? はい……そのはず……ですけど」


 前世では、小麦が収穫できない事態になっている。

 記憶回復ポーションで思い出した記憶の中でも、多くの人がそれが原因で苦しんだ。


「ウキ」

「あぁ、だよな。森の賢者様も植物を枯らす程の影響はないって言ってるぞ」

「え?」


 おかしい。

 前世との情報に違いがある。

 一体、その原因は何なのだろうか?

 ルシアナがそう思ったときだった。

 青年団の若い男が講習をしていた聖殿に入ってきた。


「団長、またゴブリンだ! 今度は十匹。村に向かってる」

「またか。シアさん、森の賢者様をお願いします」


 団長はそう言うと、ルシアナに森の賢者を預けて、青年団の男と一緒に走っていく。


「最近、多いですね。昨日も出てきませんでしたっけ?」


 ゴブリンは人里近くに棲む魔物であるが、それでも町や村を襲うことは滅多にない。

 彼らも、本気で人間を敵に回せば、勝ち目がないことをわかっているのだ。

 だから、襲うとしても、よほどお腹を空かせ、仕方なく町や村から離れた場所で、果樹園や畑を荒らしたり、せいぜい家畜を攫って食べるくらいである。

 こんなに度々、現れることはない。


「ええ、ここだけじゃなくて、多くの場所で魔物が活性化していますね」


 ハインツはそう言って先ほどまでの講義の内容を羊皮紙に纏める。


「先生、手伝います」

「助かります。それでは、お嬢さ――シアくんはこのメモを書き写してください」

「はい――うっ、先生、あいかわらずメモの書き方が独特ですね」


 ハインツのメモは、決して字が汚いわけではない。お世辞にも綺麗とはいえないし、癖も強いが、それでも読むことはできる。ただ、書き方が上から下に、左から右に書くのではなく、いつも紙の中心から始まり、話の内容によっては上に下に右に左にと延びていくのだ。

 なんでも、頭の中を整理するにはこの方法がいいというが、それを報告書として纏めるのは一苦労である。


「シアくんなら読めますよね」

「はい……まぁ……」


 ルシアナは頷くが、実際、講義にも参加して、ハインツの生徒であった経験もあって、ようやく理解できる感じである。

 普通なら解読できないだろう。


「私は分かりやすいと思うんですけどね」

「そうですか? んー、キノコの菌糸が延びていく様子と思ったらかわいいかもしれませんが」

「シアくんはキノコの菌糸が好きなのですか?」

「はい。可愛いんですよ、菌糸がにょきにょきと枝分かれしていく様子とか特に」


 前世のファインロード修道院では、畑で野菜などを育てていたが、それだけでは物足りないと思ったルシアナが考えた方法が、自分の部屋でキノコを育てられないか? というものだった。

 自分の部屋でキノコを育てたことがある。

 何回も枯らしてしまったが、成功したときは嬉しかった。

 ちなみに、毒キノコだったので、修道院長に見つかったとき、子供が間違えて食べたら大変だからと、修道院内の栽培が禁止され、一回きりの成功だった。

 今でもあの時の毒キノコの味は忘れられない。


「キノコってかわいいんですよ。木の栄養で吸ってどんどん大きくなって……」


 とルシアナは言って気付いた。


「……先生、私の育てていたキノコって、好みが煩くて、特定の木の樹皮にしか育たないんです」

「あぁ、そういうキノコもありますね」

「それで、キノコの中には、木の栄養を吸い過ぎちゃって、少し弱らせちゃうキノコもいるんですけど……呪法って、本当に小麦に対して掛けられているのでしょうか?」

「ええ。だって、症状が出ているのは小麦だけで――いえ、待ってください」


 ハインツはルシアナが言おうとしていることを理解したのか、急に走り出そうとして躓いた。


「先生!」

「シアくん、手伝ってください! 少し危ないかもしれません!」

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