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第140話

 ルシアナはまだ公爵領の領主町に残っていた。

 あれだけセバスチャンに悪態をついてしまったため、いまさら屋敷に戻るなんて普通の人間なら考えられないことだが、しかし、考えてみれば悪役令嬢顔負けの前世のルシアナは、もっとひどいことばかりしていても、平然としていた。自分で思うのも悪いが、面の皮が厚い性格をしていたので、それを倣って屋敷に戻った。

 既にカイトは昨日、ルシアナが冒険者ギルドにいた頃には戦争に発っている。

 開拓村の護衛は十分な人数を集めることができたので、今度は周辺の村の情報をキールや他の護衛達に頼んで集めてもらっていたのだ。

 昼頃になって集まってきた情報はルシアナの予想通りのものだった。


「開拓村だけでなく、やはり他の村にも魔物が出てきていますか。そのうち、対策がなされている町や村はこれだけ……」


 ハインツが調べていたため、どの町や村の小麦畑が呪法の影響を受けているかはわかっている。

 そのうち、もともとの町の防備で魔物の侵攻を抑えられると予想される町や村は約七割である。

 戦える人間がいるというのもあるが、そもそも魔物が住む領域から距離があるため、魔物に襲われる可能性が低い、もしくは襲われても対処できる場所が多いのだ。

 逆に、危ないのは他の開拓村だ。

 森の民たちのいる開拓村以外にも、公爵領には開拓中の村がいくつかある。

 幸い、抑えきれないほどの魔物が押し寄せてきている村は未だにないが、しかし、今後も無事とは限らない。むしろ、ハインツの予想では人員が必要だと告げていた。

 だからこそ、森の民や青年団たちをそれらの村に派遣しようとしていたのだ。


 だが、その案がなくなった現在、彼らに新たな人員が派遣されることはない。

 そして、問題はそれらの村だけではない。

 公爵領以外の領地にも、同じように呪法の影響を受けている小麦畑のある村もあるのだ。


「このままではさすがにマズイですね。ルークさんから返事は?」

「いえ、まだです」


 ルシアナの問いに、マリアは首を横に振る。

 公爵町から王都までは馬車で半日程度だが、早馬ならその半分未満の時間で着く。

 王都も、今回の戦争でごたごたしているのかもしれない。

 最悪、ルークからの支援は受けられないかもしれない。

 そう思ったときだった。


「お嬢様、お客様だ。ルークさんの使いだそうだ」

「来ましたか!」


 キールに言われ、ルシアナがすぐにでも挨拶に行こうとしたが――


「待ってくれ。お嬢様、声を変えるチョーカーをしてくれ。あと、扇で口も隠してくれ」

「……どういうことですか?」

「ちょっと知ってるやつでな……シア様ともお嬢様とも面識がある。あと、俺は奥の部屋にいるからな。顔を見られたらまずい」

「両方の私と面識がある……それにキールさんも知っている……それってもしかしてっ!」


 その瞬間、ルシアナの脳裏をよぎったのは一人しかいなかった。

 もしもルシアナの予想通りの人ならば、本来はキールが隠れる必要も、声を変える必要もないのだけれども、一応その人には、ルシアナとシアが同一人物だと知られていないということになっているので、笑顔で彼の言葉に従うことにした。



「お会いできて光栄です、ルシアナ様」

「…………」


 その男は、バルシファルではなかった。

 やってくるなりルシアナの前に跪いたのは、彼とは似ても似つかぬ大男である。


「…………あぁ、お久しぶりですわね。どちら様だったかしら?」

「覚えていないかもしれませんが、昨年、ルシアナ様の護衛をしたさい、逆にルシアナ様に……あぁ、そこのマリア殿の薬により命を助けていただいたワーグナーと申します」


 ワーグナーは、シアとして冒険者ギルドに訪れたとき、いつも飴をくれる冒険者である。

 去年、護衛として雇ったとき、呪法によって洗脳された青年団に襲撃され、大怪我を負った。それを治療したのがルシアナである。


「……いえ、覚えていませんね」


 ルシアナはあえて覚えていないという姿勢を貫くことにした。

 回復魔法を使えることは伏せているので、あまり世間に広めてもらいたくない。

 一応、マリアが回復ポーションを使ったという嘘だけは覚えているようで安心したが、本音で言えば、彼には全てを忘れてもらいたい。 


「それで、ルーク様からの手紙をお預かりしてもよろしいかしら? 私も暇ではないので」

「ええ。勿論です」


 ワーグナーはそう言って、ルークからの手紙を受け取る。

 ルークには、シアの名前で手紙を送り、冒険者の手配の協力要請と、そして冒険者ギルドにあるポーションについてお願いした。

 魔法薬はだいぶ安くなったとはいえ、開拓村で買えるほど余裕はない。

 そこで、シアから、無料でポーションを作るから、可能な限り、冒険者ギルドに備蓄しているポーションを公爵家に――具体的には、開拓村を守ろうとしているルシアナに融通してほしいと手紙を送った。

 その返事がここにある。


「冒険者の要請は既にこの街の冒険者ギルドより支援要請が出ていたので、ギルド長も動いていました。ただ、頼まれていたポーションはシアちゃん――シア殿が頼んだ量の半分にも満たないです。多くは戦争のための徴収されてしまったと――」

「やはりそうですか。しかし、これだけあれば暫くは持ちこたえられる村もあるでしょうね。マリア、手配しておきなさい」

「はい。さっそく村に送る準備を致します」

「ルシアナ様はやはりお優しいのですね」

「優しい、私がですか?」


 聞き捨てならないセリフであった。


「私は優しい人間ではありません。どこが優しいか言ってみなさい」

「普通、領主は開拓村の人員のためにそこまで力を使わないかと。魔法薬は高価なものですし、無料で配るなど、さらに考えられません」

「何を言うかと思えば。領民が死ねば税収が減り、そうなったら私が贅沢できるお金が少なくなるから、仕方なく守ってあげるのです。そもそも、魔法薬が高価とか関係ありません。シアが無料でくれるというのだから、私が使って差し上げるだけというだけ。あぁ、そうですね、修道女の薬をわざわざ使ってあげるというのは、確かに優しさかもしれませんわね」


 できるだけ嫌みたらしくルシアナは言った。


「失礼ですが、ルシアナ様とシアちゃ――シア様はどのようなご関係で?」

「なんでも、私が管理する村の人間と、そのシアという修道女が顔見知りだというから、使っているだけの関係です。特にそれ以上でもそれ以下でもありませんわ」


 同一人物です――と言えるはずもないので、そのように答えた。

 ワーグナーは、少し考え込む素振りを見せる。


(もしかして、私とシアが同一人物だって気付いて……)


 ルシアナは扇で顔を隠して、不安な表情を読み取らせまいとする。

 暫く考えていたワーグナーは、「そうですか」と頷いた。


(一体、何を考えいるんでしょう……)


 回復魔法について黙っていてくれているワーグナーだから、もしもシアと同一人物だとバレても簡単に他の人に言いふらしたりはしないだろうけれど、やはり不安だとルシアナは思う。


「ルシアナ様っ!」

「ひゃいっ!」


 突然の声に、ワーグナーは言った。


「ルシアナ様は、もしやこれからその開拓村の陣頭指揮をとられるのではありませんか?」

「え? えぇ、まぁ、様子くらいは見に行くわね。私のお金を使っているのに、雑な仕事をされては困りますから」

「私のパーティを宿の外で待たせています。もしルシアナ様さえよろしければ、開拓村までの護衛、および開拓村での護衛も――」

「あ、必要ありません(いまの護衛で十分ですし、なんか怖いです)」


 ルシアナのなんとも言えない不安――おそらく正体がバレてしまうことへの不安だろうと思うが――を理由に、彼女は即答で断った。


「…………」


 落ち込んでいる様子がはっきりとわかるワーグナー。

 罪悪感を覚える。


「……あぁ、私のために働いてくれるというのなら、この村の護衛を任せるかしら? 依頼料は、この髪飾りくらいしか渡せませんが」


 とルシアナは髪につけていた、安くもないが、決して高すぎるとも言えない髪飾りを差し出すと、ワーグナーはその髪飾りをじっと見つめた。

 値段的には他の冒険者への平均報酬とトントンくらいになるだろうけれど、しかし、ワーグナーの実力でいえば、もっと稼げるはずだ。

 不満なのかもしれないと思い、


「あ、嫌なら後でそれ相応の報酬を――」

「いえ、これで結構です! 頑張らせていただきます!」


 髪飾りを引っ込めようとしたその手を握り、ワーグナーはそう言った。

 急に手を握られたルシアナは――


「――あ……はい」


 悪役令嬢の演技どころではなかったという。

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