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第165話

 ルシアナの部屋に鼻歌が鳴り響いている。

 もちろん、その鼻歌が部屋の外に漏れることはない。

 ルシアナがマリア相手に機嫌よく話をしていることが周囲に知られたら、彼女の悪役令嬢っぷりに矛盾が発生する。


「ルシアナ様、最近ずっとご機嫌ですね。シャルド殿下のデビュタントから」

「話をしたでしょ。フレイヤ王妃の紅茶がとても美味しかったの」

「でも、ルシアナ様はシャルド殿下に婚約破棄されたいのですよね? それなのに、殿下のお母上であるフレイヤ王妃と仲良くできたのがそんなに嬉しいのですか?」

「ええ」


 フレイヤはシャルドの母であるが、同時にバルシファルの姉でもある。

 そして、以前からバルシファルからフレイヤの話は聞いていた。

 バルシファルは紅茶を淹れてくれたときに、聞いたことがある。

 彼は母親に褒められたくて紅茶を淹れる練習をしていたけれど、姉が入れた紅茶の方が美味しいと。

 それを聞いたときから、ルシアナはバルシファルの姉が入れた紅茶を飲んでみたいと思っていた。

 その姉がフレイヤだと知ったのはつい最近のことであるが。

 ゲフィオンの話を出したのも、女王としてゲフィオンと敵対はしていたけれど、家族としては愛していたのではないかと予想したからである。

 それはバルシファルの態度からの予想だったが、あの時の話を聞く限り、その予想は正しかったと推測できた。


(それにしても、フレイヤ様の紅茶――本当にファル様の淹れた紅茶の味によく似ていました。さすが姉弟ですね)


 前世ではほとんど会話をしていなかったせいで、恐ろしい継母になるのではないかと内心ビクビクしていると同時に、いつかはあの人のように国中から一目を置かれる王妃になってやると意気込んでいたルシアナだったが、王妃という肩書きを外してフレイヤを見てみれば親しみやすく一人の女性として尊敬できると思った。

 もしもシアとしてフレイヤと出会えていたら、自分が焼いたスコーンと一緒に彼女の紅茶を飲みたいと願った。


「私はてっきりもっと落ち込むかと思いました。例のこともありましたし」

「あぁ……あれは悲惨でしたわ」


 シャルド殿下のデビュタントパーティの前日、冒険者ギルドにポーションの大量発注が舞い込んだ。

 通常、薬の注文は薬師ギルドに持っていくものだ。

 前薬師ギルドの代表が更迭されて、現在は薬師ギルドと冒険者ギルドが良好な関係を築けているとはいえ、その規則は曲げられない。

 ただ、その依頼主が薬師ギルドのギルド長となると話は変わってくる。

 なんでも、とある貴族から下級解毒ポーションを大量に購入したいという依頼が来て、薬師ギルドのギルド長はそれを断ることができなかった。

 結果、下級解毒ポーションの在庫のほとんどを貴族に買い上げられてしまった直後、近くの池に毒を持つポイズンフロッグが大量発生したという報せが冒険者ギルドに入った。

 ポイズンフロッグは表皮に毒を持つカエルの魔物で、さらに汚染された水を浄化するにも解毒ポーションが必要になる。その貴族はポイズンフロッグの大量発生の情報を薬師ギルドよりも先に聞きつけ、値段が高騰するに決まっている解毒ポーションを買い占めて高値で転売しようとしているのだと気付いた。

 騎士団がポイズンフロッグ退治に出たという報せを受けた。

 間もなく、王家から解毒ポーションの大量発注が来る。

 ここで解毒ポーションの提供を断れば薬師ギルドの信用が落ちる。しかし、解毒ポーションを買い占めた貴族に頭を下げて高値で買い戻すとなるととんでもない赤字になる。赤字だけならまだしも、下手に借りを作ることで薬師ギルドに厄介な命令をしてくる可能性もある。

 そこで、薬師ギルドは冒険者ギルドに――というよりシアに泣きついてきたのだ。


「お願いします、シア様! ミストポーションの借りを返せていないのは重々承知しています。どうか私たちを助けてください」


 そう言われて断れるルシアナではなかった。

 徹夜で解毒ポーションを作り続けること三日。

 なんとか規定分の解毒ポーションを完成させたのは、シャルド殿下のデビュテントパーティの当日の朝だった。

 疲労と眠気は薬を使って消し去ったが、目の下の隈は薬では消せなかった。さらにお風呂に入っている時間もないので薬塗れの臭いを消すこともできない。

 結果、これでもかというくらいに厚化粧をして目の下の隈を誤魔化し、流行りの香水をむせ返る程全身に浴びせて薬の臭いを誤魔化した。

 ルシアナにとって苦渋の決断だったが、何故か周囲の貴族令嬢からは――


『まぁ、ルシアナ様。なんと素晴らしい。是非お化粧の仕方を教わりたいです』

『その香水は流行りのものですわね。さすがルシアナ様、流行の最先端を行ってらっしゃる』


 と高評価を得てしまった。

 最初はお世辞で言っているのかと思ったが、目を見ると本気でそう思っている。

 ちなみに、シャルドからは「…………今日はいつもと違うな」と遠回しにダメだしを受けたので、自分の感性がおかしいのではないと少し安心し、あまり臭い香水をシャルド殿下に嗅がせるのも悪いと思い、その後はあまり近付かないようにしていた。

 今度、お詫びをしないといけないと思いながら、ルシアナは着替えを終える。


「さて、そろそろ行ってきますね」

「はい。お気をつけて」

「気を付けるもなにも、奨学生の意識調査の面接だけですから気負う必要はありませんよ」


 ルシアナは修道服を着て、いつものように魔道具で髪の色を変えて、部屋の隠し通路を使って外に出た。

 そして、少数の護衛を伴い、面接会場に向かい、自分の順番を待つ。

 面接の仕方は軽く教わった。

 順番が来たので、ルシアナは言われた通りに部屋に入る。


「受験番号51番シアです」


 そう言って面接官を見た。

 一人、女性の面接官が何故か顔全体を覆う仮面をつけていて――


(学院には変わった先生もいらっしゃるんですね)


 と少しだけ度肝を抜かれた。

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