やるべきことを済ませたあと、俺達は星美高校をあとにした。
いつの間にか日は落ちかけており、街は鮮やかなオレンジの光で彩られていた。
途中、巡回中の警察に何度か職質を受けたりもしたが、どうにかこうにか古羊の待つ団地へと帰ってくることができた。
階段を登り、古羊の家の前のインターフォンを鳴らす。
「もう1度、娘さんに合わせてください!」とお願いする俺に、古羊母は難色を示したが、そこは娘であるマイ☆エンジェルに説得して貰い、何とか目的地の古羊の部屋の前へと辿り着いた。
「……だれ?」
「大神だ。おまえに見せたいものがある。悪いが部屋から出て来て貰えるか?」
「……ごめん、今はここから出たくない。悪いけど帰って……何してるの?」
「鍵をこじ開けようとしてる」
「はぇっ!?」
俺は懐から財布を取り出すと、10円玉を装備した。
我が家のトイレもそうなのだが、公団住宅のようなチャチな部屋鍵は、ロックされているかどうかを示す
造作もなく内鍵がまわってしまうのだ!
「ちょっ!? ダメだって、ここ開けちゃダメ! き、聞いてる大神くん!?」
「問答無用!」
「へっ? きゃ、キャァァァァぁぁぁぁ――ッ!?」
勢いよく扉を開くと、内側ノブに捕まったままだったのか、古羊はふわふわの真っ白な寝巻姿のまま、
――コロン♪
と居間へと転がりこんできた。
両手を猫の手のようにくにゃっと曲げ、飼い犬が主人に見せる服従のポーズよろしく、俺にその愛らしいおへそを見せてくる。
かなりラフな格好である。
亜麻色の髪にはいつもの光沢はなく、ボサボサだ。
おまけに可愛らしいおヘソから少し視線を上げれば、そこにはいつもの膨らみはなく、代わりに悲しいまでの地平線が広がっていた。
家の中でくらいは楽な格好で居たいのだろう。
それは別に構わない、古羊の自由だ。
けど。
「な、なによ?」
「やっぱり、寄せて上げてもBは無いんじゃねぇの?」
「あぁんっ?」
「――じゃなくてぇ」
ゴホンッ! と軽く咳払いをしつつ、
「おっぱい、盛らなくて大丈夫か?」
「あぁっ!? それ言い直した意味ある!?」
くわっ! と般若の如き形相で睨まれた。
あれれ、おかしいな?
ギャグなんか言っていないハズなのに、膝が大爆笑しているぞ?
「す、すまん。言い方を間違えた。その、つい……な?」
「なによ、なによ! こんな所までやって来ては無理やり扉は開けるし、いきなり胸をバカにしだすしっ!? アタシに喧嘩でも売ってんのアンタは! いいわよ、上等じゃない! その喧嘩、買ってやろうじゃないのっ!」
「待て待てっ!? 俺は喧嘩を売りに来たんじゃなくて、約束を果たしに来ただけだってばよ!?」
「ふしゅーっ! ふしゅーっ! ……やくそく?」
「そうそう! 約束、約束っ! とりあえず、まずはコチラをお納めくださいませ!」
そう言って俺はポケットに仕舞い込んでいたスマホを取り出し、古羊に手渡した。
古羊は頭の上に疑問符を浮かべながらも、素直に俺からスマホを受け取り、画面に視線を落とした。
「スマホ? 一体なにを――」
――そこには、全裸になった男の股間部分が、ドアップで映しだされていた。
「い……嫌ァァァぁぁぁぁぁぁぁ―――っっ!?!?」
半狂乱になりながら、手に持っていたスマホを部屋の中に投げ捨てる古羊。
「バカ、おまえ!? 俺のスマホだぞ!? 壊れたらどうすんだ!?」
「バカはアンタの方でしょっ!?」
古羊は目尻をキッ! と
「な、なななななっ! なんてものを見せるのよっ!? これトラウマ確定モノのグロ画像じゃない! さっきの事と言い、そんなにアタシが憎いわけ!? ほ、ほんと信じられな――」
「ち、違う、違う!? 落ちつけって! 怒鳴る前に、違う写真も確認してくだせぇ! お願いしますぅ!?」
「……違う写真?」
古羊は困惑した表情で床に落ちていた俺のスマホを拾い上げ、横にフリップし、次の写真を映しだした。
そこには、股間の主の全体像を写っていた。
――気絶する佐久間の姿が。
佐久間が下半身丸出しの格好で気絶していた。
その額には油性ペンで『ごめんなさい』と書いてある。
もちろん書いたのは俺だ。
ちなみに撮影はラブリー☆マイエンジェルよこたんがしてくれた。
恥ずかしがりながらもシャッターを切る姿に、思わずドキドキしたのはナイショだ。
古羊はあられもない姿となった佐久間の写真を
「こ、これ佐久間くん……えっ? ど、どういう……?」
「約束通り、なんとかしてきたぞ」
俺は困惑している古羊に、ぶきっちょな笑みを浮かべてみせた。
「あとついでに約束もさせてきた」
「えっ、約束……?」
驚き顔を上げる古羊をまっすぐ見返しながら、俺は大きく頷いた。
「おうよ。佐久間亮士もう金輪際、古羊芽衣には近づかない。連絡もしない。脅迫なんて絶対にしない。もし約束を破ったら、この写真を全世界にウェブで配信するって」
それは、かつて俺が古羊にやられていた脅迫の手法だった。
その効力は俺が文字通り身を持って体験している。
被害者のお墨付きだ。
俺も古羊に脅迫されていなかったらこんな方法、思いつきもしていなかっただろう。
……なんだか少し複雑な気分だ。
俺は古羊からスマホを受け取り、簡単な操作で佐久間の写真を古羊のスマホに送った。
「写真は俺と古羊が持ってるが、一応念の為にお前も持っとけ。……多分これで大丈夫だとは思うが、もしアイツがまだお前にちょっかいをかけてくるようだったら、すぐに俺を呼べよ? 速攻で駆けつけるから」
「駆けつけるって……アンタ」
古羊が顔を上げ、俺を見つめる。
その紅玉の瞳は涙の膜でゆらりと揺れた。
「ど、どうして……? アタシ、アンタに酷い事ばかりしてきたのに……。アタシなんて、放っておけばよかったのに……」
「関係ねぇよ。
「か、関係ないって……アンタ……」
呆然とした表情で俺を見つめる古羊。
だが、すぐさま手負いの獣のように、敵意の籠った瞳で俺を睨みつけた。
「そ、そんなことでアタシが感謝するとでも思った?」
「いや、思ってねぇよ。これは俺の独りよがりな自己満足の結果だ」
「そう、なら無駄な時間を過ごしたってわけね」
そう言って古羊は、目を伏せ、自嘲気味に笑った。
「そうよ、無駄だったのよ……。自分を磨く努力も、生まれ変わろうとする意志も、全部無駄だったのよ。結局はアタシのしてきたことは。すべて無駄でしかなかった――」
「無駄じゃねえよ」
えっ? と古羊の顔が上がる。
それと同時に、涙の膜でキラキラと輝く紅玉のような瞳が俺を射抜く。
この瞳を前に嘘は通じない、と直感的に理解する。
だから、事実だけを口にした。
「全然無駄なんかじゃねぇよ。過去はどうであれ、お前は必死に自分を変えようと努力してきた。そんなお前だからこそ、よこたんも力を貸したんだ。いや、よこたんだけじゃねぇ。廉太郎先輩も、羽賀先輩も、もちろん俺も。生まれ変わろうとするお前の努力を知っているから、お前に力を貸したくなったんだ。だから全然無駄なんかじゃねえよ」
「お、大神くん……」
「お前の努力は人に誇れる立派なもんだ」
まあときどき暴走するけどな、と内心付け加えておく。
古羊は何故かポーッした表情で俺を見つめていたが、すぐさまハッ!? とした表情を浮かべつつ喧嘩腰で口を開いてきた。
「ふ、ふんっ! な、なによソレ? 正義の味方にでもなったつもり?」
「正義の味方ぁ~? ハァ? この
俺は別に正義の味方でもヒーローでもない。
勇者でもなければ英雄でもない。
特別な力なんて何も持ってない。
ちょっと喧嘩が強いだけの、ただの生意気なクソガキだ。
でも、そうだな?
強いて言うのであれば俺は、正義の味方じゃなくて――
「――
「……大神くんには、そんなキザな台詞は似合わないわよ?」
「えぇ~……ここでダメ出しですか?」
人が少し甘い顔を見せれば途端にこれだ。
ホントいい性格してるぜ、コイツ。
唇を尖らせ明後日の方向にそっぽ向く。
そんな俺を見て、何が面白いのか小さく吹き出す古羊。
そこから感情の
「うぅ……うぐぅっ」
やがて笑い声が、嗚咽へと変わっていった。
押し殺していた声が口の中で飽和しきれず、ボロボロと涙に変わってこぼれ落ちる。
それは周りへと伝染し、気がつくと、よこたんや彼女たちの母親まで泣いていた。
俺はそんな古羊たちを抱きしめるでも、手を握るでもなく、ただ黙って見守り続けた。
安心して、気が済むまで泣けるように。
泣き笑いしている古羊の顔は、涙や鼻水やらで、やたらクシャクシャになっており、お世辞にも可愛いとは言えなかった。
だが、それでも、俺が今まで見てきたコイツの笑顔の中で1番いい笑顔だと思った。
「大神くん……」
古羊は
「……ありがとう」
――ああ、その一言で全部報われたよ。
静かに
そんな気がして、俺はもう1度だけ微笑んだ。