時間があったから、とか。
興味を持ったから、とか。
言い訳を言おうと思えばいくらでも言えるし、それも間違いではないのだけれど。出来ることがあるかもしれないと思ったら、それをスルーするような真似はしたくなかったというのが紫苑の本心なのである。
『紫苑、大丈夫!?泣かないで、俺がついてるからさ!』
あの子なら、きっと。
こういう時に、見て見ぬフリなどしないはずだから。
あの子に憧れて、少しでも男の子みたいに強くなりたくて、気づけば男の子のような喋り方をすることに慣れてしまった自分。結局運動神経もよくはならなかったし、勉強だけが得意なあたまでっかちの本の虫になってしまっただけではあるけれど、でも。
「……助けてくれる、のは。ありがたいけど……」
困ったように眉を八の字にする魔王様。どことなく、あの日いなくなったあの子に面差しが似ていると思った。あの子もそういえば、在日アメリカ人だとかで全然日本人らしい外見ではなかったと思い出す。細かな話が出来る前に、紫苑の目の前からいなくなってしまったけれど。
「……でも、その。本当にいいのかな?隣の部屋の準備、時間かかるといっても今日中には終わると思うけど」
「気にしないでください。僕がただ、この世界に興味を持っているだけなので。……ただ、異世界人である僕が下手に関わりすぎると世界のバランスを崩すということですから、ただ作戦を提案するだけです。ていうか、物理的に動いてどうこうできる身体能力とか全くありませんし。自慢じゃないけど、運動音痴なもので」
「や、それはいいけどさ……」
彼も彼で、荒唐無稽な世界設定をよくぞ信じてくれたものだと思っているのかもしれない。けれど、そもそもこんな大掛かりなセットを使って紫苑のようなただの女子中学生を騙すメリットなどないし、現代の科学技術では無理そうなホログラムなどを見せられては信じるしかない現状である。
何より。目の前の人の良さそうな青年が、嘘をついているようには見えなかったのだ。人付き合いの得意な人間ではない自覚はあるけれど、それでも人を見る目は確かであるつもりである。彼は――アーリアは、平気で嘘をつくような人間では、ない。
「一つだけ、確認させて欲しいことがあります。……貴方は、北の地にだけ女神がいなくて、勇者が召喚されなかったと言った。だから北の地を守るために自分が飛び出すしかなかったと。……何故そうしたのですか?他の勇者達が全てチート能力持ちで、非常に危険な存在であることは言うまでもなくわかっていたでしょうし」
紫苑が真っ直ぐに見つめると、彼は目をぱちくりとさせた。こうして見ると、やはり相当若い人物であることがわかる。未成年であるのは間違いないだろう。多分、高校生かそこら程度の年齢だ。肌も綺麗だし、顔立ちの幼さは大人のそれではない。
「だって」
彼は少しだけ戸惑って、それでも躊躇う様子もなく口にした。
「誰かが戦わないといけないじゃないか。この北の地は、私にとって故郷なんだから。他の誰かに任せておいてはおけないよ。私、そんなに大した魔法とか使えないし、ちょっと力が強いだけの普通の人間だけど……それでも此処は、この北の国の人たちに恩返しする義務があるんだから」
「恩返し?」
「うん。私はさ、記憶喪失で倒れてたところを、北の国の人に助けて貰ったんだ。今は独立して傭兵みたいなことして暮らしてたんだけど。得体の知れない、しかも私みたいな金髪碧眼って珍しかったのにみんな差別しないで接してくれてさ。何年も施設で育てて貰ったんだよ?そんなみんなを助けたいと思うのは当たり前のことじゃないか」
そんな彼の話を聴いて紫苑は――少しだけ、呆れてしまった。どこからどう見ても、その眼は嘘をついているようには思えない。一体その行動のどこが“世界征服を目論む魔王”のそれなんだろう。どう考えても彼の方がよほどまともに勇者をしているではないか。
「……それがどうして、『魔王』なんですか。しかも『世界征服を目論んでいる』って……貴方は世界を征服して何をしようと?」
納得がいかず、ストレートに尋ねてしまった。すると彼はあー、と顎に手を当てて苦笑してみせる。
「この世界は、三人の女神さまが統治しているって言っただろ?神様ってのは、絶対の存在で、絶対的な正義だと言われてるからねえ。そんな神様が呼んだ勇者を倒そうとしているんだから、魔王って呼ばれても仕方ないんだよね。実際、女神と勇者の意思に従わないなんて悪魔の使いに違いない!って他の地域の人たちには散々言われたし。あ、ちなみにこの城も衣装も、レトロ趣味な城主が亡くなって廃墟になりかかってたのを、安く買い取らせて貰ったってだけなんだけどね!魔王っぽくてカッコいいと思わない?」
「はあ、まあそれは……いいんですけど。なんか魔王って呼ばれるの、嫌じゃなさそうですね、貴方」
「あんな勇者の同類だと思われるくらいなら、私は魔王の方がずっといいんだぞ!」
それはわからないでもないけれど。なんというか、段々アーリアの性格がわかってくる紫苑である。なんというか、究極のポジティブシンキングなのだ、彼は。ついでに言うなら常識はあるし一生懸命だけれど、若干天然ボケ思考でもあると見える。
これは絶対弟キャラだな、と結論を出す。いや、自分の方がさすがに年下ではあると思うけれど。
「世界征服をしたら?そうだなあ……まず、三人の女神様にちゃんと仲良くしてもらおうかな。あと、無理やり異世界から人を連れてくるのもやめてもらわないと。勇者もそうだけど、それ以前にも異世界召喚ってのをやって、他の世界の人に迷惑かけたことがあるみたいだしね」
それとねー、と彼は間延びした口調で言う。
「東の一部の街の地主が滅茶苦茶やってるみたいだからやめさせないと。東の地域は結構貧富の差があるというか、身分制度と格差社会が問題になっててさ。社交界でじゃんじゃか使うお金を、庶民からの取り立てる重税で賄う貴族が多くて困ってるみたいで。社交界の回数やシステム自体を制限するとか、そもそも税金の制度を見直して庶民が政治に参加できるようにするとか……いっぱいやってみたいことがあるんだよ。そのためには一度こっちに統治権を移させないと……それとそれと……」
彼はぺらぺらと、街のあちこちの問題点や改善点を話し始める。東西南北、どの地域にもそれぞれ問題があって、彼は彼なりにどうすれば解決できるかという策を考えているらしかった。
やっぱりそういうことか、と紫苑は額を抑える。つまり彼は、自分が一度『世界を支配』することで多少強制的であっても国それぞれの仕組みを作り変えようとしているのだ――女神と同等の権限を持たなければ、苦しんでいる民草を救うことができないと知っているからである。
つまり彼の言う世界征服とは――世界救済に等しい行いということ。
「宗教の共存もできるようにしないとね。それぞれの地域で、異教徒は殺してもいいとか滅茶苦茶な法律があったりするからそれはやめてほしいんだよ。大体……」
「あー、すみません、もういいです」
これを魔王と呼ぶのは、あまりにも無理がすぎるではないか。本当に、どっちが正義で悪なのかわかったものではない。
「……貴方、僕にどうこう言える立場じゃないじゃないですか。貴方の方がよっぽどお人好しでしょうに」
まだ、話し始めて数分しか経過していない。彼のことを、こんな短い会話で全て理解できたなどと言うつもりはない。
それでも既に、紫苑はすっかり絆されてしまっている。この恐ろしくポジティブで、優しすぎる魔王様のために――僅かでも、できることをしてやりたい、と。
「訂正します。……お手伝いじゃなくて……一緒に。貴方がやろうとしていることに、協力させていただけませんか。相手がチート能力を振り回して抗って来るというのなら……こちらは知恵と努力と、人望で勝負するということでいかがでしょう?」
「え?知恵と努力はいいけど……人望?」
「もしかして、自覚もないんですか貴方は」
本当にもう、この天然ボケ魔王様ときたら。紫苑は周囲に控えている兵士たちに視線を向ける。玉座の間で待機しているだけでも十人くらいはいる。ということは、廊下や城の前で警護している兵士の数は少なくともこの倍以上には上ることだろう。
女神と勇者に抗う者は、悪とされる世界。そして実際彼は魔王と呼ばれ、一部の者には蔑まれているはずである。それなのに、そんな彼にこうしてついてきている者達がいる。さっきあのリョウスケとかいう兵士がボロボロになって駆け込んできた時も、彼は他の誰よりも早く仲間へ駆け寄った。
そんな人間がどうして、慕われてないなどと言えるだろう。
彼がやろうとしていることに賛成し、彼だからこそついていきたいと思っている“魔王の部下”はたくさんいるのだ。きっと北の地域には、他にも大勢。
「人の迷惑顧みず、チート振り回している奴らには出来ないこと。貴方になら出来るはずです。ですから」
はい、と紫苑は手を差し出した。
「まずは西の地域……マサユキとかいう勇者と近隣の地域に関する詳細データを下さいませんか」