す、と手を差し出せば――すぐ様そこに落とされる、薔薇色の唇。己にどこまでも従順な美青年の態度に、東の女神に呼び出された勇者アヤナは心底気分を良くした。
やはり、男という存在はこうでなくてはいけない。自分の意思にどこまでも忠実で、この美貌に陶酔し、どんな命令であっても当然のように聞き入れてくれる人形。全ての男は、自分を飾り立てるアクセサリーであって然るべきなのである。それが、己を馬鹿にしてきた全ての男たちへの正しく復讐になりうるのだから。
東の地に建てられた、アヤナとその選ばれた従者だけが住まう豪奢な屋敷。今日も謁見の間で、アヤナは選りすぐりの美貌の男たちから報告を受け取るのである。
「そう、やっぱり……あとの二人の男を討ち取るのには、かなりの準備が必要ってことね」
「左様でございます、アヤナ様」
アヤナのチートスキルは、『どんな男でも自分に惚れさせ、奴隷にすることができる』というものである。アヤナが望めば、アヤナの虜にならない男はいない。それは前世で、男運が無いばかりか恐ろしく不遇であったアヤナの、願望と報復によって目覚めた力といって良かった。
どれほど恋人に一途な男も、おしどり夫婦の夫も、それこそ可愛らしい幼い息子でさえも。アヤナが「欲しい」と言えば、手に入らない男などひとりもいない。ただ眼と眼を合わせて呪文を唱える、それだけでいいのだ。彼らがかつて愛した存在は、その瞬間彼らの脳から一気に消え失せることになる。彼らの眼に映るのは、この世の誰よりも美しく可憐なアヤナという少女ただひとりだけ。なんという快感であろうことか。彼らはアヤナが望めば靴も舐めるし全裸でストリップも踊る、それまで愛していたはずの妻や家族を殺せと言えば簡単に殺してくれるのだ。
欲しいものは、この能力一つあればいい。それだけで、十分。だから、アヤナは好き勝手やっているようでいて、一応は自分を転生させた女神・メリッサには感謝しているのである。こちらの都合もお構いなしに死なせて、異世界転生なんてものをさせるなんてと思わなくもなかったが――どっちみち、未練のない人生であったのだ。むしろ、望むように美しい容姿とチートスキルを授けてくれたのだから、万々歳としか言い様がない。
故に。アヤナは女神への感謝の印として、彼女が望むように他の地域への侵攻と統一を一応は成し遂げてやろうと考えていた。最近は東の地の男性のめぼしい男を全員虜にしてしまったことで、少々やりすぎだと苦言を呈されることはあるがそれはそれ、である。
自分が魅力的で、こんな能力をもっているからこそ起きた結果だ。一体どうしてそれを非難されるいわれがあるのだろうか。彼らだって、退屈でブサイクな妻や子に縛られているより、美しいアヤナの奴隷になった方が幸せな人生を送れるに決まっているのである。自分はただ、能力を使って彼らに真の欲求を開放させてやっただけにすぎないのというのに。
「まず、西の勇者マサユキですが。奴は、自ら勇者の務めを果たす気は全くないようです。ただ可愛い女子を囲って、まったりと農業を過ごして過ごす生活を続けたいだけであるようで」
それだけ聞くと、マサユキは一見無害な勇者とも見えるうことだろう。しかし、アヤナは知っている。この男も勇者だ。チート能力をもっている。自分が言うのもなんだが、どんな種類の能力であれチートである以上、大きな騒ぎを起こしたり問題を起こすことはまぬがれられるものではないのだ。
そう、例えば一見平和に見える『スローライフを実現させるためならば何でもできる』力であってもだ。自分のスローライフに邪魔と判断したものを、問答無用で除外できる力と解釈すれば――十分脅威になりうるのである。
「先遣隊のうち数人は、マサユキに発見されて怒りを買い、その場でひき肉にされたという報告がありました。そして、そのまま畑の肥料にされた、と」
「ぞっとする話ね。……一体どういうことで揉めたのかわからないけど、先遣隊ってアレでしょ。ダーナの小隊よね。西の国軍にいた精鋭部隊じゃないの。普通の、異世界転生しただけの平凡なオジサンに太刀打ちできる相手とは思えないけど」
「ええ、普通に戦ったなら制圧は容易かったはずです。ですが、その行動がスローライフの邪魔になると解釈された場合、彼の存在は一気に脅威になるということが証明されました。方法があるとすれば、完全な不意打ちで仕留めるか、説得するかですが……彼のテリトリー内では不意打ちさえも不発に終わる可能性が高く、説得も彼の性格の難解さを思うと極めて厳しいものがあるでしょう」
「なるほどねえ」
渡された資料にしっかりと眼を通しながら、アヤナはため息をつく。お前が言うなと言われそうだが、勇者として呼ばれる人間は軒並み性格が複雑骨折を起こしている傾向にある。直接話したことはないが、あのマサユキという人間もその例に漏れない存在であったようだ。
説得した時の記録によれば、彼は『自分の農園の拡大と運営を邪魔しないこと』『そのための労働力を(可愛い女の子の提供)邪魔しないこと』が約束できなければ協定には応じないとある。残念ながら、西の土地を全て制圧したい身としては、イエスとはいえない条項だった。彼は最終的には、世界全てを己の農園にしたいという野望もあると見えるから尚更である。自分は、彼の労働力になってやるつもりもなければ、彼に土地を提供してやる気もサラサラないのだ。なんせ、最終的には『大陸全ての土地を東の女神のものにする』が女神メリッサの望みであり、『大陸全ての男を自分の虜にして望む理想郷を作る』がアヤナの願いであるのだから。
「同じ勇者とはいえ、私と同格の存在なんてものがいていいはずがない。……最終的には、奴も私の奴隷にする、これは確定事項。あの男の農地も奴隷も全部私のものにするんだもの、要求なんか聞けるはずないわよね」
要求を聞いたフリをする、ことは可能だ。しかし彼のテリトリーで嘘をつくこと、そのものがマサユキの能力に引っかかってくる可能性はゼロではない。
自分が直接男と対峙して暗示さえかけられれば、必ずやこちらの能力が上を行くことだろう。あの男を奴隷にしてしまえば全ては解決するはず。ただ、そこまで到達するまでが問題だ。あの男の農地に入って、男と真正面から対峙するまでに阻まれてしまったら――どうにもならないわけで。
「……ただし、あの男にも弱点がないわけではありません」
忠実な部下たる美貌の青年――アースは。光の無い眼で、じっとアヤナを見つめた。虹色の羽を持つという、不死鳥の一族の血を引く青年。彼には将来を誓い合った恋人がいたようだが、そんなくだらない絆などアヤナの手にかかれば引き裂くのはあまりにも容易いことだ。アヤナが暗示をかければ、そのチート能力の前に強靭な肉体と魔力を持つはずの種族も容易く膝を折るのである。
彼を真っ先に手に入れることができたのは、アヤナにとって最大の成功の一つと呼んで良かった。彼自身の魔力と人脈を使えば、他の地のことであっても調査は容易いものあったからである。
「あの男は、自分を召喚した女神・マーテルの言うことも全く耳を貸していないようです。そして、農地を広げるために西の地の住人に迷惑をかけることを全く省みていない。能力ゆえに無敵ではありますが、現地の人々からは恐れられ煙たがられ、孤立の一途を辿っているようです」
「ああ、だから西の地からどんどん人が逃げ出してるのね。宗教の違う、東の地にまで難民が来たっていうからよっぽどのことだと思ってたら。……なら、そのうち自滅してくれる可能性も少なくないのかしら?」
「全ての勇者が現状そうであるように、勇者の力は加護を受けた女神の土地でのみ有効という実情があります。西の土地を使い尽くしてしまえば、マサユキは完全に手詰まりになる。同時に、北の地の魔王・アーリアが西の勇者討伐に動いているらしいという情報もあります。暫くは静観するのが吉かと」
「ふうん……魔王、アーリア、ねえ」
ぺろり、とアヤナは唇を舐める。彼のパーソナルデータ、及び写真は既に見ている。金色のキラキラとした美しい髪、抜ける青空のように澄んだ大きな青い瞳に、白い肌。人形にするのにはもってこいの美しい青年だった。少々顔立ちが幼すぎるがそれはそれだ、同じタイプの美青年ばかり傍にいてもつまらないわけで、それはそれで問題ない。
加えて、多くの北の地の住人に、特殊なチート能力も持たずに慕われているというあの人望。彼を手に入れて傀儡にすれば、これからの仕事のハードルがどれほど下がるかは想像に難くないことである。
いずれ彼も、手に入れたいところだ。むしろ、西の地の方の状況に彼がカタをつけたら、こちらを先に攻めてみるのも面白いかもしれない。なんせ、彼は他の勇者達のような恐ろしいスキルなどないのだ。ただ人望があるだけの普通の人間を、勇者たる自分が恐るに足る理由はないのである。たとえ名目上、彼が勇者と女神に仇なす魔王とされていたとしても、だ。
「アーリアに関しても、引き続き情報を集めて頂戴。……あとは、南の勇者だけど。こっちもこっちで、なかなか難航しているようね?」
「は」
アースを押しのけるように、もうひとりの青年が駆け寄って来る。そして差し出される、資料の束。データでやり取りされることが多いこの世界で、わざわざ紙の資料を要求しているのはアヤナの好みの問題だった。それは多分、アヤナが“紙で資料のやり取りがされる”世界からやってきたというのが大きいだろう。
元々アヤナがいた世界でも、データ通信というものは存在してはいたが。それでもテスト用紙は紙であったし、FAXもまだ紙の資料を印刷してから送っていた。そのせいか、なんとなく紙の形で資料が残っていないと落ち着かないのだ。データを信用していない、というわけではないけれど。
「南の勇者リオウは、『どんな相手と対峙しても、その者を上回る力を得て倒すことができる』能力を持っています。戦闘になれば実質……無敵と呼んで差し支えないでしょう」
まさにチートです、と担当者の青年。彼の場合は、自らを召喚した女神であるラフテルさえもその能力で完全に支配下に置いているということであるらしい。現状、最大の脅威と呼んでも過言ではないだろう。幸い彼の能力も、女神の加護のある土地でのみ有効であるため、今のところは東の地にまで侵攻してくる気配はないのだが。
いずれ、自分達もあの土地を支配下に置かなければいけない身。東の地でいつまでもまったりと構えているわけにはいかない。向こうも向こうで、ホームグラウンドからそうそう動いてくれるとは思えないのだから。
「複数人で同時に攻撃を仕向ける、ということも試しましたが……その場にいた最も能力が高い戦士に能力値を合わせて上昇させてくるため、やはり効果がありません。結局、差し向けた部隊は全て全滅してしまいました」
「厄介ね。女神さえ手懐けるような人間が、南の地だけ手に入れて満足するとは思えないし。西の土地は一旦魔王に任せてみるとして南の方は……早急に対策が必要だわ。……うちの女神は?」
「すみません、現在聖域に引きこもっているのか、連絡が取れる状態ではないので」
「はあ、まったくもう」
女神との連絡は、勇者ならいつでも取ることができる。ただし、女神が聖域に閉じこもってシャットアウトしている時でない限りは。
こちとら、男達を愛でるだけでも忙しいのだ。あんな不愉快な姿の女神なんぞに会うために、聖域まで足を運んでやる気は微塵もないのである。
――信者とでもお喋りしているのかしら。ほんと、ちゃんと仕事して欲しいわね。こっちは世界統一のために、真剣に考えてるあげてるっていうのに!
本当に、今更ながらどうしてと思わずにはいられない。
呼び出された勇者が、チートなのが自分ひとりであったなら――ライトノベルにあるように、容易く無双してハッピーエンドにすることもできたのに、と。