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<20・覚悟なき者の末路>

 紫苑とて、自分に彼の気持ちが正しく分かるとは思っていない。同じ世界の出身者だが、ただそれだけの存在だ。心を通わせられるような関係性など皆無であるし、性別も年齢も環境もまるで違う。そもそも、他人のことを完全に“理解できる”と考えること自体が傲慢であるとも言えるだろう。

 人の心は、結局のところその人にしかわからない。

 本人が言った言葉でさえ、言葉にした段階で偽りや虚勢、虚飾が混じってくるものである。何が真実かは、その人の心の中にしかないものなのだ。


「僕に、貴方の気持ちがわかるなんで事は言えません。同じ世界の出身ですから多少環境的なもので想像がつくことはありますけれど、わかっているのはただの情報と……そこから得られる想像のみですから」


 だから、紫苑はけして言わない。

 貴方の気持ちはわかります――なんて綺麗事など、けして。


「それでも、貴方が間違えたことだけは明確です。結果が全てではないけれど、それでも結果が証明していることも確かにあるのですから」

「何が言いてえんだ」

「貴方は前世で、確かに努力していた。向いていない職業に就き、若い上司に従うことに屈辱を感じながらも頭を下げ、コピー取りから不慣れなファイリング、データ入力まで。そうしなければ生きていけないとわかっていたから、どれほど嫌な仕事でも懸命にこなそうとしました。……それなのに、何故貴方が認められることがなかったのか、わかりますか」

「!」


 目の前で吠えていたマサユキの表情に、驚愕の色が乗る。ここで、紫苑がどうやら自分の前世について調べていたらしいことに気がついたことだろう。

 勇者達に、最終的に現世に戻って貰うようにするためには――実際のところ、再び現世に転生しなおしてもらうしかないのである。そして、実はそれ以外にほぼ解決手段がないことを紫苑は皆の話を聴いて理解していた。彼らのチート能力が破格すぎて、この世界の理を破壊しかねないほど手がつけられず、それが個人の意思だけでコントロールすることが難しいから――というのもあるがそれだけではない。

 そもそも、彼らの異世界転生そのものが不自然であり、世界の理を外れているものであったのだ。

 当たり前の話をするなら、どんな人間でも両親から生まれ、赤ん坊から人生がスタートし、基本的に前世の記憶など持たないはずなのである。何故前世の記憶がないのかといえば、それが現世の負担や破滅になるからにほかならない。前世と現世は、例え同じ魂であっても本来別人でなければいけないのだ。産まれた環境も、親も、種族も世界も何もかもが違う。前世の常識が現世で通用するとも限らないのに、それを持ち込まれては現世の生活に大きな支障を来たしてしまうことになる。

 また、前世で悲惨な生活をした者はその記憶に苦しめられることになるだろうし、逆に前世は幸せだったのに現世では苦労ばかりの人生だったら、その人物は果たしてまともに現世で頑張って生きようと思うことができるだろうか。己の理不尽な境遇に怒り、苦しみ、その落差という沼に落ちて簡単に這い上がれなくなってしまうのではないか。

 だから、本来前世の記憶なんてものは、引き継がれない方がいいのだ。加えて、彼らは赤ん坊から人生をスタートさせるべきところを、何故か前世で死んだ時とほぼ同じ年齢で人生が始まってしまっている。これは、転生してからその年齢に至った後に前世を思いだし、前世の人格が現世の自分に成り代わってしまったか、それこそ正確には転生ではなく前世の己のコピーを異世界に使って魂を移し替えただけなのかのどちらかである可能性が高いだろう。

 いずれにせよ、正しく生まれて育つ人間のプロセスを大幅に破壊した、不自然な存在となってしまっているのは間違いない。強引な異世界転生は、必ずどこかしらに歪みを生む。特に前世が現世の人格に成り代わってしまったケースで言えば――現世で生きていた別人の精神を彼らが殺してしまったとも解釈できるわけで。

 このまま、この世界で彼らが生きていくことは、正しい世界のあり方ではないのだ。何より、本当の意味で誰も幸せになることができないのである。

 彼らに元の世界に戻って貰うためには――戻ることを、彼らに承諾してもらうしかないわけで。説得は、そのために不可欠というわけなのだ。


「努力が認められない者なんて、どんな世界にも掃いて捨てるほどいます。……というより、大半の人間の努力はそう簡単に認められるものではないんですよ。成果が見えにくいものもあるし、成果が出てもそれが周囲に望まれるものでなければやはり正しく受け取られることはない。……今の時代で天才と持て囃される研究者や発明家だって、生きているうちに認められた者ばかりではありませんし、年老いてからやっと認められた者もいます。……それでも天才と呼ばれるのは。彼らが、認められなくても努力することを誠実に続けたからです」


 有名どころで言えば、あの『ひまわり』の作者のゴッホがいい例だろう。彼は、生きているうちには殆どその才能を認められるということがなかった。彼の絵にスポットが当たるようになったのは、彼が死んだ後になってからのことである。

 世の中の努力の、多くは人に認められるものではない。

 けれど認められない努力を延々と続けていけるほど、人はそう強くはないのだ。裏を返せば、認められずとも夢を追い求め、誠実な努力を続けられた者こそが――最終的に天才と呼ばれて世界の名前を残してきたとも言えるのではないか。


「誰だって、認められたい。それは当然のことです。……認められずとも努力を続けるなんて、そうそうできることではありません。でもね。……それでも認められないことを人のせいにするか、あるいは次の頑張りに繋げるかは選ぶことができる。貴方は努力をしたけれど、する方向を間違えたんです。自分が認められないことを全て世間のせいにした。それが最大の過ちだったんです」

「ふざけんな!じゃあ誰が……誰が悪かったって言うんだよ!誰が!!」

「誰も悪くないですよ。誰が悪いわけでなくても、埋もれていく才能なんていくらでもあります。それこそ、貴方は視野を広げて今の仕事以外を捜す努力をしたってよかったはず。コミュ障の人間が、この社会にどれだけの数いるとお思いで?出来ないことや苦手なことを強引に頑張る努力より、もう少し向いている努力をした方がきっと貴方も楽に生きることができたのではないですか」

「!!」

「それが、努力をしたけど方向性を間違えた、の一例です」


 完全に盲点だったのだろう、マサユキの眼が泳いだ。勿論、紫苑だって言うほどそれが簡単なことではないことくらいわかっている。ただ、やれる仕事は一つしかないと、転職なんか今更できないと、そう思い込んでしまうことがなければ。マサユキが己を活かす場所も、もう少し見つけられたのではないかとそう思うのだ。

 確かに会社をやめれば、履歴書にそれを書かなければいけない。けれど彼は、なんだかんだで何度か転職しつつ、最大で同じ会社に七年以上は務めあげたのだ。継続勤務をした実績と経験はそれだけで魅力的に映るもの。その成果を、認めてくれる場所もきっとあったはずである。彼がそれを、探そうとする“努力”さえしていたのなら。


「……貴方が、苦手な場所で無理をして、その鬱憤を社会に……身内に向けたせいで。自分が認められないのはお前らのせいだというフィルターをかけてしまったせいで。貴方は結局、本当に見るべきものが見えなくなってしまった」


 紫苑は現世で、マサユキの元上司や同僚といった女性に話を聞くことができた。こういう時、女子中学生というのは存外便利なものである。身内のことを一生懸命調べようとしている女の子、をそうそう人は無下にできないものなのだ。怪しい勧誘と勘違いされる心配もない。真面目そうに見えるのであろう紫苑の容姿も一躍買っていたことだろう。彼らも、マサユキが事故死したことには思うことがあったのか、少しずつだか想いを語ってくれた。

 マサユキが、何を見落としてしまっていたのかということも。


「貴方が最後に努めた会社のチーフの岸部さんは。遅くても、丁寧に仕事をしようとする貴方の姿勢を尊敬していたと言っていました」

「え」

「ただ、拘りと意地が強すぎて、それが周囲の不興を買っているのが心配だと。……態度を注意したのは、自分が不快だったからではなくて。貴方のことで悪口を言っている先輩達を見て、なんとかしたいと思ったからであるようです。もう少し言い方を工夫できなかったのか、と後悔してらっしゃいましたよ」

「あ、あいつが……?」

「それから。貴方の、お母様も」


 康恵やすえさん、泣いてらっしゃいましたよ、と名前を出せば。紫苑が本当に母親に会って来たのだと理解したらしい男の眼が見開かれる。


「結婚しなくていいと言ったのは、期待していなかったからじゃない。……自分達を気にせず、自由に生きて欲しいと思ったからなんだそうです。貴方には、それが自分を責めているようにしか聞こえていなかったのではありませんか。……本当は、貴方を愛している人も、認めている人も、助けようとしている人もそばにいたというのに」


 がくん、と膝をついたマサユキの眼が呆然としたように開かれ、全身が震え始める。うそだ、とその唇が動いたのがわかった。声は掠れて、殆ど音にはなっていなかったようだけれど。

 彼にとって前世はくだらなくて、未練など何一つないものでしかなかったのだろう。自分は世間に見捨てられた、社会が全て悪いのだとしか思えなくなっていたのだろう。

 本当は差し伸べられていたかもしれないその手に気づかず、先に全てを捨ててしまっていたのが己であることさえ知らないで。


「ユージーンさん」


 震える彼を横目で見つつ。紫苑はユージーンを呼んだ。きゅっと唇を引き結び、アーリアに縋るようにして立っていた彼女は。紫苑に呼ばれて、はっとしたようにこちらを見る。

 きっと、言いたいことは察しているだろう。紫苑は頷いて、彼女を手招いた。


「勇者、マサユキ。貴方は努力した。けれど、貴方には確かな罪があります。貴方の罪は……己がうまくいかないことを全て人のせいにした挙句、そのウサを全く無関係の人間で晴らそうとしたこと。きっと貴方には、前世の人生全てがみんなの身勝手のツケを自分が払わされたものとしか思えなかったのでしょう。だから、貴方に見向きもしなかった者達への報復……いえ、八つ当たりがわりに彼女達を使った。この世界で生きるユージーンさん達には、全く関係のないことだったのに」

「お、俺は……お、俺だって……!」

「人は生きるために、必ず何かを犠牲にする。それで迷惑をかけることもきっとあるでしょう。……でもそれを最小限にするための努力はできる。そうして、誰かとの和を取り持とうとすることで、少しでも誰かを傷つけないように……あるいは、誰かの役に立つことを考える生き方だってできるんです。でも貴方は、この世界でそういう努力を一度でもしましたか。与えられた能力に胡座を掻いて、人を当然のように傷つけて苦しめることに快感を覚えただけ。……それでも自分が間違っていない、と言うのなら」


 紫苑は彼女を指し示し、無情に告げる。

 マサユキを説得するつもりで此処にはいるが。救うつもりかどうかは全くの別問題なのだ。なんせ、彼がユージーンやマルレーネ、そして西の地域の人々にしたことはあまりにも惨すぎる行いであったのだから。

 救うか、許すか。それを選ぶのは、紫苑ではない。




「自分が、全く同じ目に遭っても文句は言えない。……そうですよね?」




 次の瞬間。ユージーンが思い切り――マサユキの頬を殴りつけていた。平手、なんて甘いものではない。完璧なグーパンチである。

 その瞬間、手枷をつけているマサユキからタイミングよく兵士達が離れたことで、男の体は軽々とカーペットの上を転がることになった。そういえば、エルフの一族は基本的には人間よりも腕力が高いことで有名だったのではなかったか。


「マルレーネさんも今、アーリアさんの部下が保護に向かっているところです。きっと真摯に、貴方の話を聴いてくれることでしょう」

「ひっ……!」

「許して貰えると、いいですね?残念ながらそれを決める権利は、僕にはないものですから。まあ、貴方が彼女達にやったのと同じ行為を全て受ければ、許して貰えるかもしれませんねえ……」


 先ほどとは別の意味でガタガタと震え始める男を見下ろし、紫苑は冷徹に告げた。

 この男には、同情の余地もないわけではない。けれど、犯した罪は正しく償われなければいけないのだ。そして己の間違いを心から認めさせるためには、己が与えた痛みをそのまま受けるしかないのである。

 後を決めるのは、自分ではなく彼女達だ。紫苑は小さく笑みを浮かべて、踵を返した。

 さて、彼は――尊敬もしていなかったであろう神に、祈る時が来るのだろうか。

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