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第19話

 早く終われ早く終われ早く終われ! まだ始まっても居ないが。


 ギルバートは会場に入るなりシンとした空気に既に吐気を催していた。


 これだから嫌なのだ、舞踏会は! この何とも言えない空気! 肌にねっとりと絡みつくような感覚が気味悪い。


 思わず眉を顰めたギルバートに、会場はさらに静かになる。


【ああほら! だから嫌だったんだ!】


 自称、空気を読み倒す系王子だ。この露骨なまでの静まり方はどう考えても自分のせいである。


 ギルバートはそっと会場の中心から離れて壁の側に移動した。不自然に自分の周りにだけ空間が出来るが、傷つくので気付かない振りを決め込む。


「王子、どうぞ」

「ああ【ありがとう、サイラス。そうだな、駆け付け一杯ひっかけて、どうにかこの場をやり過ごそう】」


 サイラスから受け取ったシャンパンを一気に飲み干すと、ギルバートは小さく息を吐く。


 それからとりあえず本日の主賓、ユエラ・アルバに誕生日の挨拶を終えたギルバートが少しだけ落ち着いた時、感じた事のない強い纏わりつくような視線を感じ、ギルバートはその方向に顔を向けた。そこにはこちらをじっと見つめる一人の少女が居る。


【!?】


 珍しく驚くギルバートの顔はやはり無表情なのだが、今、心臓が体から間違いなく飛び出したと思う。それぐらいの衝撃だった。


【あ、あれはあの時の……天使じゃないか! 何故こんな所に!?】


 思わず凝視するギルバートに向こうも気づいたのか、ギルバートを見てしばらく驚いた顔をしていたが、やがて照れ臭そうに微笑む。


【何てことだ! 可愛い。眠っていても可愛かったが、起きるとなおの事可愛い!】


 あまりの事に小さく咳払いをしたギルバートにサイラスが首を傾げてきたが、今はサイラスなどどうでもいい。


 会場の端と端、かなり遠目だが、天使は間違いなく恥ずかしそうに指を擦り合わせてギルバートを見ている!


 どうやって話しかけようか? いや、こちらからいくのは不躾か? というよりも……そうだ。まずはロタだ。


【ああ、神よ! 何故こんな試練を僕に与えるのですか! 天使とロタが同じ会場に居るなんて……どうすればいいと言うのですか!】


 冷静になれば天使もロタも婚約者ではないのだから親しくなるべきではないのだが、ギルバートはこの時婚約者の『悪役令嬢』の事など、綺麗さっぱり忘れてしまっていた。


 どうしようか。行くべきか? やはりこういう場では男から声をかけるべきだろうか? 


 ふと、ギルバートはある事に気付いた。何故か少女の周りがギルバートの周りのように不自然に空間が出来ているのだ。


【分かる。可愛いからな。皆、彼女が可愛すぎて近づけないのだな、きっと。見ろ、あのトウモロコシ人形のようなフワフワの金髪を。全て結い上げずに少しだけ背中に下ろしているのがいい。は! もしかして僕とお揃いでは!?】


 そんな事を考えているうちに、少女がゆっくりと動き出した。それが合図だったように、吸い寄せられるようにギルバートも動き出す。


 ギルバートはなけなしの勇気を振り絞った。天使がこちらに向かって自ら歩いてきているのだ。ここで動かなければ、本当に男が廃ってしまう気がする。


 歩き出したギルバートを見て、天使はハッと目を輝かせて壁に沿ってこちらに向かって小走りでやってきた。


【ああ、可愛すぎる! 走る度に揺れる髪! 少し赤くなった頬! 堪らない!】


 いけない。どんどん変態化しそうだ。そしてやはり、自分は気が多いのかもしれない……。


 少女はギルバートの前で立ち止まって、こちらを見上げて満面の笑みで言った。


「ギル?」 


 と。


「……」


 一瞬、何が起こったのか分からなかった。と言うか、喉を鳴らすのが精いっぱいだった!


【神よぉぉぉ! 何という事をしてくれたのですか! 何と罪深いことをぉぉぉぉ!】


 人が五体投地をしたい時というのは、きっとこういう時だ。間違いない。


 いや、でも待てよ? そんな上手い話がこの世にあるか? 少なくともギルバートの世には無かった気がする。ここは念入りに確かめておかなければなるまい。


「真実はいつも見えない」


 低い声でボソリと言うと、天使はさらに笑顔を深めた。


「だからこそ、幸せな時もあるゾ!」

「ロタか!」

「はい!」

【神よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!】


 ギルバートは思わずロタを抱きしめそうになるのをぐっと堪えた。いけない。それはいけない。女子には迂闊に触れてはならないと硬く言われている。


 拳を握りしめたギルバートは、手を差し出した。すると、その手をロタがそっと握ってくる。


【柔らかい。なんだ、これは。白パンか? もしかして食べられるのか?】


 何だか変態じみた感想を浮かべていることなど表情には一切出さず、ギルバートは言った。


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