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第30話

 ギルバートはコホンと小さく咳払いをしてそっと手を上げて蜘蛛の巣を取ってやろうとして中途半端な所で手を止めた。


「ど、どこを通ってきたんだ? その、蜘蛛の巣が、えっと、ついてるぞ」

「えぇ!? と、取ってください!」

「取る!? 僕が!? よ、よし!」


 ゴクリと息を飲んでロタの髪についた蜘蛛の巣を震える指先で取ったギルバートは、ホゥ、と胸を撫で下した。


「ありがとうございます。あ、もしかしてギルも蜘蛛苦手ですか?」

「え? いや、まぁ【蜘蛛は大丈夫だ。しかし、女子に触るのは……】」


 蜘蛛よりも女子の方がよっぽど怖いギルバートだ。ロタと居ると、いつか本気で心臓が破裂してしまいそうである。


「ところで、この辺に用事か?」

「はい! 綺麗な花が前に咲いていたじゃないですか? あれがもう一度見たくて来てみたんですが……無くなっちゃってました……」


 そう言ってロタはシュンと項垂れた。そんなロタにギルバートも視線を伏せる。


「ああ、そうなんだ。どうやら貴重な花だったようでな、大量の花泥棒が出たようなんだ」

「花泥棒?」

「そうだ。森の終わりの崖の下にあの花を持った奴らが大量に居てな。悪い事をしてしまった」

「何かあったんですか?」

「ん? ああ、まぁ、ちょっとな」


 あの一連の事件は忘れられない。わざとではないが、花を盗んだぐらいで鉄砲水に流されてしまったなど、不運以外の何物でもない。あれからたまに覗きに行くが、もう誰もあそこには寄り付かなくなってしまった。あの時流された者達も、少しでも生き延びていてくれればいいが。今度はギルバートがシュンとする番だった。そんなギルバートを見て、ロタが言う。


「私が言うのも何ですが、くよくよしてちゃダメダメ! 悩んでたってしょうがない! 悩みなんて抓んでポイだ♪ ですよ!」

「! ロタ。ありがとう。そうだな。いつまでも悩んでいても仕方ないな」

「はい!」


 ロタはにっこりと笑ってくれた。


 けれど、その笑顔はすぐに曇る。


「どうした?」

「あの……あのね、ギル、私実は……!」


 その時、森の奥からから誰かの声がした。それを聞いたロタは体を強張らせてギルバートを見上げてくる。


「ギル、どうか気をつけて。この先誰に何を言われても、絶対にアルバを信用しちゃダメ! 絶対に!」

「? 分かった。約束する」


 よく分からないが頷いたギルバートに、安心したようにロタは微笑んで短い挨拶をしてそのまま森の奥に走り去ってしまった。一体何が何やらよく分からないが、とりあえずロタの言う事は間違いないだろう。こう見えてギルバートは人を見る目は長けている方だ。


 足元で虫を掘り起こして食べているコッコちゃんを抱き上げたギルバートは、ロタの言葉を噛みしめながら城に戻った。


                ◇◇◇


 リドルは毒花だけで作った花束を、一人の使用人に王子の名で届けた。花束の中にはあの呪術と同じ物が仕掛けてある。こう見えてリドルは呪術にも精通している。


 犯人が花束を受け取り、その花束が毒花だと気付かずに水差しに入れて飾れば、呪術は発動しない。


 けれど、もしも彼女が毒花だと気付き燃やしたり捨てたりすれば、呪術は容赦なく彼女を襲う。そして結果は――。


「やっぱり黒だった?」

「はい」


 サイラスは神妙な顔をして頷いた。花束を彼女が部屋に持ち込んだ所までは確認した。その後すぐに短い悲鳴が聞こえたので部屋に入ると、彼女は既に息絶えていた。その寝顔はとても安らかで、それだけが救いだった。


 何か事情があったのかもしれない。最初はそう思ったし、心の中では今もそう思っている。それをリドルに伝えると、リドルはこの場にそぐわぬ爽やかな笑みで言う。


「同情して、王子を殺される方がマシ?」

「っ……それは……」

「サイラス、これは戦争だよ。何らかの事情があったとしても、たとえ相手が女子供でも王子殺害を目論んだ者を生かす訳にはいかない。それに、彼女が万が一無事に国に戻れたとして、何の処罰も無く許されたと思う?」

「……思いません」

「だよね。どのみち彼女は殺されていた。僕達が殺さなくてもね」

「そう……ですよね。この上王子は更に彼女の首をプレゼントに送りつけるつもりなんでしょう?」

「ああ、あれね。流石に僕もそこまではどうかと思うから、髪を切って送ろうか。それで十分何があったか分かるでしょ」

「分かりました。手配しておきます」

「うん、お願いね」


 リドルは頷いて研究に戻って行く。そんな後ろ姿にサイラスはそっと頭を下げてリドルの部屋を後にした。


 まだ胸の奥がモヤモヤと傷むが、リドルの言う通り、これは戦争だ。気を抜けばギルバートの命が危うい。今回の事で分かったのは、モリスは手段を選ばないという事だ。本気でそのうち子供でも平気で使ってきそうで怖い。


 サイラスはガルドにメイドの死とその後の処置について頼み、重い気分のままギルバートの執務室に行くと、そこにはいつものギルバートの姿があった。その事が何故かとてもホッとする。


「お茶の時間です、王子」

「ん? ああ【もうそんな時間か。ありがとう、サイラス】」

「あと、贈り物の件は手配しておきました。近日中にあちらに届くと思います」

「分かった【流石サイラスだな! 僕がロタに贈り物を届けたいと思っていたのをすっかりお見通しなんだな! しかし何だかサイラスの元気がないな】」


 ギルバートが訝し気にサイラスの顔を覗き込んでくる。


 サイラスは、しまった、と顔を引きつらせて慌てて執務室を後にした。こんな事で顔や態度に出てしまうなんて、従者失格だ。


 サイラスは食堂で水を飲んで大きなため息を落とした。そこにガルドがやってくる。


「よう、どうした?」

「あー……うん。ちょっとね」

「お前、まだあのメイドの事考えてんのか? リドル様の言う通りだぞ?」

「分かってるよ! 分かってるんだけど……やっぱモヤモヤするんだよ」

「まぁ、分かるけどな。俺も初めての戦争ではそんなだったよ。実際、初陣で辞めてく奴も多いしな。誰も戦争なんてしたくてやってないし、無くなればいいって思いながら毎回戦ってる。そう思いながら戦うのは、皆守りたい人が居るからだ。嫁だったり子供だったり親だったり、色んなもんの為に戦ってる。本当の所は、戦争が無くなればそれが一番いいにこした事はない。だからこそ、王子は最後まで相手を追い詰めようとしてんだよ」

「え?」

「今回の王子の作戦は、俺は正解だと思う。戦争が始まる前にあちらから戦意喪失してくれれば、無駄な戦争なんてしなくてよくなるんだから。その為の無慈悲な行為だったんだよ。一人を犠牲にしたのは後味悪いが、そのおかげでもしかしたら数千人の命が助かるかもしれない。それどころか、上手くいけばモリスを属国に出来るかもしれないんだぞ」

「!」


 ガルドの言葉にサイラスはハッとした。そうか。そういう意味の犠牲だったのか。どのみち彼女の死はギルバート暗殺に失敗した時点で確定していた。無駄に死ぬよりは、誰かの役に立つ方がいいだろうというギルバートなりの優しさだったのかもしれない。そして出来るだけ穏やかに殺したのは、リドルの優しさだったのだろう……。


「何てことだ……そんな事、これっぽっちも考えなかった……」

「まぁ、分かりにくいからな、王子は。俺だって騎士じゃなきゃ、やっぱり怖い人だなって思ってたと思うぞ?」


 そう言ってガルドは水を一口飲んでチラリとサイラスを見た。


 さっき切り落としたメイドの髪を袋に詰めてモリスに送る手続きをして廊下を歩いていると、ギルバートとばったり会ったのだ。その時にギルバートはガルドに言った。


『ガルド、サイラスを頼む』


 それだけ言って去って行った時は一体何事かと思っていたが、ギルバートはやはり根本的には身内にとても優しいのだとサイラスの顔を見て察した。


「すぐには切り替えられないだろうが、お前はお前なりのやり方で王子を支えてやれよ。王子はあんな顔してるけど、本当はメイドの件だって苦渋の選択だった筈なんだから」


 ガルドの言葉にサイラスは幾分元気を取り戻した顔で頷いた。


 それから数時間後、サイラスは鍛錬の後のレモネードを持って行く途中で若い騎士達が真っ白の美しい棺を運び出しているのを見かけた。サイラスは慌てて騎士達に駆け寄ると、何をしているのか聞く。


「待って! ねぇ、それ、どうしたの?」

「ああ、サイラスどの! 先程メイドが一人亡くなったのです。その事を王子にお伝えしたら、一番良い棺に入れて手厚く葬ってやるように、との事だったので、これから教会に納めに行く所なんです」

「そっか……ごめんね、止めて。ありがとう」

「いえ! では、行ってまいります」


 丁重に棺を馬車に運び込む騎士達とメイドに最敬礼をしたサイラスは、色んな感情が一気に押し寄せてきて泣きそうになる。


               ◇◇◇

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