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第7話 隙間風

 あれは中学最後の夏休み前だったと思う。次の授業のために体育館へ行く途中、わたしは顔を見たことのある同級生の女子に話しかけられた。こんなことはよくあったから、何を聞かれるのか、彼女が口を開く前から分かっていた。


「ねえ、あなた、かいくんのお姉さんの空さんだよね?」

「そうですけど、何ですか?」

「海くんって彼女いるの?」

「いないと思いますよ」

「ふうん」

「あの、体育の授業に遅れるので、失礼します」

「ちょっと!」


 彼女はまだ何か聞きたそうだったけど、わたしはなぜかそれ以上、彼女と言葉を交わしたくなかった。


 後で知ったのだが、彼女は、海と同じクラスにいる地元企業の社長令嬢香織かおりさんだった。一人娘の香織さんは両親にとても可愛がられており、欲しいものは何でも手に入れられる・手に入れる人だった。


 香織さんがわたしに話しかけてからしばらくして彼女の両親が突然、うちのボロアパートに来た。彼らがうちの親と何の用事があるのか知りたかったけど、挨拶もそこそこにわたし達は子供部屋に追い立てられた。彼らが帰った後、父は海だけを呼んだ。海は声を荒げて何か叫んでいたけど、すぐに静かになった。


 それ以来、海はわたしのクラスに滅多に来なくなってわたしは圭との距離を縮められた。海は同じクラスの香織さんと交際するようになり、彼女といつも一緒にいるようになった。


 家でも海はあまりわたしと話さなくなった。今まではお風呂に一緒に入って一緒のベッドで寝ていたのに、海はそれも急にやめた。


 もう中学生なんだから別々にお風呂に入って別のベッドで寝たいとわたしが今まで散々頼んでも、海は全然言うことを聞いてくれなかったけど、やっと希望が叶った。だから喜ぶべきなんだろうけど、あまりに急であっけなさ過ぎた。


 ある時、子供部屋を仕切るカーテンを久しぶりに海が開け、急にわたしに話しかけてきた。カーテンは、海が香織さんと付き合うようになって以来、閉じっぱなしになっていた。


「高校のことなんだけどね、僕、空と同じ学校に行かないことにしたよ」

「そっか」

「いいの、それで?」

「いいも何も、海は能力に合った学校に行ったほうがいいから、それでいいんだよ」

「わかった」


 海は、ちょっぴりぶっきらぼうに答えてカーテンの仕切りの向こうに消えた。


 海は、香織さんの両親に学費を支援してもらい、この地域1番の進学校に進んで偏差値最上位のT大学を目指すそうだった。単なる娘の彼氏に学費を援助するなんて行き過ぎではないかと不思議に思ったら、海が香織さんの家に婿入りする前提になっていた。


 四六時中一緒だった時は息苦しいと思ったけど、いざそれぞれの道を歩むことになりそうだと思うと、センチメンタルな気持ちが沸き起こり、何だか胸がチクリとした。


 学校の行き帰りでも、海は香織さんと、わたしは圭と2人きりの時間が増えた。家と待ち合わせ場所の間、今までと同じようにわたしと海は2人きりで歩いたけど、そこから学校までの往復は、海は香織さんと、わたしは圭と一緒に二手に分かれて登下校するようになった。


 海は、順調に香織さんとの仲を進めているようだった。その証拠をある日の下校時に見かけた。


「帰ろっか」

「うん」


 わたしは、その日もいつものように圭と教室を出た。校内で手を繋ぐのは照れくさいから、校門を出てから手を繋いだ。初めて手を繋いだ時は、照れちゃって顔が火照って仕方なかったけど、すぐに慣れた。


 道中、色々と話をしていると、あっという間に我が家のボロアパートの近くまで着いた。圭は多分、うちの家族がとてつもないボロアパートに住んでいることを知っていただろうけど、わたしは恥ずかしくてどうしてもアパートを見せたくなかった。


「もうちょっと一緒にいたいから、空ちゃんの家まで着いて行ってもいい?」

「いい、ここでいいよ。ただでさえ、圭は遠回りなんだから、ここでいいよ」

「そっか。わかった……あ」


 圭が何かに気付いたようだった。彼の視線の先を見ると、電柱の影で海と香織さんがキスをしていた。わたしは、海と目が合ったような気がした。


「え……」

「見せつけるよね……」

「ひ、人のキスシーンって見せられたほうが困るね」


 圭は顔を赤くしてわたしのほうへ手を伸ばした。多分、キスしようかどうか迷っていたんだと思う。でもわたしは、自分が誰か他の人間とキスをしているところなんて、海に見られたくなかった。圭は拒否されたことに気付いたようだったけど、わたしは後で言い訳すればいいと思っていた。


 あんなに圭と2人きりになりたかったのに、なぜかわたしは2人きりの時間を楽しむ気になれなかった。それどころか海が香織さんにキスしているところを見て以来、海が香織さんと2人きりで何をしているのか気になって仕方なく、圭の話にも気がそぞろになった。


「……空ちゃん?」

「あ、何?」

「今度の週末、ショッピングモールでイベントあるから、見に行かないって話してたんだけど……聞いてなかった?」

「あ、うん、ごめんね。ちょっと考え事してた」

「海くんのこと?」

「え、違うよ」

「なんか最近、上の空だね」


 2人きりになれる機会が増えて圭との距離を縮められるはずが、隙間風が吹くようになってきてしまった。


 だけど数日後、それを挽回するチャンスがやってきた。わたしは何度か圭の家にお邪魔したことがあったが、以前は大抵、海も一緒だった。でも海は、その少し前から香織さんと交際するようになり、圭の家について来なくなったから、わたし達は圭の部屋で2人きりになれる。誘われたら、行かないわけはなかった。


「今日、うちの両親、家にいないんだ」


 それどころか、家で2人きりになれる。初体験ができると思ってドキドキした。


「空ちゃん……」


 ベッドに並んで座ると、どちらからともなく自然に顔が近づいていった。キスをしながら、圭は恐る恐るわたしの胸に手を伸ばした。お風呂でよりもくすぐったかった。ファーストキスの時みたいに胸の鼓動が早くなってフワフワした気持ちになった。


 圭の手は、迷いを見せながらも、少しずつ下へ下へと秘めた場所に向かっていった。だけどそこは、自分以外、だけだ。圭の手がわたしの下着の中に入ろうとした瞬間、わたしは無意識のうちに彼を突き飛ばしていた。気が付いた時には、圭は目を見開いて呆然としていた。


「空ちゃん?!」

「ご、ごめん、圭くん……突き飛ばすつもりはなかったの」

「そっか……僕こそごめん。お互い初めてなのに急ぎ過ぎたね」

「うん」


 だけど、その日以降、わたし達の関係はギクシャクしたままになった。その一方で海と香織さんの仲は順調に進展しているようだった。


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