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第12話 父の最期

 父に襲われた事件から10ヶ月ほど経ったある日、わたし達が物心ついてからあの事件まで住んでいたボロアパートで父は遺体となって発見された。第一発見者は、近所に住む民生委員だった。父は、アルコール依存症治療施設を出た後、ボロアパートに帰ってきて1人で住んでおり、その民生委員は時々父を訪問していた。


 不幸中の幸いか、発見が早かったので、遺体はまだ腐敗していなかったそうだが、わたしは父の死に顔を見る勇気が出なかった。司法解剖の結果、死因は吐しゃ物を喉に詰まらせた窒息死と判明した。


 警察からわたしの携帯に連絡があった時、かいは大学に行っていた。海には自分を待つようにと言われたが、父なんかのために海に大学の授業を休んでほしくなかったので、わたしは1人で警察に出向いた。


 わたしは、父が遺したメモのようなものを警察で受け取った。『久美に会いたい』とか、『愛してる』とか、『どうして俺のそばにいないんだ』とか、そんなことばかり殴り書かれたメモが大量に残っていた。


 そのメモをじっと見ているうちに、わたしは発見者の民生委員の連絡先を思わず警察に尋ねていた。それは個人情報に当たるので教えてもらえなかったものの、父はわたしの携帯番号を民生委員に緊急連絡先として伝えていたそうなので、連絡をくれるように言付けを警察に頼んだ。


 そう言えば、父の遺体が発見された頃、知らない電話番号から電話がかかってきたのをわたしは思い出した。電話帳に登録していない電話番号からの電話は、信頼できるもの以外取らないように海に言われていたので、わたしはその電話を無視した。それが民生委員からの電話だったのかもしれなかった。


 だがそもそも、わたしの携帯番号は父に内緒のはずだった。中学生の時に祖父母が携帯を買ってくれた時の電話番号をわたしはまだ使っていた。今まで全て父の掌の上で転がされていたのかとわたしは血の気が引いた。


 なぜ民生委員に連絡したいと思ったのか、わたしは自分でも分からなかった。わたしにあんなことをした父が惨めに孤独死したのを再確認してざまぁと思いたいのか。それとも幼い時は慕っていた父にまだ爪の先ほどでも情が残っていたのか。いくら考えても結論は出なかった。


 警察に行ってから数日後、民生委員からわたしに電話がかかってきた。


「父の遺体を発見してくださったそうですね。大変な体験をさせてしまって申し訳ありませんでした。実は、生前の父の様子を知りたいと思って連絡をお願いしました」

『いえいえ、この度はご愁傷様でした』


 父のことをいつ知ったのか、どんな様子だったか、民生委員に聞いてみた。彼女は言いづらそうにしていたが、わたしは構わないから教えてほしいと頼み込んだ。


『えーと、その……やめたほうがいいと何度も言ったんですけどね、お父様はお酒を浴びるようにいつも飲んでいました。それと……奥様を……なんと言いますか、ひたすら恋しがっていました』


 民生委員が父を訪問するようになったのは5ヶ月ほど前のことで、その少し前から父はアパートに戻っていたようだった。母が家にいなかったのがよほどショックだったようで、父はすぐに断酒ができなくなり、いつも酒を飲みながら母に会いたいと管を巻いていたそうだ。そんな状態でどうやって生活していたのか不思議だったが、父にはが仕送りをしていたらしく、生活保護は受けていなかった。


 父の遺体が司法解剖から帰って来たその日、ほぼ身内だけで葬儀が行われた。喪主は、なぜか祖父になっていた。


 本橋コンツェルンの総裁が喪主となる葬儀は、マスコミの興味を引き、わたし達にも取材が殺到したが、わたしに対する取材攻勢は海が全部弾き飛ばした。


 参列者は祖父母、わたし達姉弟や民生委員の他は、ほとんどいなかったが、父と離婚したはずの母もなぜか現夫の良二さんと共に来ていた。


 母が離婚した今となっては、父は赤の他人のはずなのに、祖母は父の名前を呼びながら棺に縋り付いて号泣していた。関係の薄い人間の死にそこまで取り乱して嘆く祖母の姿は、異様に感じられて仕方なかった。


「浩次! 浩次! こんな姿になってしまって……」


 母はそんな祖母に寄り添っていたが、何もかも手につかないような感じで呆然としていた。あれだけ自分を虐待した元夫の死に意外にもショックを受けているようだった。


 わたしは祖母の嘆きぶりも母の様子も不思議に思った。


「ねえ、海、おばあちゃんはどうしてそんなに嘆くの? お父さんはお母さんの夫ではあったけど、おばあちゃんにとっては赤の他人だし、そもそもほとんど会ったことなかったよね?」

「そりゃ、実の息子に2人も先立たれれば、どんな親でも悲しいんだろうね」


 わたしが子供だった頃に亡くなった息子が祖父母にいた話は聞いたことがあった。でも父も祖父母のもう1人の実の息子なら、母は娘ではないのか、わたしは混乱した。


「お父さんが実の息子?! じゃあ、お母さんはおばあちゃんの娘じゃないの?」

「アイツもお母さんも僕達の祖父母の実の子供だよ」

「え?!」


 両親と思っていた2人は兄妹だった。なのに彼らは毎晩のように激しく交わっていた。わたしはあまりのおぞましさに吐き気を催した。


「うう……気持ち悪い……」

「どうしたの? 大丈夫?」

「うん……お父さんとお母さんが兄妹なのに毎晩やってたことが気持ち悪くて……」

「空、そのことは絶対誰にも言っちゃいけないよ」


 海は、真剣な口調でわたしを窘めた。わたしもこんなおぞましい家族関係を世間に知られたくないので、同意した。


「うん……分かった。でもじゃあ、わたし達のお父さんとお母さんは、一体誰なの?」


 わたし達は一体誰と誰の子供なのだろうか。脳裏に浮かんできた答えは、わたし達自身の存在を嫌悪させるのに十分だった。


「空が心配してることは分かるよ。でも安心して。空はお母さんと良二さんの実の娘で、アイツは空にとって伯父にあたるんだよ。で、僕はアイツの実の息子」

「まさか海は……?! 痛っ!」


 海は、プッと吹き出してわたしにデコピンを見舞った。


「違うよ。僕の実の母は別の女性だよ」

「じゃあ、海の実のお母さんは誰なの?」

「アイツの元婚約者」

「その人は今、どうしているの?」

「僕を出産した時に亡くなったんだって。でも僕は、育ててくれた母さんが母親だと思ってる」


 わたしは、色々なことが分からなくて困惑した。物心つく頃には、わたしはあの2人を両親と認識していた。海だってそう思っていたはずだ。なぜわたし達はあの2人の元で一緒に育ったのか。本当に良二さんがわたしの父親なら、初めて会った時になぜ彼はその可能性に気が付かなかったのか。それに実の兄と肉体関係を長年結んでおいて、しらっと良二さんと『再』婚している母も気持ち悪かった。


「良二さんとの結婚直前に空を妊娠した母さんをアイツがさらったんだ」

「どうして?! お父……あの人はお母さんのお兄さんだったのに?!」

「さあ、僕にもアイツの考えていたことは分からないよ。とにかく母さんには辛い思い出だから何も聞かないようにしようね」


 空は、それ以上説明する気はないみたいだった。葬儀中にあまり私語をするわけにいかず、わたしはいずれ話を聞くことにしてとりあえず口をつぐんだ。


 母は元父――本当は伯父――の棺の側で相変わらず呆然としていたが、良二さんは痛ましそうに母を見つめ、肩をそっと支えていた。


 それからしばらくして母が妊娠した。親子のような年齢差のきょうだいができるのは複雑な気持ちだった。母は40歳を超えているから、超高齢出産になる。良二さんは母を心配して過保護がますます加速した。


 良二さんをお父さんと呼ぶと、あの外道な元父を思い出してしまうので、わたしは彼をパパと呼ぶことに決めた。実の親子と分かってから、パパ達はますます同居を勧めてきたが、わたしは海と同居を続けた。


 わたし達が実のきょうだいではないと香織さんにも知れて、香織さんはわたし達が同居するのはおかしいと再三抗議してきた。でも海が突っぱねたので、海に嫌われたくない香織さんは渋々引き下がった。


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