夢にまで見た(いや、実際に何度も見たけども)最愛の人。その人がやっとこの世界にやってきた。
誰よりも愛しく大切な人。
そんな彼女がこの世界に馴染むまで目を離さずそばにいようと心に決め、ともにいなかった時間を埋めるように、まるで鳥かごに閉じ込めているのではと錯覚を覚えるほどに見守っていた。
好奇心が疼いているうちは、何かに興味が尽きないうちは大丈夫だと思っている。しかし、ふとした時何かのはずみで緊張の糸が途切れてしまったら彼女はどうなってしまうだろう。
それがとても恐ろしかった。また失ってしまう日々に戻るのは怖い。
そんな思いをあざ笑うかのようにその瞬間が来てしまったのだ。
買い物と昼食を済ませてご機嫌だったロサの手を引いて生産ギルドに訪れた。なんの気なしに発言したレシピ登録について問い合わせるためだ。
小柄なロサが抱えられないほどになったあのロール生地の行方に加えて料理の開発ともなればしばらくは夢中になってきっと身の振り方なんて考える余裕もないだろう。
少なくともそうして余計なことを考える暇もなければなし崩しでもいいからそばにいてくれるだろう。
だからこそ、その表情に気をつけていた。
というのに……。
訪れたギルドでは騒がしかった。
そうだ……。今日は週に一度のレシピ登録審査日だということに気づいた。
ギルド職員や審査員を務める者たちが二階で騒いでいるのが聞こえる。
聖女という単語が聞こえるあたり、一昨年に転生してきた聖女という名の問題人物。
どうやら持っている属性から回復系に向いているらしいその人は冒険の先で傷ついた人々を癒やしたことから聖女と呼ばれるようになったらしい。
回復能力自体は珍しいものでもないが、その力は群を抜いていたらしい。
と、言うのも俺は彼女と対峙したことも組んだこともないのでその真意は確かめようがない。あくまでも噂でしか知らない。
知っていることがあるとすれば、彼女の別名が迷目のアルケミストということだろう。
産業ギルドが設けるいくつかある著作登録の審査会に参加しては様々な手段で審査員を震撼させ、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図に落とすということぐらいしか知らない。
幸いなことに俺は自身が審査員に呼ばれたのは木工技術審査会だったので実害は被らなかった。他の審査員は廊下に吹き飛ばされてはいたけど……。
と、まぁそんなわけで聖女さまが来ている時点で今日のギルドは危ない。
少なくともその存在と危なさを知らないロサから目を離すのはまずいだろう。
って、気をはっていたそばから明らかに貴族の執事と思われる紳士に声をかけられてしまう。おまけに当の本人がシゴトシロと送り出してしまえばこちらとしては何も言えなくなってしまう。
仕方なく廊下を進んだ先の小会議室を借りて話を聞く。
簡潔な話、貴族ではなく大商人の娘が名門貴族に輿入れするので、嫁入り道具に持たせる二人乗り馬車の依頼だった。
全体の印象を決める木材に外装と内装の装飾や色味を決めて締め切りと連絡先を確認して最速で会議室を飛び出したがそこは仕事、やはり時間がかかってしまった。
走り出さなかったことを褒めてもらいたい。
それぐらいには急いでロサが座っているであろうソファにその姿がなく、呆然と立ち尽くす少女の横顔が遠くを見ていた。
まるで失った何かを探すかのように切なげに。見開かれたその瞳が歪んで薄い膜をはり、盛り上がり、やがて堰を切ったように溢れ出す。
伸ばした手が間に合わなくて、気持ちばかりが急いてこの手が届く頃には幼かった日に見たあの頃のあどけなく、頼りない今にも消えてしまいそうな彼女がいた。
夢と消えてしまいそうで怖くて、その存在を確かめるように掻き抱く。
どうか、また失ってしまわないように……。