急激に色んなことが変わり、気絶するように眠りについた翌日。
朝っぱらから《好感度:91%》の数値を持つ男を見て、ベルティアはまた頭痛がぶり返してくるのを感じた。
「おはよう、ベル。昨日より顔色はいいみたいだな」
「……おはようございます、殿下。あの、俺、昨日はちゃんと王宮の馬車で寮まで帰ってきましたが」
「ああ、報せはちゃんと受けた」
「俺が馬車で帰ったら、殿下は送り迎えをしないというお約束だったはずです」
「そうだったな」
「そうだったな、って……約束が違うじゃないですか」
ベルティアは大体、他の生徒が登校するより前に学園に向かうのが日課だ。
寮住まいの生徒とも顔を合わせたくないし、学園に向かっている最中にヒソヒソと陰口を言われるのは朝から疲れてしまうから。朝早くに寮を出て学園の図書室に行き、授業が始まるまで本を読んで過ごす。
これが、今のベルティアにとって小さな幸せなのだ。それなのに、何が嬉しくて朝からノアの顔を見なければならないのか――
ちらり、ノアの後ろに控えているレオナルドを見るとゲンナリした顔をしていたので、きっとノアが無理を言ってここに来たのだろう。心中お察しします、なんて他人事のようにレオナルドを心の中で慰めると、ベルティアの心の声が聞こえたのか冷たい瞳と目が合ってベルティアは俯いた。
「昨日、男が二人、お前の部屋に行ったそうだな」
「え?」
「入れ替わり立ち替わり、たいそう人気者だな? ベルティア」
――あんたが怒る権利ないだろ!
と叫びそうになったが、なんとか言葉を飲み込んだ。ノアは基本的には心優しくて誠実な青年だが、好感度が高いからか狂気度が増している気がする。
普段は夜道を照らす月のように優しい色をした金色の瞳が、今はゾッとするほど冷たい色に感じるのはそのせいだろう。
ベルティア自身もアルファだけれど、彼の圧倒的なアルファの雄としてのオーラには敵わない。ベルティアでさえ屈してしまいそうになるほどの威圧感にごくりと生唾を飲み込むと、ノアはいつもと変わらない優しい笑顔を向けた。
「で、殿下ほどでは、ありません……」
「名前を」
「へっ?」
「殿下ではなく、名前を」
普段は優しくて紳士的なのに、時々ひどく強引になるので調子が狂う。何の濁りもない真っ直ぐな瞳と声にそう言われると、昔から従わざるを得ない。ノアは根っからの『王の器』というものなのだ。
だからこそベルティアはノアと距離を取っているのに、それを分かった上で近づいてくる。そしてベルティアも根負けしてしまうから、ノアは『この関係性を変えなくても大丈夫』だと思っているのかもしれない。
「………ノア様。寮の前でこういうのは困ります」
「そうか。では馬車に乗ろう」
断る間もなく、ノアはベルティアの細い腰に手を回して馬車の中へエスコートした。仕方なくレオナルドが馬車の扉を開けたのだが、すれ違いざまに「なにやってんだよ」と文句を言われるかと思ったけれど、ノアが一緒だったので彼も言葉を飲み込んだらしい。ただ、鬼の如く怖い顔をしていたのを馬車の扉が閉まる瞬間にベルティアは目撃した。
「それで、お前の部屋には誰が?」
「分かっているのに、俺から言わせたいんですか。見張っていたことも俺はまだ許していません」
「倒れたあとだったから心配だっただけだよ。普段はしていないから、そんなに怒らず話してくれないか」
向かい合って座り、ノアが足を組むと靴のつま先がベルティアの膝にとんっと当たる。ノアがわざと当てているのは分かっていて、つま先から伝わってくる熱には気づかないフリをした。
「最初に来てくれたのはジェイドです。幼馴染のよしみで、俺が倒れたと聞いて心配してくれただけです。なんせ、医務室のある棟に出入りできなかったそうなので」
「ああ、俺がそうさせた。無防備に眠っているベルを他人の目に晒したくなかったからな」
「……それが理由ではないことくらい分かってます。よからぬことを考えていた生徒がいたと聞きました。それをノア様が助けてくださったことも…」
「お前が望むなら処罰を与えてもいい。というか、俺がそうしてもよかったんだが…ベルが事実を知ると傷つくと思ったから、そのまま帰してやった。また同じようなことがあるかもしれないから、十分気をつけなさい」
――結局、こういうところがズルいのだ。
粘着質ストーカーで恐怖の対象のままでいてくれたらいいのに、本当にベルティアのことを心配するような物言いをするノアのことを心の底から拒絶できない。悪役令息にならなくてはいけないのにこれでは先が思いやられるなと、ベルティアは小さくため息をついた。
「ジェイドは慌てて部屋を出て行ったそうだな。何かされたのか」
「いえ、それは……俺が怒ったので驚いて出て行っただけです。何もされてません」
「怒った? 何かされたから怒ったのでは?」
「……婚約者を作ったらどうだと言われたので、そういうのは必要ないと言っただけです」
婚約者という単語を出すと、ノアのつま先がぴくりと反応した。腕を組んでベルティアの話を聞いていた彼は一度ゆっくり瞬きをして、じっとベルティアのことを見つめる。
先ほどは冷たい金色だと思っていた瞳に靄がかかったように見えて、まるで満月が雲に隠されて欠けていくようだった。
「それと、聖なる瞳のセナ様が見舞いの品を持って来てくださいました。ただ、食欲がなかったのでお断りしてしまい……殿下からも彼を慰めていただけませんか?」
「なぜ俺が?」
「婚約すると伺いました。俺のような男爵令息がセナ様に何度もお会いするのは難しいでしょうし、殿下であれば機会がたくさんおありでしょうから」
「ベルティア・レイク。それ以上続けるのであれば、今日から王宮にお前の部屋を用意しよう」
《好感度:90%》
ジェイドはベルティアの幼馴染だと分かっているので感情が動かなかったが、セナの話題でマイナス1%になったということは、今の時点でノアは婚約の話に消極的なのだろう。
婚約の話はノアにとって最もナーバスな話題なので、当分使えるかもしれない。ただ、加減を間違えると暴走スイッチを押すことになるから注意が必要だ。今がまさに良い例で、どうやらノアには監禁の素質があるらしい。たった今、その片鱗を見た。
「……出過ぎたことを申しました。お許しください」
「はぁ、ベルティア……確かに婚約の話は出ているが、本気にしないでくれ。時代は移り変わっているし、強制的に婚約を決めるようなやり方に反対している。それと、二人きりの時にその話し方はやめてくれないか」
「善処します」
「善処する気があるようには見えないな、全く……」
くしゃり、ノアが髪の毛を掻き上げて苦笑する。彼はそのまま頬杖をついて馬車の外を眺め、馬車の中に静寂が訪れた。
何となく気まずくなったベルティアは、いまだにつま先が当たっている自分の膝を見つめたあとにノアの横顔を盗み見る。幼い頃の初恋をこの年齢になるまで大切にしている彼だって、半年後にはセナのことを好きになっているのだ。
ベルティアの今後の行動次第だしノアとセナが結ばれるとは限らないけれど、バッドエンドになるということは最終的には攻略対象者たちはセナの味方になるということ。ノアは今でこそベルティアを想ってくれているが、その気持ちもこれからなくなってセナのものになる。
セナは盲目状態のノアを正気に戻し、正しい道に導いてくれる神様のような存在。
そんな人にはどうやっても勝てっこないし、勝つつもりもないけれど。