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 考え事をしながらベルティアも窓の外を見ていると不意に馬車の動きが止まり、馬車の扉をレオナルドが開けた。寮から学園まではそんなに距離が離れていないので、あっという間に学園に到着したらしい。


「ベル、今から図書室か?」

「はい」

「では俺も一緒に行こう」

「……」

「そんな顔をしないでくれ、ベル……今朝は俺も読書をしたい気分なんだ。お前の邪魔はしないから」


 ――俺のオアシス時間が。


 ベルティアがため息をつきたいタイミングと、レオナルドが再び顔をしかめたタイミングが同時だった。こればかりはオアシスを邪魔されたくないというベルティアの思いが勝ったのでレオナルドに視線を送ってみたが、彼はふいっと顔を逸らした。


「この時間は本当にまだ誰もいないんだな」

「……ソウデスネ」

「図書室は開いてるのか?」

「管理人さんと顔見知りになったので入れてもらえるんです」

「なるほど」


 ノアは本当に一緒に図書室に行くようで、ベルティアの隣を陣取っている。わざとらしく盛大なため息をついてみたけれど、隣にいるノアは柔らかく微笑みながら誰もいない学園内を見回していた。


 ちなみに、好感度の数値はぴくりとも動いていない。前世の記憶が蘇って一日しか経っていないけれど、ベルティアは早々に棄権したい気持ちでいっぱいだった。


「こ、これはこれは、王太子殿下もご一緒とは……!」


 管理人のフェリクスの元を訪れると、彼はベルティアの後ろにいるノアを見てひどく動揺していた。フェリクスも学園に勤めている者なら二人の噂を知っているだろうが、実際に二人で図書室に来たことはないので驚いたのだろう。


 いつもなら一言二言雑談をしながら図書室の鍵を開けてくれるのだが、今日ばかりは動揺しすぎて鍵を開ける手元がぶるぶる震えているのが見えた。


「……もう二度と殿下とは一緒に来ません」

「朝からそんなに怒るな、ベル。今後は反省するから」

「なにが反省ですか。したこともないくせに」

「……ごほんッ」


 思わず昔のような軽口をたたくと、後方からレオナルドの咳払いが聞こえて口をつぐんだ。まるで驚いた猫のようにビクゥッと体が跳ねたベルティアを見たノアはくすくす笑っていて、好感度が2%も上がってしまった。


「とにかく! 今からは別行動です! 俺の邪魔をしないでくださいっ」

「分かった分かった。大人しくしているさ」


 図書室に入ってすぐベルティアはノアの側から逃走した。そして棚から本を数冊取り出し、定位置である窓際の角の席に座り、太陽の光を浴びながらパラパラとページをめくった。


 静かな図書室にページをめくる音が今日は二人分聞こえてきて、ベルティアは自分が集中できていないことに気がついた。ベルティアではない音の主をチラリと見やると、ベルティアから随分と離れた席に座り、片手で持ちながら本に視線を落としているノアの姿が視界に映る。


 朝日が窓から差し込んで、まるでノアの周りをオーラが包んでいるようにも見えて不覚にも見入ってしまった。本ではなくノアのことを見つめていると、ベルティアの視線に気がついたのか彼が顔を上げそうになったので、慌てて本に視線を移した。


「ベルティア、今日も早かったのかな?」


 ふと声をかけられると、窓の外は他の学生が通学してくる時間になっていることに気がついた。いつの間にか本に集中していたベルティアが顔を上げると、眩しい銀色の髪の毛をさらりとなびかせたパーシヴァル・グランが向かいの席に座っていた。


「ぱ、パーシヴァル殿下!」

「おはよう。朝から元気だね」

「お、おはようございます。気が付かなくてすみません……」

「気にしなくていいよ。こちらも本を読んでいただけだから」


 ベルティアとは違い、鮮やかな空の色をした瞳が朝日に照らされてキラキラと光っていた。咄嗟に彼の頭上を確認してしまったのだが、好感度の表示は出ていない。


「(パーシヴァルは攻略対象外…か)」


 パーシヴァル・グランは隣国・アルべハーフェンの王太子だ。グラネージュへは最後の魔術師といわれているジェイドの家の魔術に興味を持ち、半年前に留学してきたとされている。


 ゲームの本編ではチラッと顔が出るくらいだった存在だが『ベルティア・レイクの幸福』が発売された時に続編のメインキャラクターだと発表されていた。


 名前の情報しか知らないけれど、続編のメインキャラクターなので攻略対象者ではないのだろう。これ以上キャラクターが増えるのは負担が大きいので、パーシヴァルの頭上に好感度の表示がなくてホッとした。


「アルべハーフェンの小説か?」

「はい。子供向けの絵本から大分成長しました」

「ここで初めて会った時は読み書きもままならなかったのに。勉強熱心だな、本当に」


 アルべハーフェンはグラネージュとは違って魔法が盛んな国で、言語も独特だ。パーシヴァルはさすが王太子といったところで、グラネージュの公用語を完璧にマスターして留学してきた。


 ベルティアはというと、元々違う国の言語を勉強して知識を増やそうと思い、図書室にあるアルべハーフェン語の本を勉強に使っていたのだ。そして数ヶ月前、ベルティアが勉強している時にパーシヴァルから話しかけられ、二人は顔見知りになっていた。それ以来、図書室で偶然会えばパーシヴァルが先生となって言語指導をしてくれたのである。


「ここに来る前、外から君のことが見えた。僕はいつも、同じ席に同じ人が座っているなと目で追っていたんだ。今日もそうだった」

「それは何だか恥ずかしいです」

「ただ今日は一人じゃないみたいだね」


 馬鹿なことに、パーシヴァルの言葉でやっと『彼』の威圧感に気がついた。

 穴が開きそうなほど鋭い視線がベルティアに注がれていて、その視線の正体は言わずもがなノアだった。ただ、隣国の王太子がベルティアと一緒にいるので下手に話しかけることもできず、視線と圧で牽制しようとしているらしい。


 パーシヴァルもそれに気がついているからか、自分の背中に突き刺さるノアの視線に苦笑していた。


「す、すみません……」

「なぜ君が謝る必要が? 噂通り、ノア殿のお気に入りのようだ」

「……そういうわけではありません」

「ふ、君が否定してもあちらは違うらしい。ただ、君に迷惑をかけまいと必死に抑えているのは、なかなか健気な王子様だね。クラスではいつも笑顔で優しい方だから、ああいう顔は初めて見る」


 ノアとパーシヴァルは王族や公爵家など、身分が高い貴族が集まるクラスで一緒に授業を受けている。ベルティアは特待生だが別のクラスなので、教室でのノアのことは全く知らないのだ。


 ただ、基本的にノアは優しい性格なので、パーシヴァルもそういう部分しか知らなかったのだろう。今にも噛み付いてきそうな様子のノアに驚きながらも、どこか楽しんでいるようにも思えた。


「大変だね、君も」

「え?」

「そりゃあ、朝早くから人目を避けて図書室に籠るわけだ。何か困ったことがあればいつでも言って? できる限り僕が手助けするから」


そ んな話をしていると予鈴が響き渡り、パーシヴァルは手を振って先に図書室を出て行った。ベルティアも授業の準備をするため早急に片付けていると、威圧感たっぷりのノアが近づいてきてベルティアの細い手首を引いた。


「……あまり隙を見せないでくれ、ベル。いくら隣国の王太子で、国にとって大事な訪問者だとしても」


 いくらか言葉を選んでそう言ってくれたのが分かる。ノアの言葉にベルティアは頷いて「殿下こそ、凄まじい威圧感は敵とみなされますのでご注意ください」と忠告すると、ノアはやっと困ったように笑った。


「やはりお前には敵わないよ、ベルティア」


 その笑顔に不覚にもきゅんと胸が高鳴ってしまったことは、墓場まで持っていくことに決めた。




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